4月19日(水)快晴🌞


パリ近郊の街 サンジェルマンアンレイへの一泊旅行。

2日目の19日は今回の旅の最大の目的地《モンテ・クリスト城》を見学に行きました。


そもそもこのお城に興味を持ったのはこのお城の事をFBで紹介していたサンジェルマンアンレイ在住の友人のおかげです。

今回、お願いして彼女に案内して頂きました。


ソプラノ歌手である私にはこのお城を建てたお父さんのアレクサンドル・デュマ以上にオペラとしても有名な『椿姫』の作者であるフィス・デュマの方により親しみがあるのですが。

因みに今回のお城訪問でこのフィス(息子という意味の仏語です)・デュマはアレクサンドル・デュマが若い時に作った私生児だという事がわかりました。


さて、話を戻しましょう。


サンジェルマンアンレイ城(←ルイ14世が生まれたお城)の直ぐ近くにある、その名もなんと❗️アレクサンドル・デュマ劇場の真ん前から出ている259番のバスに乗ります。


この前から出発、2.5ユーロをバスの運転手さんに直接支払って乗車です。


3つ目のバス停「エルミタージュ」駅で下車すると、そこはポール・マルリーです。

バス停で降りた時、すでにかなり高い場所にいましたが、さらにここから軽い登山(笑)


丘の上に建つお城を目指します。


あ❣️着いたと思ったらフェイントでここからは入れず、さらに登ってお城を回り込んで上から入るようになっていました。


ここが入り口。


紙の地図はないという事なので迷うといけないので一応写真を撮ります。


今回得た知識で簡単にデュマの事を書きますと.....

1802年7月24日に生まれたアレクサンドル、母親は黒人奴隷でした。

道理で独特な風貌、19世紀の事ゆえ生涯周りからの差別に苦しんだようです。

生涯で書いた戯曲は総数117にも及ぶそうです。しかもそれら全てが上演されたというからすごいですね。きっと出自のハンディをバネとして頑張ったのでしょうか。

私など『三銃士』『巌窟王』『王妃マルゴ』くらいしか知りませんが😅

余談ですがイザベル・アジャーニ主演でヒットした映画で有名な『王妃マルゴ』(本名はマルグリット・ド・ヴァロワ)が生まれたのもサンジェルマンアンレイ城だそうです(1553年)。

なんか色々繋がってくる〜🤩👍高校生の頃あんなにつまらなかった歴史の授業が嘘のよう(笑)

そしてあの頃きちんと勉強しなかった事が大いに悔やまれる😣

繋がる〜と言えば彼もまた目下私がハマっている《コメディ・フランセーズ》とも深い関わりがあるのでした。ウフフ😉


では写真でご案内......


ペチコートを逆さに開いたような枝ぶりの木、フランスでは時々見かけますが日本では珍しいような.....


地図の①から⑧をたどります。


巌窟王だけあって🤭




ここは彼が書斎兼オフィスとして使っていた建物です。(地図の⑥) シャトー・ディフ。




池の中の浮島に建っています。




残念ながらこの建物の中には入れませんでした。






向こうに見えているのがモンテ・クリスト城本体です。






水の中に建っているから高床式住居?





オフィスから本宅へ向かいます。地図⑦


左の端に見えているのが、来る時に最初に見つけた門です。ここから入れたら近かったのに😔

地図ではトイレ❌となっています😝


真正面から


本宅側から見たオフィス


よく見ると建物全体に彫り彫りがいっぱい、凝った建物です。


こんなに痩せていた時もあったのですね(笑)

















彼の重みに耐えた椅子。




ジャン・マレー






チュニジアから職人を呼び寄せて作らせた本格的なアラビア風のお部屋。






















三銃士とダルタニアン


お城から戻る時には来た時と違う道を通ることにします。




その前にお城の裏側に回ってみます。


地図④


ドラゴンの噴水

こういうのを見るとつい掃除して拭きたくなる貧乏性のワ・タ・ク・シ🤣





地図③




小さい売店ですがなかなか面白いものがありました。

このブックエンドも思白い❣️


帰りも同じ259番のバス停の反対側から乗ってサンジェルマンアンレイに戻り旅も終わりとなりました。


この2日間最高のお天気に恵まれ(少し寒くはあったけれど)とっても楽しいひと時でした。感謝❤️

お付き合いくださった友人のITOKO さんにも感謝です❤️