私とスタ☆レビ その2 | 「楽」を一緒に探しに行こう✰すいの『星をみつけた人生』

「楽」を一緒に探しに行こう✰すいの『星をみつけた人生』

14歳のときスタ☆レビに出逢い、当時から根本要さんを師匠と仰いでました。人生いろいろ経験して、スタ☆レビと自分の在り方を重ね合わせ、書き留めておこうと始めたブログです。
本音と臨場感がモットーです。

こんにちは、すいですニコニコ
ご訪問して下さる方、いつもありがとうございますおねがい



⤴️こちらの続きですウインク


私が初めて貸レコード屋さんで借りたスタレビのアルバム「VOICE」🎶

1曲目の「街まで50マイル-My Old Friend-」を聴いたときの気持ちは今でも思い出せます真顔

「この曲、カッコいい❗気持ちいい❗」
軽快なベースの疾走感とスピーカーから部屋中に拡がるサビの重厚感🎵
テレビから流れてくる歌謡曲しか聴いたことのなかった私にとって、このバンドとコーラスが奏でるサウンドは、新鮮で衝撃的でした爆笑

そんな乾いた感じの楽曲の次に現れたのは、まるでグロッケン奏法のようなキーボードの弾ける音とけだるそうな天使とでもいった歌声✨「Baby, It's You」
かっ…かわいいびっくりびっくり
世の中にこんな音楽があったんだ!という感動👏


今でも「街まで50マイル-My Old Friend-」が終わって「Baby, It's You」のキーボードが鳴るまでの数秒間がたまらなく好きです🥰



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注1.こちらは、純粋な、いちスタレビファン(要さん寄り)の項のため、主観的、マニアックな要素多く、人格変わりますあせる

注2.セトリ、アーティスト公認のネタバレがあります真顔


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ヤンタンで要さんに出逢ったのが、1987年の春🌸
その頃、私の住んでいた地元ではスタレビのスの字もほぼ見たことがない(私がですよ❗)環境でした😅
(実際は、パイオニアチャリティコンサートや星くずにスヰングツアーで数年に一度という感じで来られてます。)

ところがそれから半年ほど経った頃、怒涛のスタレビ攻撃がわが町にやってくるのですびっくり

1987.11.2.   作陽短大学園祭
1987.11.27. 山陽放送開局35周年記念ライブ
1988.10.23. サッポロワインポレール'88
                        (昭和天皇体調悪化のため自粛)
1988.12.17. MUSIC SHOTGUN クリスマスライブ
1989.2.28.   Look'n For You RENDEZ-VOUSツアー

この頃同時に、「Stay My Blue 〜君が恋しくて〜 」がメニコンのCMに抜擢され、全国ネットの音楽番組にスタレビがぞくぞくと登場していきます📺

好きになりたてのホットなところに、視覚的な情報がどんどん入ってくるという、まさに「会えば会うほど好きになる」現象が私の中で起こり続けました🤣

それでも中高生なので、行動範囲は広くなく、地元でのツアーライブ参加、CD購入、メディアやファンクラブでの情報収集に勤しむ日々🙂

そのうち大学生になり行動範囲も広がり、神戸ワールド記念ホールのクリスマスコンサートなんかも行ったりしていましたクリスマスツリー
当時、Wowowで生中継された「STARTIC'92」沖縄コンベンションセンターでのライブ映像は、いまだに私の中で最高傑作のひとつです✨MC完コピするぐらい観ました爆笑当時から要さん、「スタッフ、カメラの人達に大きな拍手ー!」て言われてましたね照れこれは、自分達の公演のカーテンコールでもパクってました🤭
と同時に、私自身の交友関係も広がっていき、音楽や舞台活動にも夢中になり始め、私の中のいろんなバランスが変わり出していた頃でした真顔



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ちょうどその頃、


ヤンタンが終わりました。


週1で聴いていた要さんの生声が聴けなくなり、自分の中のスタレビスペースに少し穴が空いた感じがしました。

それでも、当時リリースされた「SOLA」や「楽団」のアルバムは大好きでした。
「楽団」を聴いたとき、作品としての完成度の高さ、音楽性の充実さは、最上級に達したと感じました。


なのに、


三谷さんがいなくなりました。


誰かが辞めたということは、要さんが前から言っていたように、スタレビは解散するんだと思っていたのに、届いたファンクラブの会報にあったのは、「新たなスターダスト☆レビューとして頑張ります。」というメッセージでした。


私の中では、要さん、柿沼さん、三谷さん、寺田さん、VOHさんの5人がスターダスト☆レビューでした。

だから訳がわからなくなって、ちょっとだけスタレビが遠くに行った気がしました。


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その後、アルバム「艶」が発売され、
「あ、本当にスタレビやるんだ。」と妙に冷静に、でもホッとしたのを憶えています。
「空がこんなに青いはずがない」や「この胸で泣けばいい」を聴いて、
「あ、要さんの音楽だ。」と感じました。
ラジオから流れてきた「トワイライトアベニュー」を初めて聴いたときを思い出しました。
スタレビでありながら、新たなアーティストを発掘していくような、「艶」のアルバムに慣じんでいくような、そんな気持ちで聴いていました。


そんななか行われたのが、初めての志度❗1995年7月29日虹テアトロン野外ライブでした❗❗


新生スターダスト☆レビューの始まりへの高揚感アップ光田くんの生み出す新鮮な音色使い音譜荒削りだけど枠がないような自由を感じる演出🌟ステージと客席の一体感の濃さに至るまで、今までとは確実に違う新しさがあり、それでいて懐かしさもきちんと融合されたライブは、海をバックにしたロケーションの素晴らしさとも相まって、誰もがテンション上がりまくりだったことでしょう⤴️
すべて終演し、思いがけず花火の打ち上げ🎆まさに感動を超えた先❗
BGMは「めぐり逢い」でしたっけ?(記憶が前後していますが😅)とにかく静と動のコントラストに、終わったあとは笑いながら泣いていました🤣

なんだか、戸惑いながら後ろの方をトボトボ付いていってた私を、スタレビが「来いっ!」と言って手を引っ張ってくれたような感じがしました照れ


それから3、4年の間は、地元でのツアーライブとテアトロン参加が定番になっていきました💃
自分の結婚式で「Simple Song」を使ったり、スタレビのコピーでアカペラ活動したりなんかもしていましたニコニコ


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しかし、人生には他にもやらなきゃいけないこと、考えることがたくさん出てくるもの真顔
ライフイベントは、いつでも一定ではありません⛈️
このあと、ある山場を迎えたのち、スタレビとの距離はちょっとずつ長くなっていきました🌌