日々コレ ~音楽とブログと~

日々コレ ~音楽とブログと~

日々感じた事や出来事、思い出とその日の音楽など

2025年の帰省は感慨深く思いが強かったため、なかなか書くことができなかった。


今年も父の妹である叔母に会いに行きました。

久しぶりに夫と共に叔母の家におじゃますると、叔母が「〇〇ちゃん、これ、見るかい?」とアルバムの入った箱を持って来てくれました。

そこには祖父母や祖父母と同居していた曾祖母の初めて見る写真が入っていました。

祖母の子どもの頃の写真まであり、明治38年(1905年)生まれの祖母の子どもの頃の写真を見ることがあるなんて思いもよらなかった。

真ん中が子どもの頃の祖母。
多分、後ろにいるのが曾祖母。

曾祖母は祖母の母親で、祖母は確か四人姉妹の長女で、祖父は結婚して婿養子になって祖母の家に入ったようです。

私たちは曾祖母のことを「ばばちゃん」と呼んでいました。

ばばちゃんはもの静かな優しい人でした。

私の子どもの頃の最初の記憶は目の前で私をじっと見つめる穏やかな、でも何かを想っているようなばばちゃんの顔なのでした。

いつも着物を着ていたばばちゃん。

今はもう無い祖父母の家。
いつも家の前に花が咲いていてきれいだった。
家の裏では野菜を育てていました。
さやいんげんが可愛かった。
この家に祖父母、曾祖母、父たち子ども8人が暮らしていました。
この家の庭の前に舗装された道があるんだけれど、当時はほとんど車など通らず、そこが私たちの遊び場なのでした。
いとこたちとキャー、キャーとよく遊んだものでした。


 

 

 

 

 

 

 

なかなか「お盆の帰省」の続きに辿り着けないブログ(汗)


大雪に悩まされたこの冬の札幌。

その雪も日に日に溶けてきて春の訪れを感じるこの頃。

そう思っていたら少し前の朝、ゴミ出しに外に出たら、また冬に戻らんばかりに雪が静かに降っていた。

その風景がきれいだった。

今、降っている雪はほどなく溶けるでしょう。

そこに近所のMさんがゴミ出しにやって来た。

「せっかく溶けてきたのに、また降ってきたねー」と渋い顔で言う。

「そうだねー。でもきれいだね」と私が言うと、降ってくる雪を見上げ「悔しいけど、きれいだね」


あんまり降りすぎると大変なんだけれど、冬が終わるのが少し寂しく、名残惜しくも感じる。


1カ月前の風景。
買い物帰りにきれいだな、と思って撮りました。
街灯に照らされた雪の風景が何とも温かく感じました。


ブログを更新できないまま年を越してしまいました。


私たち夫婦は、一日の終わりに今日良かった事を言い合うことにしています。

それが終わると、夫は別室に行き、好きな番組を見ています。今はテレビ以外にもいろいろなコンテンツがあるので、楽しんでいるようです。

私は寝るのが早いので、寝室に行ったり、居間で少しテレビを見たりして過ごしています。

今日は最後に、「今日もありがとう」と言い合った後、ちょっとしたことで小競り合いになりました。

さっきまで、お互いに感謝し合っていたはずなのに小競り合い。

腹が立っていたのですが、少したってその状況に可笑しくなりました。


きのうは、初もうでに行って来ました。

毎年、近くの神社に参拝に行きます。

初めて絵馬に願い事を書き、絵馬掛けに掛けて来ました。

何だか楽しかった。

雪がちらつく中、いつものように甘酒を飲み、いい時間でした。


年末になると聴きたくなるこの名曲。
終盤素晴らしい歌声に鳥肌が立ちます。
アンドレア・ポチェッリとサラ・ブライトマン
「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」

ありがとう。2025年。
よろしく。2026年。



今年のお盆も故郷の倶知安町にお墓参りに行って来ました。

お盆中の混み合った中山峠の『道の駅望洋』に立ち寄り、車は喜茂別町から京極町に入ります。

この辺りから見る羊蹄山が一番形がきれいです。

京極町の広大な畑の連なる道を通り、ふきだし公園の側を通り過ぎ、倶知安町に向かう北海道道478号京極倶知安線。

左右に畑の広がる広々とした景色、遠くに見える倶知安町の町並み。

左手には堂々とそびえる羊蹄山

正面に見えてくるニセコアンヌプリとイワオヌプリ。

このまっすぐに延びる美しいのどかな道を通って倶知安の町の中に入ります。

何度見てもいいなぁと思います。


倶知安町に入り、昼食を取ることにしました。

慣れ親しんでいる町なのに毎回お店を探すのに悩みます。

国道5号線から比羅夫スキー場に入る道道343号線との交差点近くにその昔『マウント』という美味しいラーメン屋さんがありました。

大木をそのまま切ったような大きなテーブルと木の幹を切った椅子。

その後『マウント』は移転し、そこは別の食堂に変わりました。

(私の中の記憶なので、少し違っているかもしれません)

