今日、8月19日は

娘の誕生日。

 

17年前の今日、

荻窪の病院で娘を産んだ日です。

 

それから3週間ほど

実家に帰っていたのですが

思えば、あの3週間が

私の人生でもっとも心がキレイだった気がします笑

 

娘の寝顔をみているだけで

幸せで涙が出てきて

お見舞いに来てくださる

編集部の方の

ワチャワチャ話に

いつもだったら

「へーそれで、それで〜」って前のめりになるところを

「そんな話、聞きたくない」なんて気分になってしまい、

娘と埼玉の実家で穏やかに過ごすことだけが

一番の幸せと感じていた3週間。

 

しかし、人間そうそう変わらないもので笑、

3週間もすると

そんな日々にすっかり退屈してしまい、

母と大ゲンカ。

 

予定を早め、すたこらさっさと吉祥寺の家に

戻ったのを覚えています。

 

そこからは

「娘もかわいいけど、早く仕事に復帰したい」モードになり、

翌年の4月に仕事復帰するはずが

11月には仕事に戻っていました。

 

母のお手本のような

うちの母には

「もうすこし待てないの? なおちゃんがかわいそうよ」と

なじられましたが

「いや、将来、私は、あなたのせいで

やりたい仕事も我慢したのよ、とか

恨みがましく思われるほうが彼女はかわいそうです!」などと

のたまい、仕事復帰。

 

気心知れたスタッフばかりの現場だったので

ロケバスに乗っけて

よく撮影にも連れて行きました。

 

本当に娘は小さい頃から

いろんなところに

連れまわされ、

いろんな人にママ代わりになってもらったり、

可愛がってもらったおかげで

人見知り一切なし、

すぐ人と仲良くなれる、という

特技を身につけましたが

彼女にしてみれば

そうやって生きていくのが処世術だったのかもしれない、と

思うとすこーしだけ胸が痛みます。

 

それから本当にいろいろありました。

 

 

小学校に入って

お友達とうまくいかず悩んでたこと、

受験して私立中学に入ったものの

校風になじめず

どんどん彼女らしさをなくしていくのを

ただただ見守ることしかできなかった日々、

高校で別の学校に転校するも

勉強に興味が一切持てず

下がり続ける成績。

 

「アイドルになりたい」と言い出し

両親と言い争い、

挙げ句の果てにプチ家出を繰り返した頃。

 

あの時は一番辛かったなあ。。。

 

小さい頃から駄々をこねて

ママを困らせることもなく

本当に優しくて

私よりよっぽど大人で

そして、夫が育児にとても協力的だったこともあり、

あまり育児に苦労したことがなかった分、

ここに一気にきたのかあ、と

思うほど。

 

話し合いを重ね、

彼女の熱意に根負け、

そんなにやりたいなら頑張りなさい、と

いう結論にいたり、

そこからは彼女が奮闘。

 

もうすぐデビューする、らしいです笑

 

オーディションを受けては落ちまくっていた頃

「ママがどこか事務所紹介してあげようか?」

と思わずいってしまいましたが

「ママの力を借りちゃなんにもならない。

自分で頑張る」といった一言は

頼もしかったなあ。

 

こんな感じだった娘ももう17歳。

 

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これから、芸能界の荒波にもまれまくって

たくさん傷ついていくんだと思うけれど

可愛い子には旅をさせろ、というので

アイドルとして成功しなくとも、

いろんなことを経験して

成長してくればいいと思ってます。

 

そんなことを思いながら

誕生日おめでとうLINEを書いてたら

涙が出てきちゃって。

 

娘の誕生日は

自分の誕生日なんかより

よっぽど思い入れがあるわけです。

 

となると、母も同じ気持ちなのかも、ですねー。