日々コレ ~音楽とブログと~

日々コレ ~音楽とブログと~

日々感じた事や出来事、思い出とその日の音楽など
日記、備忘録

雪が降る降る今日の北海道。

きのう出張タイヤ交換の仕事をしている知人に依頼して、タイヤを交換してもらうことができた。
知人はいろいろな資格を持ち、定年退職後、いくつも仕事を掛け持ちしている。
大変じゃないのかなぁ、と思うんだけれど、いつもゆったりとしていて、長年続けている趣味も楽しんでいる。

きのうは天気も良く、知人の丁寧な仕事ぶりを見て、雪が積もる前にタイヤの交換ができてホッとした。

その日も彼は他の仕事の合間に来てくれていた。

「寒い中、大変だったでしょう。本当にありがとう」と言うと「タイヤ交換は普段動かさないところを動かすから、いいストレッチになるんだわ!」と笑顔で言ってくれた。

知人も仕事の依頼は嬉しかったようで、会話をしながら距離も近づけた気がして私もうれしかった。


明日の朝は氷点下の予報で、ここ数日、夜中に少し肌寒さを感じていたのもあって気合いを入れ、寝る前に掛け布団を羽毛布団に替えた。

布団に入ると、ふわぁ〜っと軽くて温かくて幸せな気持ちに包まれた。

はぁ〜、幸せ。替えて良かった。

夏の肌掛布団の後は、化繊わたの少し薄手の掛け布団に替え、本格的に寒くなってくるとふかふかの羽毛布団に替える。

わが家には大きな押し入れがなく、これらの布団の出し入れがひと仕事なのだった。 


週末の今日は雪が積もったせいか、いつもより人出が少ないような気がした。

人気のカフェも空いていた。

静かに降る雪を眺めていたら、気持ちが落ち着いて、温かな気持ちになっていった。





今日、北海道文化放送の倉本聰さんの追悼番組『ありがとう北の国から〜北海道に遺したもの〜』を見た。

『北の国から』大ファンのますだおかだの増田さん、中嶋朋子さん、富良野塾生だった、俳優や脚本家の方々が出演されていた。

ドラマ同様に温かい番組だった。

この番組は実際にドラマのロケで使われた『北時計』(現在は『喫茶・ギャラリー あかなら』)という喫茶店で行われ、ログハウスの店内が木の温もりに包まれていて、それがさらに番組に温かみを与えていた。

