先月、RESALONの役員の1人が亡くなった。
 
 出会ったのは4年前。
「僕、大腸癌ステージ4まで行って余命1年宣告されたんですけど、
抗癌剤なしで色々やって治っちゃったんですよ、はっはは。
佳恵さん、これ読んでみて、役に立つから」と笑いながら
著書を渡された。
 
 

 え? この人が余命宣告? と疑うほどの明るさと元気さで
私は一気に興味が湧いた。 
 
彼はヒト幹細胞培養液の第一人者で、
日本にヒト幹細胞培養液を広め、
そして、今なお広め続けている人だった。 
 
彼との出会いは、彼の会社が開発したヒト幹細胞培養液
Activart」のブランディング&PRをお引き受けしたことが最初だった。
 

 
生意気に聞こえるかもしれないけれど、
ブランディング&PRをお引き受けする上で一つだけ決めているルールがある。
 
それは「これはいい!」と自分が使いたくなるもの、ということ。 

私が経営しているブランディング&PRの会社
「One to Ten」はその名のとおり、
ブランドコンセプト作りから商品開発、デザインなど様々なクリエイティブ、PR、
販促まで1から10まで携わらせてもらっている。
 
だからこそ、愛情が持てるものでないと難しい。
 
その点、数年前に知ったヒト肝細胞培養液は、
大大大満足だった。
 
8年近く薄毛に悩んだ私が、ありとあらゆるものを使っても
治らなかった薄毛が、このスカルプケアを使って治ったのだから。
 
そこをスタートに、「育毛美髪専門サロン」を
作ることになったのだが、
その時、「じゃあ、一緒に作ろうよ」というありがたいお言葉をもらい、
役員になっていただいた。
 
私が代表取締役だけれど、数字のことはてんでわからない。
顧問税理士さんに「佳恵さんは数字見ただけで拒絶反応示しちゃうもんね」
と笑われるくらい。
 
野中さんに事業計画書を作ってもらい、バランスシートを作ってもらい、
私は、ただひたすら、RESALONが世の中にいかに必要か、
思いだけをを語りまくって、銀行に融資をお願いした。
 
思いだけは自信がある。けれどロジックや数字もないと通用しない世界を突破し、
今のRESALONができたのは、間違いなく野中さんのおかげ。
 
RESALONがホームケアを作るときに、
「ヒト肝細胞培養液のスカルプローションをODMしたい」
というわがままも快諾してもらった。
 

 
 
野中さんは、自分が癌を克服したことから、
「予防医学」にもとても詳しくて、
私も自身が40台の多くの時間を病気で失った経験から、
「予防医学」にとっても興味があった。
 
髪や頭皮を根本改善する「RESALON」の次は
体を根本改善に導くクリニックがやりたいね、とよく話していた。
 
野中さんは同じ話を、ご友人で、日本で唯一の機能性医学の認定医師の
齊藤糧三先生とも話していたらしかった。
 
そんな折、齊藤先生が、パーマの影響で髪が薄くなり、
RESALONに通うようになってくれて薄毛が解消したのをきっかけに
3人で話が盛り上がり、去年の秋に「細胞機能再生クリニックRECLINIC」がオープンすることとなった。
そのエピソードはこちら
 

 
そんな中、野中さんの癌が転移し、先月、帰らぬ人となった。
 
野中さんがいなかったら、
ActivartにもReSALONにもReHOMECAREにも
ReCLINICにも出会えていなかった。
 
感謝の言葉をどれだけ言っても足りない。
 
けれど、野中さんに一番感謝すべきは
「生きることへの強い気持ち」を間近で見せてもらったこと。
 
お亡くなりになる間際まで、
諦めず、癌と戦い続けた姿は本当に尊敬の言葉しかなかった。
 
そんな彼の人柄もあってか、先日行われた
「お別れの会」はたくさんの人が集まり、とても和やかだった。
 
 

 
あまりにも素敵な会で、私は思わず、横にいた相棒に
「私も、お葬式じゃなくこれがいい! みんなに美味しいもの食べてもらいながら
、もう、全く佳恵さんてさ〜」っていじられながら見送られたい」とお願いした。
 
「わかりました」と言ってくれたので、そうなるだろうと安心している。
 
野中さんが残してくれた、Activart、RESALON、
RECLINCを大事に守っていくことが私の使命だと思っている。
 
命は限りあるもの。
そんな当たり前のことを忘れがちな毎日、
野中さんは今も私に
「今この瞬間を120%で生きな、楽しみ尽くしな^^」と
いうメッセージを送り続けてくれている。