さて、ずっとずっと昔・・・
私が舞台で歌い始めた頃はクラシックの歌のコンサートといえば一般の人にとって決して楽しいと言えるような雰囲気ではありませんでした。
舞台上で目下進行中の歌がなんという歌なのかプログラムを見てもサッパリわからなかったり、曲が終わったと思ってうっかり拍手をしたら周りから睨みつけられたり・・・
音大出身で音楽の世界にどっぷり浸っている私でさえこんなに退屈&窮屈なのだから、音楽家でもないお客様は一体どうやって耐えているんだろう・・・・
そんな疑問を抱き続けていた頃、或る《照明のおじさん》と知り合う機会がありました(申し訳ないことに今ではお名前を忘れてしまいましたが)。
その方は国立劇場演芸場の照明を担当してらして、「僕がいる日ならいつでもタダで入れてあげるから気軽においで!」と言ってくださいました。
お言葉に甘え時間ができると飛んで行き貪るように観る、と言う感じで通い始めた演芸場で落語をはじめとする古典大衆芸能に触れた私は、大衆芸能とクラシックの決定的な違いに気づいたのです。
クラシックの世界では、舞台に立つ演奏家の殆どは普段の生活では《音大の先生方》です。
《先生》と呼ばれる方々は、お金を受け取る時にお金を払った人からありがとうございましたとお礼を言われる非常に特殊な環境にいらっしゃいます。
普通はお金を受け取った側が「ありがとうございます」言いいながら頭を下げるのに《先生》だけは違うのです、少なくとも日本のお稽古ごとの世界では😣
因みに、フランスではお金を受け取ると先生(少なくとも私が今までに出会った先生方)は必ず「Merci ありがとう」と言います。
また余談ではありますが・・・
私は日本人なので、なるべく新札を探しそれを綺麗なポチ袋に入れて「どうもありがとうございました」と頭を下げながらレッスンが終わった時に差し出しますが、多くのフランス人生徒はお店で支払う時のような感じで先生にお金を渡すみたいです。
閑話休題。
舞台の上でも日頃の癖で《先生》である彼らの態度はどこまでも上から目線、「前もって曲の勉強をしてから私の歌を聞きにきなさい」と言う姿勢。
でも大衆芸能の《芸人さんたち》はお客様の下に回り込んでお客様に奉仕することに徹しています。
そうか〜ここが決定的な違いなのね、と気づいた私。
若さも手伝って生意気にもクラシックの歌のコンサートを変えてやる〜と息巻いて《NAOKOの気軽にクラシックしまSHOW !》と言うタイトルでワンマンショーを開くことに致しました。
こうして1998年〜2008年まで毎年、ほぼ年に2回のペースでこのコンサートを続けました(その主な会場は今はもうなくなった『駒場エミナース』でした)。
楽しいクラシックのコンサートにする為にはどうしたら良いか、あの頃の私なりに知恵を絞り。
① クラシックに精通していない方の耳にも馴染みのあるような曲目を多くプログラムに盛り込む。
② 曲と曲の合間に面白いトークを入れてお客様にリラックスしていただく。
③ 難しそうな曲の場合は最初にどういう曲なのか解説をしてから歌う。
④ 毎回ゲスト(色々な楽器奏者や異なる声種の声楽家)を招きバラエティに富んだプログラムにする。
⑤ ゲストにソロを演奏してもらっている間にドレスを変えて1回のコンサートで休憩も含め最低3回お色直しをする《クラシックを歌うバービーちゃん》を目指す。(幸い当時はそれを可能にする位には若くて可愛かった笑!)
今ではクラシックの歌手が舞台で喋るのは当たりまえになりましたが、当時は非常に画期的なことで、少なくともこの点においては私はパイオニアであると言う自負があります。
そしてあの頃は時代も良かった・・・・
笑いを取るためにかなりブラックなジョークも連発しましたし、例え一般的な意見とは異なる意見(しかも殆どの場面で私は常に多くの人と意見が違うので、笑)を舞台で堂々と披露しても許される世の中でした。
しかし、時代は変わり「もの言えば唇寒し」の昨今。
うっかり多くの人が支持する意見に真っ向から反対する意見など言おうものなら(別に私は有名人ではないから炎上とまではいかないにせよ)何を言われるかわからないのが今の世の中。
自分と同じ価値観をもっていると確信できる人、育った境遇や生い立ち諸々が似通っている人、など限られた《ごくごく内輪》でだけ自由に自分の意見を言い、それ以外の場では『あまり多くを語らない』のが無難と、さすがの私も少し気をつけるようになりました。
加えて、今回はピアニストが日本語を全く解さないフランス人でしたので、うしろで手持ち無沙汰にされているのも気になると言う理由で舞台でのトークは最小限にとどめました。
今回舞台でのトークが少なかった一番の理由は以上です。
しかし実は他にもあるのです、それについては③で書くことに致します。
つづく・・・