やっぱり木って良いな〜、と感じた。


1932年生まれの母の実家が馬を10頭ほど飼い、駅前で馬車屋を営んでいた。

町が発展していく時代で、家業もどんどん発展していき、山を購入し、そこで伐採した木を運び出し売っていた。

その木で町に橋をかけたりもしていたらしい。

母が19歳の頃に母の父親は亡くなり、その後すぐに母の兄が放蕩の末に山も二束三文で売ってしまったということで、今は所有していない。

この辺のいきさつにはいろいろと事情があった。

初めてその話を母から聞いた時には、「母の実家が山を持っていたなんて!」とびっくりした。


それはさておき、番組を見ていて、母の実家は木材に深い関わりのある仕事をしていたんだよなぁ、と思い、うれしい気持ちになった。 


肌寒く、晩秋が近づくといつも思い出す風景がある。

20 代の頃に入っていた地元のバイクのクラブで函館の大沼に行くことになった。

倶知安町から国道5号線をずっと南下して。

晴れた秋の日だった。

バイクを持っていなかった私はメンバーの方の後ろに乗せてもらった。

大沼に着いて帰り道「運転してみるかい?」という事でバイクを貸してもらい走った山あいの道。

ほとんど通る車もなく、静寂の秋の透き通った空気の中をバイクで走った。

周りに見えるのは山の木々だけ。

それだけなんだけれど、忘れられない。

バイクは買えず、自分で運転した数少ない機会だった。


安全地帯のこの曲を聴くとその時の風景が浮かんでくる。

1983年の曲です。

ここ数年、とても好きなマンガがある。

年に2回単行本を発行しており、とても待ち遠しい。

オンライン通販に予約注文すれば、発売日に家まで届けてくれてとても便利だけれど、最寄りの書店に取り置きして貰っている。

この書店がずっとあって欲しいな、という思いで。


子どもの頃も地元倶知安町のY書房に好きなマンガ雑誌を取り置きして貰っていた。

『週刊マーガレット』や『月刊りぼん』など、発売日を待ち、わくわくしながらY書房に向かっていたのを思い出す。

小学5年生〜中学生の頃だ。

マーガレットには当時大好きだった「エースをねらえ!」や「ベルサイユのばら」が連載されており、続きを読むのが待ち遠しくてならなかった。


当時、倶知安町にはN堂や、B堂という大きな書店があった。Y書房は小さな書店で、私の家からは一番近かった。

お店には優しそうな小柄な店主のおじさんがいた。

そしてしょっちゅう立ち読みをしている黒縁メガネをかけた学生服のお兄さんがいた。

このお兄さん、また立ち読みしてるなぁ…と横目で見ながら私はおじさんのいるレジに向かっていたのだった。

(後に、母の女学校時代の親しいお友達の息子さんだったと知る)

新刊本を受け取る時の、ときめくようなわくわくした気持ちを今でも思い出す。


待ち遠しかった今回の単行本は、発売当日に入荷しているかどうか電話で尋ねてみたところ「北海道は2日遅れで入荷するんですよ。取り置き致しますか?」ということだったので取り置きをお願いした。

「はい、かしこまりました!」と弾むような店員さんの声が返ってきた。

感じの良い店員さんだった。


お預けとなった2日間だが、わくわくの時間が延び、懐かしいY書房のことも書けたのだった。




先日倉本聰さんの訃報を聞き、ショックと寂しさを感じた。

数年前に『北の国から』や『前略おふくろ様』を夫の単身赴任先で夜、二人で観ていた。

毎回、二人で感動して観ていたあの時間は忘れられない。

札幌で行われた富良野塾の『悲別』の舞台公演を夫と観に行った時には、倉本聰さんが、ロビーにいらっしゃった。

舞台に感激して、一言だけ感想を伝えることができた。

近寄り難い方かと思っていたけれど、思っていたよりも気さくな感じがした。


TVの画面を通してしか知らなくても、ドラマを引き立てる魅力ある俳優さんや、好きなタレントさんが亡くなると寂しさを感じる。

パッと思い出すのは、田中邦衛さん、火野正平さん。

田中邦衛さん、人間味を感じさせる素敵な俳優さんだった。

田中邦衛さんなくして、あの『北の国から』はなかった。

火野正平さんはNHKBSの『こころ旅』を見て好きになった。

世間におもねない感じや、自由で、生き物や草花が好きで、心があって、ちょっとシャイな感じもあり…。

こりゃ、もてるよな、と思った。

好きだったな。

もっと見ていたかったな。


頭の中を流れるんだけど、どうしても曲名が思い出せない曲がある。

鼻歌で曲を検索できるアプリを試してみたけれど、見つからなかった。

70〜80年代の洋楽なんですけどね。

誰か教えて〜!😆


今年の夏はこの曲をよく聴いていました。

メロディーが『夏』って感じがします。

1982年のリリースです。





夫が入院した。

私は背中が時々痛むんだけれど、あまり辛い時は夫に背中に湿布を貼ってもらっていた。

入院中は、どうしようかと考え、近所のお友達のMさんに頼むことにした。

私と同世代でシングルの女性だ。

痛みが出た日は夜だったけれど、電話でお願いすると、快く引き受けてくれた。

湿布を持って、Mさんの家を訪れ玄関の中で湿布を貼って貰った。

その後、そのまま玄関先で少しおしゃべりをして、家に戻った。

帰り際に「いつでも、夜でも遠慮しないで声かけてー!」と言ってくれてうれしかった。

痛みも和らぎ、その日はいつもより良く眠れた。

考えてみると、こうやって気軽に声をかけたり、ちょっとした頼みごとのできる近所のお友達が何人かいる。

有難いことだな、と改めて思う。

夫にその話をすると「頼むの、勇気がいったっしょ?」と言われたけれど、Mさんなら引き受けてくれるだろう、という安心感があったので「いや、そんなことないよ」と答えた。


1976年リリースのシルヴァーの「恋のバンシャガラン」
懐かしい、好きな曲。
頭の中で曲は流れるんだけど、ずっと曲名が思い出せずにいた。
やっと思い出せた!





