今週末は子供の運動会。

またこの時期がやってきたよー。

あー、いーやーだーふとん1

 

コロナから自分の子の学年だけ観覧したら退場するシステムになったらしく、昔のように場所取りやお弁当もなくて保護者の負担は減りました。このシステムになってなかったら、本当にどうなっていたか。

 

旦那さんの親は、旦那さんが生きているときから疎遠。

私の親は、出産後の退院当日とお宮参り、孫を抱っこしたのはその2回だけ。他には年2回ほど、こちらに来た時にランチするだけ。ちなみに母は働いていないし、私は一人娘。そして旦那さんの親と疎遠なことも知っている。

 

…あれ?キョロキョロ

​​​​​​

ともかく、そんな私ひとりで場所取りもお弁当作りも観覧もするのは、いろんな意味でしんどい。

もし場所取りシートに私だけが座っていたら、間違いなく『今日は旦那さん来れなかったんだ?』と悪気なく同じ支援級の保護者さんに訊かれて、私が適当に誤魔化す図がみえる…見えるよー魂が抜ける

 

でもそれは訊いてくる方々が悪いわけじゃない。

だって旦那さんの事は誰にも言っていないから泣き笑い

それは隠したいというより、そういうことを話すほど仲の良い保護者さんがいないから。

保護者会などの行事のとき、挨拶と少し雑談するくらいの仲でいきなり

 

『実は旦那さんが脳腫瘍で亡くなってー』

 

とか言えない

 

私も支援級に入学したての頃は、

支援級は人数が7人とかで少人数だし、

子供が色んな不得手のある育児をしているいわば仲間みたいなものだから、もしかしたら色々話せるかもキラキラ

と思っていた時もあった…。

でも支援級にいるからといって、みんな同じ困りごとではない。

ある子は運動はできるけど感情面が不安定だったり、ある子は大人しいけれど運動ができなかったり、それぞれ出来る事も出来ない事も違っていて障碍の程度も違うので、それぞれ保護者は口には出さないけれど

 

『あの子って運動できるし、話しても普通に見えるし、どうして支援級にいるんだろ?』

 

と、お互い思いあっている(ことが多い)

それゆえ話すときに、とても気を遣う。

 

息子も一見普通に見えるし、なんなら他の保護者さん達とよく挨拶して受けがいい。実際、普通級にいる保護者さんから「~くん(息子)、普通級でもいいんじゃない? こっちのクラス(普通級)にもっと困った子がいっぱいいるよ」と言われたこともある。

でも息子はかなり運動能力が低くて、自己肯定感の低さやダメ出しに対して極端に弱く、すぐ泣いてしまう。幸い、切り替えは早く、いつまでも落ち込んでいることはないので、旦那さんのことでも今は一見元気だ。もちろん会話でよくパパの話はするけれど、泣いてしまうことはない。

 

話を戻すと、ともかくそんなわけで仲良しの保護者さんはいない。

だから旦那さんのことを話す機会もなければ、

もし話したとしても親しくないので、

同情的な視線と言葉をもらうだけと分かっている。

 

でもそれが悪いわけじゃない。

ただ私が、そういうものを今は欲していないし、

なんなら要らない泣き笑い

それに話した後にそれがその家族内に広まり、なんなら伝書鳩が飛び交い、あっという間に私も知らない人たちが私や息子の状況を話し出すことになる可能性もある。私が、この人だれ?ひらめき と思うような人もみんな私の話をするのかと思うとやはり楽しくはない。

 

そんなわけで息子の学校関係の保護者さんは、今の状況を誰も知らない

もちろん学校には話してあるので、それでいいかと思っている。

今後もし奇跡的に他の保護者さんと仲良くなれることがあれば、話す機会があれば話すかな、くらいの気持ちでいいかな。

 

 

だから運動会は、色んな意味でしんどい(本題に戻った)

もとから運動会は、支援級の息子が普通級に混ざって、同じように競技やダンスができるか、それだけでも十分に心配だった。運動会の列で、息子が後ろの子(普通級)から『お前早く行けよ』ばりに背中を押されて急かされたりしている場面を何度みてきたことか。

 

加えて今は、旦那さんのことを話せる人がいない。

そもそもこんな大変な事があったら真っ先に話していた相手が旦那さんなのだ。

大変な事が起こったら話す→旦那さん→いない→❓

 

そんな自分と対照的に周りは、

子供の頑張りを誰に遠慮することなく話せる夫婦だらけ。

それに対する嫉みと悔しさ

 

 

そして何より

 

旦那さんがもうどこにもいない事を実感する痛み

 

だって、もし旦那さんが元気だったら、絶対運動会観に来てた。

横に一緒にいて、いっぱい話してた。

運動会観た後に一緒に帰りながら、

お昼ご飯どうする?って言って、一緒にお昼ごはん食べた。

 

そんなことが、もうできない。

それだけのことが、もうできない。

できる人が羨ましい。

 

痛みなく、運動会に行ける人が羨ましいよ。