何を信じるかは自由です。



それと



信じたものをどれだけ信じるかも自由です。




いくつ信じてもいいし



いくつかを深くでも、



あるいは広く浅くでもいい。





それとそれと…



「信じない」を信じても大丈夫です。



「信じる」の波乗りをしてもいいし。





もう、要は



どっちだっていい!





なぜならば、



信じた結果
自分がそうであったという経験を積むだけで、



信じたものがそうであったと言う
「結果」を出しただけ。





信じたものは悪くないし



信じたあなたもバカではない。





人はそんな



アンニュイな感じが得意な生き物。



だからこそ



「守ってもらう」「導いてもらう」に



傾きがちだと言えます。





それはそれでいいじゃないか!



弱さでも



強くなるためでもないよ。



わたしたちはそういうもの。





責め過ぎても


求め過ぎても


自分が疲れるように設定されてるから。



「行き過ぎれば分かる」
「足りなければ求める」



そんなもの。



上手にこの人生の旅をしよう。



「余力があれば歩き出す」
「疲れたら休む」



定期券の次の駅まで行きたければ
乗り越し料金を払い、



買った切符の目的地前で
用事があれば降りればいい。



そんな大したことではないよ。



決めたことを
決めたように進むより、



信じたことを
信じたように生きる。



そんな時期もあるのです。



人生にはどちらもやってみたい時期が
あるのです。




今日はこんなところです。




わたしたちの流れは



もっとラクに楽しくなる。






平らけく


安らけく


神さまもわたしたちも


ますます安寧に


包まれゆくように





粋龍