2ヶ月半ぶりのご無沙汰です~、スイレン宗匠です。

この3ヶ月、農業経営と育児で忙しい日々を過ごしておりました。Twitterのほうでは「占星術の鑑定をしばらく休止します」と告知しておいたのですが、うっかりブログに書くのを忘れてしまって、鑑定専用のメールアドレスには数十件の鑑定依頼が溜まっておりました(汗)。本当に申し訳ございません・・・・。意図的に無視していたわけではないんですよ。

日付の近いものに関しては、今、こちらから一件ずつ返信を出しておりますが、時間がかなり経ってしまったもの(5月以前の依頼)に関しては、もう一度、依頼し直していただけると助かります。相談していたテーマがすでに解決されている方もいらっしゃるでしょうから、改めて仕切り直したほうが良いかと思います。

さて、最近の私は「量子力学」にハマっており、関係する文献を片っ端から読み漁っております。熱中し過ぎて、右目の毛細血管が破れてしまったほどです(実話です)。

なぜそれほど熱中したかと言うと、量子力学が到達した「この世界の実相」と、2500年前にお釈迦様が解いた「空の思想」が全く同じものだからなんです。

これは大げさではなく、本当に「完璧に同じ」なんですよ。

2500年前、菩提樹の下でお釈迦様が悟りを開いた時、「あぁ、こんな難しいことを人に話しても、誰も理解してはくれないだろう」と絶望したとされています。それぐらい「説明しにくい難解な内容」だったわけですね。
そこにヒンズー教の神であるブラフマー(梵天)が現れて、「私がいろいろとサポートしますので、どうか世の中の人々に悟りの内容を説法してください」としつこく懇願し、それでお釈迦様もしぶしぶ「説法の旅」を始めることになったんです。
ちなみに、もともと対人恐怖症気味だったお釈迦様は、最初に「シカの群れ」を相手に説法の練習をしたそうですよ(笑)。

お釈迦様が悟った「この世の真実」とは、「この世界には実体がない」ということです。もっと簡単に言うと「この世界は心が作り出した幻に過ぎない」ってわけです。

意味わからんですよね(笑)?

この世界がすべて「原子」でできていることは中学校時代に学んだと思います。その原子は、原子核・電子・中性子などでできていますが、このような物質の最小単位のことを「粒子」と言います。

この粒子には不思議なルールがあり、「人間が観察している時は粒の性質」であり、「人間が観察していない時は波の性質」を有しています。これを「粒子の観測問題」と言います。

つまり、この世界は「人間が見ている場所だけが物質として実体化しているのであり、見ていない場所はモヤモヤして曖昧な波の状態である」というわけです。

文系の人には「はぁ?何言ってんの?」と言われそうですが、これは「二重スリット実験」など、数十年に及ぶ物理実験により、すでに科学的に証明されている真実なんですよ。

あなたは今、スマホかパソコン画面でこのブログを読んでいると思いますが、その「誰も見ていない背中側」は、モヤモヤとした霧のような状態になっているんですね。「そんなはずないでしょ?」と後ろを振り向くと、その瞬間に素粒子が実体化して、あなたがイメージした通りの世界が「見えるようになる」ということです。だからどうやっても「波の状態」が観測できないし、真実に気がつけない。

これはコンピューターゲームをイメージしてもらえると分かりやすいと思います。3Dゲーム画面の中では、プレイヤーが観測している部分だけが物質としてモデリングされていて、見ていない部分は「単なるデータ」としてのみ存在しています。
プレイヤーが観測していない背中側や、ビルの向こう側は文字通り「実体がない」「映像として成立していない」のです。

要するに、神様がこの世を設計した時(ビッグバンが発生した150億年前)、基本原則としてコンピューターゲームと同じシステムを採用した・・・ということなのです。

日本で一番人気のあるお経は「般若心経」ですが、あれにもこの世は「色即是空 空即是色」と書いてありますよね?

色とは「物質」のことであり、空とは「実体がないもの」を意味する言葉です。直訳すると「物質とは、それすなわち実体なきものである」となります。

量子力学的に言うと、「観測によって確率の波が収縮し、物質となる」と表現されます。つまり「観測者」がいなければ、この世界はただの「可能性の集合体」に過ぎないのです。

現代では、物理実験や3Dゲームを引き合いに出してこうやって論理的に説明できますが、お釈迦様の時代に「この世界に実体はない」と言ったところで、それを理解できる人は非常に少数だったと思うのも無理はありません。
お釈迦様の絶望感が手に取るように伝わって来ますね(笑)。

それでも、その時代にも「ケタ違いの天才たち」はたくさんいたようで、般若心経の主人公になっているシャーリープトラ(舎利子)を始めとする釈迦の高弟たちは次々のこの真理を理解し、悟りを開いて行きます。

この世界はあなたがイメージした通りの見えているのであり、あなたと私が見ている世界は「必ずしも同じではない」ということです。

世界は「可能性を秘めたエネルギー」に満たされているだけの存在であり、それを実体化させているのは私たちの「意識」なのです。意識がなければこの世界は「カオス(混沌)」でしかないのですね。

「ヨーロッパは敵だ」とプーチンが信じている限り、彼の目に見えるのは「ロシアを攻撃しようとしている悪意ある人々」だけでしょうし、「女性は不当に差別されている」と上野千鶴子が信じている限り、彼女の目の前に現れる現実は、その信念を補完するものだけになります。
すべて「その人の心が実体化させている」だけであり、不変の真実としての「理不尽な現実」が存在しているわけではないのです。

逆に「世界は愛にあふれている」と信じる人の周りには親切な人しか現れませんし、その人が騙されたり、不当な差別に遭うこともないでしょう。

この世界は「空」であり、その基本ルールを知っているからこそ、イーロン・マスクは世界一の大富豪になれているのです。イーロン・マスクは「この世界は仮想現実である」という理論を心の底から信じているそうで、だからこそ「心をコントロールすることで好ましい現実を意図的に生み出している」のです。それこそ、マトリックスの主人公ネオのように・・・ですね。

この話は長くなりそうなので、数回に分けて少しずつ説明して行きましょう。

それではまた~。

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