半年間いろいろありました〜闘病日記vol.3〜 | 吹田補聴器センター the認定補聴器専門店!

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~吹田市の認定補聴器専門店「吹田補聴器センター」のブログ。補聴器の紹介や耳そうじのご案内をしています。~

認定補聴器技能者の kazuco です

 

闘病日記 vol.1

闘病日記 vol.2

 

 

の続きです。

 

6月、7月の夫の行動は

メガネの方で、眼鏡士のaya が詳しく…でもないけど

書いていますので、そちらをお読みください

大阪・吹田市のメガネは長江 ブログ

 

さて。

7月、私の潰瘍が小さくなって、

先生曰く「嫌な影」を見つけて、検査に出していた頃、

 

夫は、35年勤めた 北千里道場の練習生たちに別れを告げ、

ホスピスに入所しました。

 

腹水が溜まり、痛みも増し、

モルヒネの量もどんどん増えていきました。

 

私と言えば、

軽い食事(といってもお粥)を食べて、検査結果を待っているだけ、

また、先生の診察も3日に1度くらいしかないので、

病室ではヒマでヒマで。

 

娘が借りてくれた漫画をかたっぱしから読んだり、

外出許可を取って、夫の見舞いに行ったりしていました。

 

私、ホント、真面目な性格で、

実は、漫画というものを読んだことがなかった…

もちろん、0ではないので、量が少なかった、といった方がよいかしら。

 

そんな漫画初心者の私に、娘は苦労して、厳選に厳選を重ねてくれました。

絵がドギツイのもムリ、話の内容が面白くないものもムリ。

と、漫画ならなんでもOKではない私のために

忙しい中をよく選んでいたと思います。

 

娘が私のために選んだ漫画

 

3月のライオン

アシガール

深夜食堂

海月と私

女帝 由奈

俺物語‼︎

信長のシェフ

ふれなばおちん

SUPER G

図書館の主

 

コメディとシリアス(?)なもの玉石混合というか、

なんか、よい感じのチョイスでした。

 

勉強になったのは、「図書館の主」。

3月のライオンも好きでした。

映画になっていたことも知らなかったので、

今度、DVDを借りてもらいます。

 

アシガールはプッと吹き出す軽さで

サクサク読めました。

 

この中で一番面白かったのは、やはり

信長のシェフ ですね。

18巻が今の所、最新刊ということで…

次号をまだかまだかと待っています。

 

 

話が逸れましたが、まぁ、これも闘病日記の大きな部分を占めるものなので、

健忘録的に書き出しておきました。

 

 

7月末。

私の 嫌な影は ガンではなかった、との結果が出ました。

 

翌日8月1日。

なんとなく、夫の見舞いに行かなくては!

と思ったので、外出許可を取って、夫のホスピスに行きました。

 

その時は、思っていませんでしたが、

これが虫の知らせだったのでしょうか。

私は、「ガンじゃなかった!」という知らせをしたかっただけなのですが。

 

夫の病室に行くと、いつもと変わらず、迎え入れてくれました。

腹水が溜まっているので、あまり水分が取れなかったのですが、

血液の数値でも脱水症状はひどい状態でした。

 

夫は、水が飲みたい と言ったので、

医師に止められていましたが、

もう、いいか。 と思って、一口 お水をあげました。

これが 末期の水 になりました。

でも、良かったと思いました。

水を飲み、ホッとした表情になっていたので…。

 

私の 影はガンではなかったことを告げた後 

安心した顔で他愛のない話をしていました。

 

もう一度、「そうか、ガンじゃなかったか。よかった。」

 

と言って、大きく息を吐きました。

 

その息の…なんと言っていいのか…

こんなに…もう随分やせ細ってしまった体の中に、

まだこんなに残っているのかと思うくらい、

たくさんの量の息を吐きました。

 

それは、人間の生臭い、人間臭い、息でした。

そして、軽く息を吸い、

 

また、息を吐きました。

さっきよりも深く、身体中の空気を抜いているような…

 

カッと目を見開いたと思ったら、静かに閉じ…

 

息を小さく 吸って…

 

 

 

次の吐く息を待っていましたが、次はありませんでした。

 

 

私はしばらく…と言っても、たぶん2〜3秒程度だったと思いますが、

何が起こったのかわからず、

 

「吐けへんのか〜ぃ」と大阪人特有のツッコミをして、

ナースステーションに駆け込みました。

 

「ちょ・・・聴診器を貸してください!」

 

ナースたちは呆然。

 

