「一番最初に思ったことが本心」



とか



「フッと降ってくるのが直感」



とか



わたしはこの案件には



納得がいかずに過ごしています。




なぜかと言うと…




「最初に思った」と言うそれこそ



わたしの慣れ親しんだ「思考クセ」としか
思えない。



本人が言うのだから



間違いないと思う。



「降ってくるアイデア」も



想定外に見えて想定内。



だって、意外と言えども



いつもの行動の先にあるヤツで



やらない想像がつく。



自分のことだから



だいたいわかる。



何が怖くて



何に自信を失くしやすくて



何を認めたくなくて



何から逃げているのか。



それらに



向き合ってもいいし



別に向き合わなくてもいいと思います。



面と向かったところで



自分に変わる気がなければ



意味がない。



変わりたい思いを



誰かにぶつけてもなんにも解決しないし。



変わる約束を



自分にしても



1番当てにならないから。



そう、要は自分を信用してないのです。



自分を信じてない人は



人に自分を信用させるようなことを



言ったりしたりする。



自分に空いた信用の穴を🕳



人から信用してもらうことで埋めようとする。



そういう自分に対する



イライラのジレンマが大きくなると



誰かに本音をぶつける行為になりがち。



そんな「当たり」を繰り返すより



怖がっている自分を認めて



自分にぶつけてみる素直な勇気を実行すれば



人間関係は



もっともっと豊かなものになっていく。



わたしたちは



1人では生きていけない。



神仏や宇宙の繋がりとの前に



目の前の家族を含めた人たちとの



関わり方が断然大事。






人の「言ったこと」や「したこと」に



モヤモヤして振り回されるのは、



その人を信じていないから。



引いては、



その人との関わり方に不信感を持っているから。



人との繋がりより



人との関わり方という



切なる行動が大事。



ふんわりしていても



神さまとは過ごせない。



しっかりとしているから



周りの人に神さまを見いだすことが出来る。



それこそが



神さまと過ごすということ。





今日はこんな文章を書いてみたまで。





粋龍