北海道の名付け親の松浦武四郎はすごい男だった。 | ミトコンドリアは元気の基本です。

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現在幸せ。でも年齢には勝てないのか?い~やまだあきらめない^^

今日歴史ヒストリアで紹介された松浦武四郎。

何と三重県の松阪市の出身だった。


彼はただの旅好き男ではなかった。

まあ若いうちはそういわれても仕方ない

生き方をしていたようだが、


まあ今日は彼のことで知らなかった面が

あまりにも多かったので

感動しながらテレビを見てしまった。


今までのヒステリアでは

武将などが紹介されることが多く、

内容も力の対決であったり、


騙し合いで勝った生き残ったなど

結局のところ自分の側を守るということが

多いストーリーから何の変哲もないような

武四郎は


人間としての手本のような心を持った

偉大な人間だったことが、

同じ三重県の人間ということが誇らしい。


旅が好きというだけならそんな人は

当時でもいくらでもいたかもしれないが


彼が行ったのは当時、蝦夷と言われた

未開の土地で、


尚且つ、その地の困窮を調べるという

調査という立派に仕事といえることを

知っていて、決意して赴いたということ。


そしてそのことを十年以上、

計六回もその地に赴き調査を続けたということ。


なぜそんなことが出来たのだろう?


それは、アイヌ人の心を知ったからではないだろうか


かれらは野蛮に見える中に神を知っている

人間たちだった。


そう心の人種だったのだ。

武四郎という人間も素晴らしかったのだろうが、


蝦夷のちのどこでも武四郎は彼らの

親切なもてなしに感激していたようだ。


その証が彼が綴った二十四冊に編纂された

蝦夷を紹介する冊子である。


そしてそのことで、蝦夷の第一人者と目された彼は

蝦夷のちの整備の監督のような役を任ぜられた。


だがその条件として彼は、アイヌ人を大切に

扱うことを進言したのだ。


だが残念なことに現実は彼を幻滅させた。


おかみ(御上)は商人に甘くすぐに元に戻って

アイヌ人をきつく働かせて


武四郎を裏切ることになる。


そのことを嘆き、武四郎は

その地位を捨て、おかみに


おまえたちは人間じゃないと批判を

書いた辞表を出し、


その後71歳で亡くなるまで

畳一枚の住まいで生活したようだ。


それは、自分のふがいなさを戒め、

アイヌの人と心を一にしようとしたのでは

ないだろうか。


一番言いたいことは、

政治家は今も何も変わってないということだ。


震災後の対応も、

原発の対応も、

沖縄の基地も、

安全保障の無視も


政治家は心を失くしている。



松浦武四郎の爪の垢でもと言いたいが



勿体ない。俺の爪の垢で上等だ^^