その店に初めて入ったのですが、味も良いし、店員さんの感じも良くて良いお店でした。

また新たな店の選択肢が増えてうれしい。


その後、元の実家のお隣のYさんに挨拶に行き、少し外で立ち話をしながら、わが家だった家を眺めて懐かしい気持ちに浸りました。

倶知安に帰った際の毎回の行事です。


父母のお墓は見晴らしの良い場所にあり、すぐ側には母方の祖父母や叔父、伯母の入ったお墓もあります。

両方に花を供え、お参りをします。

お墓参りをすると父母に会えた気がしてお墓に触ったり、話しかけたり、去り難い気持ちになります。


 倶知安町にその昔、布袋座という映画館がありました。

ここで昭和18年(1943年)3月6日、火災が起き208名の方の尊い命が亡くなるという痛ましい事故がありました。

昭和41年(1966年)にその慰霊碑が建てられています。


慰霊碑の手前にある仏様。
亡くなった方たちの魂を鎮めて下さっているのでしょう。
とても穏やかな顔をされています。

慰霊碑には82年経った今もお参りに来られた方の花や飲み物、菓子などが供えられています。
この慰霊碑の裏側には亡くなられた208名の方のお名前が全て記されています。
まだ10歳くらいだった私の父の兄の名前も記されています。

父方の祖父母の家の仏壇の上に、ご先祖様の写真と一緒に男の子の写真がありました。
学生服(学童服?)のような服を着て、学生帽を被った男の子。
幼い私は、どうして子どもの写真があるのだろうと、不思議な気持ちで眺めていました。
昨年、初めて慰霊碑にお参りに行こうと思い、墓地内のどこにあるのかを調べて探してみました。
なかなか見つけられなかったのですが、見つかった時には、こんなに父母の墓の近くにあったのかと驚きました。
ちょうど墓地の並ぶ場所から奥まった所に、人目にはつかない開けた場所があり、そこにひっそりと慰霊碑は建っていたのでした。
父のお兄さんの名前を確認し、あぁ、確かにここに眠られているのだなと思い、静かに手を合わせて来ました。




ほうほうの体で雷電を離れ、引き返した私たちは岩内町近辺の砂浜の海岸で休むことにしました。

海岸にはひと気がなく、近くには若いお父さんが小さな女の子を連れてきている姿くらいでした。

一応、水着は用意していましたが、お盆を過ぎていたので、海に入るのは躊躇していました。


海に近づくと、そこで生まれて初めてクラゲが海にいるのを見ました。

「わっ、本物のクラゲだー!」

クラゲが人を刺すこともその時は知りませんでした。


『お盆を過ぎたら海に入らない方がいい』とどこかで聞いた言葉が私の中に刷り込まれていました。足を引っ張られるからとか何とか。

お盆を過ぎるとクラゲが増えてきて、海に入ると刺されるから、ということだったのだろうな。


帰り道、Tちゃんと別れてから倶知安の町なかに入る手前で、職場の顔見知りのYさんと出会いました。

Yさんは私と同世代で、他の町から赴任して来た人でした。

自転車でツーリング中のYさん。

スクーターで遠出をしていた私。

それまで面と向かって話したことはなかったけれど、自転車とスクーターを停めて道端で並んで座っておしゃべりをしたのはいい思い出です。

話をしてみると、Yさんは明るい、さわやかな印象どおりの良い人だなぁ、と好感を持った私でした。

青春だな〜。


そんな感じで初めてのスクーターのツーリングは終わったのでした。




20代前半、私はスクーターに乗っていた時期がありました。

ヤマハの『CUTE』という黄色いスクーターです。

通勤などに使っていましたが、その原付で遠出をしてみたくて、友達のTちゃんを誘い、夏のある日倶知安町を出発し、岩内町に向かいました。

倶知安町の中心部から岩内町の中心部までは車で30分程です。


私たちは岩内町の町なかを抜け、雷電方面に向かいました。

雷電、寿都町方面に向かう国道229号線の雷電国道と呼ばれる区間は、かつては(この時は1980年代)海岸線の風景が美しい、トンネルがいくつも連なる道路でした。

その美しい風景を見たくて向かったのですが、トンネル内を走っていると法定速度30kmしか出せない原付がトラックなどが通る狭く暗い(当時)トンネルを走ることは無謀であったことに気づきました。

