ユニークな中国風サロンの次は
④ダイニングルーム
ペン画は彼にとって詩作の合間の楽しみだったそうです。
書くだけでも忙しいだろうにその上さらに描く作業まで😵凄い〜!
ダイニングルームの次は
⑤緑のサロン
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VHの肖像画
レオン・ボナの描いた本物はヴェルサイユ宮殿に収蔵されている。
記念館開館に向けてコピー作成をボナの指導のもと行なったのはボナの弟子、ダニエル・ソベス。
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ガーンジー島で思い立ち身につけた《立ったまま書く》作業を帰国後も引き続き習慣とした。
立ったまま書く為に特別仕様で作った机。
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1900年、ポール・ムリスはロダンにこの胸像を発注した。
《英雄の胸像》と呼ばれる。
緑のサロンの次は寝室です。
⑥寝室
1878年、終のすみかとなるエロー通りに移りました。
この部屋はそのエロー通りの館の寝室を忠実に再現したものです。家具調度品は孫のジョルジュとジャンヌが寄贈しました。
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1885年5月22日午後13:27にVHがヴィクトルユーゴー通り50番地の自宅で亡くなると、画家、イラストレーター、写真家などがその偉大な文豪の最後の姿を永遠にとどめようと詰めかけました。
6月1日
学校、商店、劇場などすべてが閉まり、大掛かりなVHの国葬が執り行われ多くの人が見送りました。
葬儀の音楽監督をつとめたのはサン=サーンスでした。
パンテオンに埋葬されています。
文豪としての偉業のほか、死刑廃止や貧しい子供の救済などにも尽力しました。
さて、アパルトマンの見学はここで終わりです。
ではデッサン展の方へ行きましょう。
測ったわけではありませんが、これらは 2センチ×2センチだとか1センチ×3センチくらいの大きさ。驚くほどの小ささです。
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額縁にも絵を描いてしまうのがお気に入りだった時期があるようです。
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ピアニストではないけれど(笑)私の手と比べてみたら結構大きな手でした。
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これは⑤の緑のサロンで見た《立ったまま書く机》の前にいるVHを Adrien Matie が描いたもの。
この絵は階段の踊り場に架けられている関係上、光で反射するのを避ける為に斜めから撮りましたのでちょっと見づらいですが.....ご容赦ください。
まとめ
VH記念館はユーゴーが16年間賃貸で住んでいた場所が後に記念館になったもの。
83歳で亡くなった時に住んでいた場所に因んで現在の地下鉄駅名や通り、広場の名前がつけられた。
不明な点:
解説には終のすみかはエロー通りと書いてありますが、亡くなったのはヴィクトルユーゴー通り50番地となっています。エロー通りとヴィクトルユーゴー通りが交わる場所は現在の地図では見つかりません。もしかして当時はエロー通りだった通りがのちにヴィクトルユーゴー通りと名を改め、エロー通りという名称は別の通りに振り分けられたのか.....謎は残っているので研究の余地ありです。
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このEylau (エロー) 通りも我が家のすぐ近くです。
ダウンロードしたVHアプリ内に残念ながらデッサン展に関する説明がなかったので、こちらに関する説明が不足ですみません.....
ただ私の印象からすると彼のデッサンは決して明るい感じではなかったです。まあ当時のペン画で使う画材の問題なのかも知れませんが.....
その辺りは詳しくないのでなんとも言えません。
今回の見学でヴィクトルユーゴー自身に関しての知識は少し増えたものの、歌に登場する彼の詩は難解なものが多くて相変わらず手を焼いている私です😅💦
皆様にはVH記念館の見学お楽しみいただけましたでしょうか?
今夏訪れて未だにブログに書けていない場所&事柄がまだまだたくさん残っています。
夏が終わる前にこれらについて頑張って書こうと思っています。
引き続きご覧頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。