と言っても、グランドオープンしたのは

5月12日。

 

もう3ヶ月もたってしまいます。

 

2005年2月にCanCamをやめ、

2006年夏までニート。

 

「このままじゃまずい。仕事をしよう」と

2006年9月、

まずはあてもなく会社を作り、

とはいえ、仕事なんてすぐにいただけるわけもなく

「うーむ、悩んでても仕方がない。できることから始めよう」と

自分が興味あること、得意だと思ってること、を発信すべく

当時まだ流行り始めの

ブログを開設しました。

 

知り合い4人くらい通してたどり着いた

サイバーエージェントの方に

「私、元編集者で有名人でもなんでもないですけど、

頑張って人気ブログにしますから

お願いですからオフィシャルでやらせてください!」と頭を下げ。。。

 

サイバーエージェントのご担当者さんに快諾してもらって

無事ブログがスタート。

 

とはいえ、仕事もなく、毎日暇。

なものだから、

仕事のことを書きたくとも書けず

当時から大好きだった美容のこと、

今思ってることなどを

暇に任せて書き綴っていたら

美容の取材をいただくようになったり、

美容関連の仕事をいただくようになって。。。

 

それから、昔のつながりで

芸能界デビュー当時CanCamモデルだった

藤原紀香さんから

「本を出したいから、佳恵ちゃんフリーになったんなら

プロデュースしてくれない?」と

声をかけてもらって。

 

2007年8月、

彼女初の美容本となる

「紀香バディ」をプロデュースさせてもらい、

ラッキーなことに美容本では異例の14万部の大ヒットとなり

それをきっかけにさらにお仕事の依頼が増え、、、

そんなことをしているうちに

美容メインのPRやコンサルの仕事が中心になって。。。

 

 

母でもある自分が

「ママだって女である瞬間を楽しんでもいいじゃない?」を伝えたくて

代官山に

託児所付き総合美容ビル「rinato」を作ったのが

2010年9月。

 

rinatoの総合プロデューサーとして

一定のギャランティをもらえる予定が

「資金不足」を理由に一度ももらえず、、

しかしながら、走り出したrinato、

もうすっかり愛していたので

無償で続けること2年、

経営不振によりオーナーが3人代わり

2012年6月

投資家をしている3人目のオーナーに

「私はrinatoを買ったのではなく、渡辺佳恵を買いました。

なので、今あなたがやってる会社は潰して、

rinatoの社長をやってください。

今あなたが住んでるマンションは会社で契約します。

そのほかに、あなたに毎月お給料を出します」と言われ、

あまり気乗りはしなかったものの

rinatoのためなら、、と

了承したものの、

何しろ、大学四年の時から

フリーランスの編集者として従事し、その時まで

一度も雇われの身になったことがない私は

雇われ社長が性に合わず、

さらに、そのオーナーと経営方針が合わず

「努力は大好きだけど、我慢は苦手」派としては

後先考えず、やめます!と宣言。

 

オーナーは

「いいですよ。でもその代わり明日マンションを出て行ってくださいね」と。

はい、と返事をしたものの

銀行の残高を調べるも

2000円。。。

 

43歳の初夏、私は全財産2000円でホームレスになりました笑

 

とはいえ、持ち前の楽観的思考で

「なんとかなるでしょー」と

ホテルに宿泊。

 

たまたま食事に行った昔からの友達に

「今、ホームレスなんですよ」と笑い飛ばしたところ

「ほんと? うち、旦那が急に転勤になって

私が仕事遅い日、子供の面倒見る人いなくて困ってたの。

なべちゃんならうちの娘とも慣れてるし、

料理上手だし、部屋も空いてるから、そこに寝泊まりしていいから

うちに来ない?」と言ってもらい、

居候。

 

とはいえ、居候生活も申し訳なく

早く自活せねば、と

「なんでもします!仕事ください!」と知り合いに頭を下げまくり

マンションの敷金礼金をため

8月末にホームレスを脱出。

 

しかし、わずか2週間ですがrinatoの社長になった時に

エージェントとも縁を切るよう言われ、

覚書も書かされた関係で

そこに頼ることもできず、

かといって

「プロデュース」だの「コンサル」だの

ふわっとした私の仕事にすぐに安定的に依頼が来るわけもなく、

「人に頼らず、自分で安定収入を得るにはどうしたらいいのだろう」と考え、

ホームレス前にしていた料理教室を定期的に開催することに決め、

それができるキッチンのある部屋を借りました。

 