今となっては笑い話ですが、

他人の医者よりも、自分が確かめたかったんですね、きっと。

 

なぜ、聴診器を借りに行ったのか、

思い出すだけで、吹き出しますが。

 

8月1日 16時05分 夫は旅立ちました。

 

すぐに娘に電話。

1時間後、お店の臨時休業の手配をした 娘と 

公文で勉強していた 孫が到着。

 

孫はそれから2時間、泣き続け…

娘は葬儀屋の手配、親戚や仕事関係に連絡やら

テキパキと事務処理をこなしました。

 

私は、娘と入れ替えで、病院に戻らなければいけなかったので、

あとは、任せました。

 

それからは、湯灌や着替えやら、

孫は全てを手伝ったそうです。

 

10時頃、息子が東京から帰阪。

通夜や葬儀の打ち合わせに特別外出許可を取って、

私も参加し…。

 

翌日 8月2日 通夜

明け 8月3日 葬儀

でした。

 

実は、このタイミングが絶妙で…

よく、まぁ、このタイミングで死んだな、と思うくらい。

 

お寺さんに連絡をすると

通夜には、すでに先約があり、遅い時間しか来てもらえなかったのですが、

反対にそれがこちらにとっては都合がよく。

15時までお店を開くことができました。

 

8月4日からお寺さんがお盆のイベントで二日間来られない、ということと

火葬場もいっぱいで…8/3の午前中なら空いている、とのことだったので、

朝一の葬儀、火葬…午後2時には親戚は家路につけるという…

 

そして、その日は定休日の木曜日という…

 

さすが。

最後は商売人の意地を見せてくれました。

 

 

 

私は、外出はできても、外泊はできなかったので、

葬儀場と病院を行ったり来たり。

全て、息子と娘に任せていました。

 

 

怒涛のような8月第1週が過ぎ、

あっという間に、お盆が来て…

8月末生まれの私は、病院で誕生日を迎えました。

 

お盆の頃、

潰瘍は全て綺麗に治ったのに、舌の割れと熱が下がらない症状は続いていました。

 

内視鏡やCTでいくら検査しても、原因不明。

 

とうとう、

「とりあえず、開腹手術をしてみましょう」

ということになりました。

 

どうも、回盲部の収縮が酷く、内視鏡も入らないし、

CTにも映らない、ということで、

 

「開けてみなくちゃわからない」という結果に。

 

手術の説明では、東京から息子が、定休日だった娘も参加してくれましたが、

 

コレが原因だとは思うが、開腹手術の結果100%治る、とは言えない。

という担当医の説明に対し、

 

娘は可笑しくて、笑っていました。

 

「やってみなきゃわからない」モノに…

「やってみても違うかった〜テヘペロ」の可能性があるモノに、

この、何があっても文句言いません の用紙にサインをする意味がわからん、と。

 

 

9月。

何でもかんでも笑い話にできるのが、うちの家族の強みだと改めて実感。

手術は成功しました。

 

収縮してしまった回盲部を切り取り、大腸と小腸を直接つなぐ。

 

イメージはソーセージやね

娘の一言で妙に納得したり。

 

 

翌日から、嘘のように熱は下がり、

3日後、あれだけ痛かった舌が痛くなくなってきました。

 

半年間、ずっと痛み続けていた舌。

長かった…

本当に、長かった。

 

1週間後、とろみだけのお粥から、少しブツブツが見える3部粥に。

すぐ5部粥にするとまた熱が出るといけないので、

少しずつ、ご飯を食べたら、様子をみて、熱を測りながら…

 

それでも、あっという間に普通食に戻りました。

 

9月中旬。

予定よりも早く退院。

 

怪物並みの回復力です。

自分で言うのもなんですが…

 

 

翌週、夫の満中陰でした。

間に合わないと思っていましたが、

これも、タイミング。

 

 

今は、完全に普通食ですが、

チョコレートや刺激物を食べると下痢をします。

 

結局。

阪大病院では、一切、薬の処方はありませんでした。

 

潰瘍は、絶食で治ったし。

熱も舌も 回盲部切除で治ったし。

 

あの、5月の親不知、抜かなくても良かったんじゃないの?

と思うこともありますが、

 

まぁ、全身 断捨離 をした。

少々、大げさでしたが。

 

 

ということでしょうか。

 

 

以上がこの半年に、私に起こった身の上話でした。

 

 

絶食のせいで15キロ痩せました。

今は、3キロ戻しました。

 

もっと、もっと筋肉もつけながら、健康になりたいと思います。

 

これからも、末長くよろしくお願いします。

 

 

長江和子