朝、ゴミ出しに外に出ると家の前で枯れ葉が転がるようなカサカサという音がする。

見回すとセミがひっくり返ってアスファルトの地面に羽を打ち付けもがいていた。

かわいそうにと思い、ちりとりを持って来て、そっと元に戻してあげた。

するとセミは重い足取りで歩いて行った。

安全な場所に戻っておゆき、と私は家に入ったが少し後で気になって見に行った。

するとセミはすぐ側にある電信柱の根元でじっとして動かないでいた。

えっ、もしかして命が尽きてしまったの?と切なくなり、またちりとりの上に乗せようとしたら、抵抗するかのように羽を激しくバタつかせた。

良かった。元気だったんだね。

土や植物のある所の方が良かろうと、家の前の小さな花壇に移してあげた。

いや、いっそ木々の生い茂る山の中がいいよね。

と、またちりとりに乗せて近くの小さな山に連れて行った。

登りやすそうな斜めに伸びている木の根元にそっと放してあげた。

するとセミは間もなく木を登り始めた。

休むことなくゆっくりと上へ。上へ。

見守っていたら途中、見失ったのでどこへ行ったんだろうか?下に落ちたりしてないよね?と木の周りを見回したら、私の背を越えた高い所を登っているではないか。

すごい…。

その生命力に感動した。

ずっと見ていたかったけれど、少し見守ってから私も家に戻った。

家に入ってからもあのセミ、どうしているだろうと思う私だった。

先日、以前から夫の行きたがっていた藤野にあるお店に行って来ました。

わっ!素敵。
緑に囲まれて、ロッジのよう。
蝉の声がすごくて、夏真っ盛りという感じ。


二人ともジンギスカンを食べました。
野菜もたっぷりで雰囲気も良くて幸せ。
その後、久しぶりに豊平峡温泉へ。
休憩室から見た庭の景色。
小雨まじりのお天気で、静かでしっとりとした雰囲気で落ち着きました。
こちらの温泉は日替りで男女の浴室が入れ替わります。
どちらの浴室も全く趣きが異なり素敵なのですが、私は岩風呂が好きで、夫はヒバで作られた浴槽が好き。
この日もお互いの好きな浴室でした。
この温泉に行くととても幸せな気持ちになります。
安心できる夫と一緒だからだな。
いつもありがとう。
いい一日でした。

2025年の帰省は感慨深く思いが強かったため、なかなか書くことができなかった。


今年も父の妹である叔母に会いに行きました。

久しぶりに夫と共に叔母の家におじゃますると、叔母が「〇〇ちゃん、これ、見るかい?」とアルバムの入った箱を持って来てくれました。

そこには祖父母や祖父母と同居していた曾祖母の初めて見る写真が入っていました。

祖母の子どもの頃の写真まであり、明治38年(1905年)生まれの祖母の子どもの頃の写真を見ることがあるなんて思いもよらなかった。

真ん中が子どもの頃の祖母。
多分、後ろにいるのが曾祖母。

曾祖母は祖母の母親で、祖母は確か四人姉妹の長女で、祖父は結婚して婿養子になって祖母の家に入ったようです。

私たちは曾祖母のことを「ばばちゃん」と呼んでいました。

ばばちゃんはもの静かな優しい人でした。

私の子どもの頃の最初の記憶は目の前で私をじっと見つめる穏やかな、でも何かを想っているようなばばちゃんの顔なのでした。

いつも着物を着ていたばばちゃん。

今はもう無い祖父母の家。
いつも家の前に花が咲いていてきれいだった。
家の裏では野菜を育てていました。
さやいんげんが可愛かった。
この家に祖父母、曾祖母、父たち子ども8人が暮らしていました。
この家の庭の前に舗装された道があるんだけれど、当時はほとんど車など通らず、そこが私たちの遊び場なのでした。
いとこたちとキャー、キャーとよく遊んだものでした。


 

 

 

 

 

 

 

なかなか「お盆の帰省」の続きに辿り着けないブログ(汗)


大雪に悩まされたこの冬の札幌。

その雪も日に日に溶けてきて春の訪れを感じるこの頃。

そう思っていたら少し前の朝、ゴミ出しに外に出たら、また冬に戻らんばかりに雪が静かに降っていた。

その風景がきれいだった。

今、降っている雪はほどなく溶けるでしょう。

そこに近所のMさんがゴミ出しにやって来た。

「せっかく溶けてきたのに、また降ってきたねー」と渋い顔で言う。

「そうだねー。でもきれいだね」と私が言うと、降ってくる雪を見上げ「悔しいけど、きれいだね」


あんまり降りすぎると大変なんだけれど、冬が終わるのが少し寂しく、名残惜しくも感じる。


1カ月前の風景。
買い物帰りにきれいだな、と思って撮りました。
街灯に照らされた雪の風景が何とも温かく感じました。