令和の平和教育はどうあるべきか | 酔竜の館 新館

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私は備後国に生まれ育ち、途中10数年を除き40年ほど広島県で過ごしてきました。小中学生の頃は8月6日は夏休み中に数日ある登校日で、平和教育を受けてきました。今の職場で数年前までは長老の影響か、8月6日の8時15分にはにはNHKのテレビがつき、その流れで自分のブースで黙祷していました。それ以外は個人的には黙祷はしていません。

 

戦争と平和と平和教育について自信を持って語れるわけではありませんが、現状の平和教育に閉塞感を感じているのは事実です。1年のうち1分間黙祷するだけで免罪符をもらったつもりになっている、というと言い過ぎでしょうか。1年のうち数時間以上平和のことを考えている方にはもちろん当てはまりませんが。

 

今はわかりませんが、私の子供時代は昭和の歴史はほぼ教わることはありませんでした。進行が遅くなりそこまでたどり着かなかったというのが大義名分かもしれませんが、まともに教えるとかなり波風が立つというのが真相だと思います。その時代背景、日本がとりうる戦略、そうせざるを得なかった事情、など必ず真実はあるわけですが、はっきりさせてしまうと困るのかもしれません。

 

日本人と日本社会はそういうあいまいさを大事にしてきたので、それ自体は私はいいと思います。しかし21世紀に入ってから、なにもかも白黒つけようとする風潮、調べればある程度のところまではわかってしまう情報社会、こういう影響であいまいさが通用しなくなってきています。

 

その頃の日本の正義を考えると、おそらくロシアにも正義はある、ウクライナにも闇がある、と考えるのは全くおかしくないでしょう。サダム・フセインにも正義はあったのかもしれませんが私はそこまで勉強していません。勉強すればするほど闇の世界に引きずり込まれそうで、怖いのです。

 

令和の平和教育はどうあるべきでしょうか。私は子供たちには情報戦争を生き抜くすべを教えることしかできていません。報道を鵜呑みにするな、いろんな情報や意見を取り入れ自分の頭で考えよ、このくらいです。ロシアにもウクライナにも一方的な肩入れはしていません。学校の先生方は本当に大変だと思います。

 

そういう意味では「日本人としての良さを伸ばし誇りを持つ」というのは1つの進むべき道かもしれません。「他人の幸せは自分の幸せ」、「おもてなしの心」、このあたり目指していればだいたい大丈夫でしょう。「白黒つけない」も入れたいですね。難しいですが。