前田恵美子先生にお誘いいただいて6月19日、オルセー美術館での贅沢なプライベートコンフェランスの機会を頂戴いたしました。



今から 150 年前の 1874 年 4 月 15 日、パリで最初の印象派展が始まりました。「独立に飢えていた」モネ、ルノワール、ドガ、モリゾ、ピサロ、シスレー、セザンヌたちは、アカデミー・デザール主催のサロン・オフィシエルの外で独自の展覧会を開催することでルールから自由になることを決意し、印象派が誕生しました。この記念日を祝うために、オルセー美術館は約 130 点の作品を展示し、前衛芸術の幕開けと考えられるこの重要な日に新たな視点をあてています。

 

1874 年の春、パリで一体何が起こったのでしょうか。そして、伝説となったこの展覧会には今日どのような意味が与えられるのでしょうか? 

 

 

「パリ 1874」では、これら 31 人のアーティスト (そのうち世界的に有名なのは 7 人だけ) が一堂に会して作品を展示するに至った経緯を振り返ります。

 

1874年といえば、1870 年の普仏戦争とその後の激しい内戦《パリコミューン》という 2 つの紛争を経て疲弊したフランスの時代です。








この危機的状況において、アーティストたちは自分たちのアートを再考し、新たな方向性を模索しています。小さな「反逆者の一団」は、野外でスケッチされた現代生活の場面や風景を明るい色調で生き生きとしたタッチで描きます。ある観察者は、「彼らが何よりも求めているのは印象だ」と指摘している。

 

「パリ 1874」では、1874 年の印象派展に出品された作品の一部が、サロンで同時に展示された絵画と彫刻とともに展示されます。この前例のない対立により、印象派が当時展示した作品の視覚的衝撃を再現できるだけでなく、最初の印象派展とサロンとの予期せぬ類似点や重複を通じて、その衝撃を微妙に表現することも可能になります。


パリ、1874年4月15日、夕方8時、カプシーヌ大通りにある有名な写真家ナダール(Nadar)のスタジオの建物の2階と3階には約30人の画家が集まり、約165点の作品を一般公開した。

因みにこのカプシーヌ大通り(Boulevard des Capucines) 35番地のナダールの写真館は今もその位置に現存しています。


コンフェランスの後日、撮影に出掛けた日は生憎この車が建物の前に陣取っていて残念な写真になってしまいました😓








この展覧会には、サロン・オフィシエルの外で展示することを選んだ独立した アーティストが集まりました。野心的、挑発的、先見の明のある...彼らの名前には、クロード ・モネ、オーギュスト・ ルノワール、ベルト・ モリゾ、ポール ・セザンヌ、カミーユ ・ピサロ、エドガー・ ドガが含まれます。


ルノワール・踊り子↓

人物画家のルノワールはこの後印象派から離れて行きました。


ルノワール・パリの人


ルノワール・桟敷席




ドガ・バレエリハーサルオンザステージ


マネが描いた当時のカプシーヌ通り


モリゾー


モリゾー


版画家ブラックモンは北斎漫画を発見した人物だそうです。





日本の影響が!




アカデミー.・デザール主催のサロン・オフィシエルでは画家の名前のアルファベット順に絵が飾られていたそうです。当時40万人の動員があったそう。


 長くなるので続きは次回のブログに書きます。