神さまや宇宙と繋がりたい思いは



消して正しい意識的な行為ではない。



常々、それらに思いを馳せていようが



困った時の神頼みであろうが、



神さまや宇宙は



わたしたちに一切、公平であるので



わたしたちがつい比べてしまう



「あの人より神さまと繋がっている」なんて



人間臭いスケールは持ちあわせていない。






偉くないのだ!



現実的に頑張る生き方も



非現実的に流れに任せる勇気も



偉くはないのだ!





そんなことに囚われて



動けなくなったり、
(自由を求めすぎた反動で)



自信がなくなったりして
(人と比べることで見出した自分らしさにより)



自分が好きか?正直か?という



薄っぺらいのか情熱的なのか



どっちともつかない疑問を抱き続けるのは、



本当に人間だけ。



永遠のテーマであろうと思われる。






あなたはあなたでいいし、



わたしももちろんわたしでいい。



あなたはあなたの管轄にいて、



わたしはわたしの管轄にいる。



全ては一つである前に、



それぞれ個々であるという役割がある。



その役割を担ってこそ、



全体の一部として活きるのだから。





役割には「果たす」という



重い足枷はない。



担うだけ。



担当。



そう言う係。



「1学期は図書係ね!
2学期は飼育係ね!」といった感じ。



いくつも係をした経験があるから、



協力もできるし、してもらえる。




「わたしたちの時は、こんなことを考えて
こんな活動をしていたのに…」



なんていう暇があったら、



今の役割に集中していたい。



「あの係してみたいな」と憧れるなら



今の係を全うすることに全力を注ぎたい。
(そうすることで立候補する自信がつく!)



どんな係でも



関わることで



集団が機能するのだから。





今世での自分の係を受け入れて、



小さくもデカくもならずに
(謙虚すぎたり威張ったりせず)



誠心誠意、〇〇係です!と誇りを持ちたい。



そうすることで、



魂の集合体である地球の役割を



「人間」として担うことになる。



だからわたしたちは



今こうして生きているだけで



お役に立っているのです。



特別な何かをすることを企てなくても。



今日はこんなところです。



わたしたちの流れは



穏やかに良き方に変化します。






平らけく


安らけく


神さまもわたしたちも


ますます安寧に


包まれゆくように




粋龍