でも、これが可能だったのも

ブログを長くやっていて

募集をかけるとお客さんが来てくれるおかげ。

 

二度にわたり、ブログに助けられた人生となりました。

 

当時、仕事という仕事といえば

料理教室しかなく、

他は暇だったので、

流行っていた「あまちゃん」を朝から何度も見るか、

パズドラをするか、、、しかやることがなかったのですが

そんなことも言えず。。。

 

そんな時に限って

「忙しい人の時間術」なんて取材の依頼が来たりして、、、

逆側の立場だったことも長かった身としては

「週に2、3回料理教室やってる以外は、

朝起きて、あまちゃん見て、パズドラしてお昼寝して、またあまちゃん見て、、

そんな毎日ですかね」と答えるわけにもいかず

ちゃんと忙しかった頃のことを思い出して

取材に答えたのを覚えています。

 

その後、ポツポツとお仕事をいただくようになり、

ようやくスタッフを一人雇えるまでに復活。

 

しかし、アラフォー向けの美容雑誌の編集長の話をいただくも

創刊号を発行後、2号目を作ってる最中に

出版社が倒産、

またしても取りっぱぐれてしまったり、、と

相変わらず波乱万丈な毎日を過ごす中、

「コンサルとかPRとかスポットじゃなく

トータルでブランドを作りたい!」という思いのもと

「1から10まで関わって、1を10にするお手伝いをします!」という意味を込めて

2014年4月、会社名をone to tenに変更。

 

その後、

トータルでブランディング&PRをやらせてもらえるブランドが増え

スタッフも増え、業務が拡大し、

広尾に一軒家を借りれるまでに。

 

地下がプライベートルーム、

一階と二階がワークスペース、

3回が娘の部屋、というその一軒家での生活にすっかり慣れた頃、

さらにクライアントが増え、

そこだけでは手狭になり

青山にオフィスを構えることに。

 

一軒家生活で「昼は家でスタッフとランチする」生活がすっかり気に入ってしまった私は

家も青山に引っ越し。

 

そして

「今やっている仕事はどれも楽しいけれど、完全自社事業がやりたい」と

思う中、

自分自身の長年の悩みだった薄毛&髪の毛バサバサ問題が解決した

メソッドと商品の出会いをきっかけに

美髪育毛をさらに深掘りし、

試しに、知人の美容院の一部屋を借りて

「RESALON」を始めたのが

2017年7月。

 

予想どおり、RESALONは人気を博し、

勝負をかけたくなった私は

生まれて初めて事業計画書なるものをかき、

銀行に借金を願い出て

無事、

2018年5月12日

個室5部屋の

「RESALON」をオープンさせることとなりました。

 

最初の起業から12年目。

ホームレスもニートも経験し笑、

RESALONを日本のみならず世界に広げたい、と

株式会社化し、

今はone to tenとRESALON、2つの会社を

経営させてもらってます。

 

つい6年前までホームレスだったことを思えば

青山のヴィンテージマンションに住めていることも

本当にありがたい。

 

自分が波乱万丈な人生を送って来たからいうわけじゃないですけど

でもね、思うんですよ。

人生はいつからだって

始められる、って。

 

スラムダンクの名セリフにもありますよね

「諦めたらそこで試合終了だ」って。

 

今はまだこの表参道本店と

銀座のポップアップショップの二軒しかない

「RESALON」ですけど

今までたくさん失敗して来て学んだ分、

その学びを生かして

ちゃんと軌道に乗せ

一人でも多くの髪に悩む人を救えたらいいな、と。

 

RESALONはこんなサロンです!って

説明しようと思いましたが

私よりお客様の方がより上手に説明してくれてるので

そちらのリンクを貼っておくので、

よかったら読んでみてください。

 

https://1970agingcare.net/beauty-spot/resalon-20180808/

 

http://media45.hatenablog.com/entry/resalon-reports

 

http://mickey.828.girly.jp/?eid=1027363

 

またサロンの最新情報は

インスタで発信してますので

よかったらチェックしてください^^

https://www.instagram.com/resalon.co.jp/

 

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