トンネル内で私たちの後ろをトラックが抜いて行くこともできずに困惑しているのを感じます。

この道の先にもいくつもあるトンネル。そこに向かって進んで行くという選択肢はもうありませんでした。

申し訳なさと怖さで、走っていたトンネルを出てからTちゃんと2人、今来た道を引き返すべく、必死で原付を飛ばしたことを思い出します。

また走って来たトンネルを通って…

 

20年近くたってからドライブでこの雷電国道を通ると、道路は様変わりしていました。

安全上の理由からトンネルや道は改良され、道内でも有数の長大な2つのトンネルなどが連なり、多くの人たちが安心して通行できる道路になっていました。

その代わりに、昔のような美しい海岸線の風景はほとんど見ることはできなくなりました。

ごく一部を垣間見ることはできます。

人目にはつかない所で、美しい海岸は今もそこにあり続けているのでした。


私は残念ながら訪れたことはないのですが、岩内町雷電にはかつて高台に温泉街があり、宿からは雷電海岸の美しい風景が見られたようです。

とりわけ、露天風呂などから見られる夕日は美しかったようです。

この雷電の海岸には、子どもの頃(昭和45年頃)に町内会の日帰り旅行で、海水浴に訪れたことがあります。

荒々しい岩場の海水浴場でした。

父が一緒だったので、よく覚えています。

丘の上の温泉施設を「どんな所なんだろう、行ってみたいな」と眺めていました。


ぼやけていますが、わが家のスナップ写真から。
海水浴に行った当時の雷電海岸の写真かと思います。







ウニ丼を食べた帰り道、夫が「さくらんぼを買いに仁木に行くか」と言ってくれました。

さっき私が「さくらんぼ、どこかで買って行きたいな」と言ったのを覚えてくれていたようです。

「回り道になるけどいいのかい?」とたずねたら「いいよ」と言うので甘えることにしました。

積丹半島を南下し、余市町に入り、余市川を渡ったら国道5号線に合流します。

まっすぐに進めば札幌方面、右折すると倶知安方面で、車で数分で仁木町に入ります。

道路の両脇には果樹園が広がり、直売所が何軒も建っています。


今は札幌の自宅から別のルートで倶知安町に向かうのですが、以前はずっと国道5号線を通って実家に帰っていました。

夏、お盆の帰省時には、よく仁木町の果樹園の直売所に立ち寄り、美味しそうなさくらんぼを品定めし、お土産に買って帰りました。

きょうだいたちも帰って来ているから、みんなで美味しい物を囲んで楽しく過ごしたい。

そんな気持ちでわくわくしながら帰省していました。


札幌から来ると、余市の市街地を左折するこの道からが「ああ、倶知安に帰るんだな」と、故郷への入り口のように感じていました。


この道を通ると故郷に向かう懐かしく楽しい気持ちが蘇ります。

また、この道を通ってお母さんに会いに行きたいな、帰りたいな…と思うのでした。


久しぶりに直売所に立ち寄り、大粒の佐藤錦を買いました。

家に帰って頂いたさくらんぼはとても美味しかった。

さくらんぼは大好きなので、一人で一パックは食べれるなぁ。

今度やってみようかな。

お腹を壊すかな。





 寿司店のある市街地を抜け、山道を通り目指すウニ丼店に向かいました。

前回来た時からは少なくとも6年以上は経っています。

場所の記憶も定かでなく「まだかなぁ」と思いながら向かいました。

20分程たち、目的の店に着くと⋯

編集して一応写真に写っている人の姿は消しましたが、店の周りをぐるりと行列ができていました。
客の回転は速いのでしょうが、なんだかあずましくないな、と思い、Uターンして手前の別の店に行くことにしました。

こちらのお店は待たずに入れました。
広々とした店内。
食べ終わった道外からの観光客の方から「あー、大満足!」という声が聞こえました。
ムラサキウニ丼5000円(税込)でした。
お店のお母さんが「もう少ししたら閉店時間だけど、気にしないでゆっくり食べていってね」と、何くれとなく親切に接してくれる。
店内には7〜80年代のユーミンの懐かしい曲がかかっていて。
あの頃の夏に戻ったような懐かしく幸せな感覚におちいりました。

まわりの風景や木造の作業小屋のような建物も懐かしさを感じました。


やっぱり積丹半島に来ると落ち着くな〜。
おいしいウニ丼を頂き帰路につきました。











余市を過ぎた辺りからウニ丼ののぼりが増えて来ました。

古平町を過ぎ積丹町に入ると昔からウニ丼で有名なお寿司屋さんがあります。

このお店は20代の頃に初めてウニ丼を食べたお店です。

その頃私はバイクの中型自動二輪免許(当時。今は普通自動二輪免許)を取ったばかりだったのですが、職場の知り合いの方の誘いで、できたばかりの地元のバイクのクラブに入ることになりました。

夏になってクラブの人たちで「積丹にウニ丼を食べに行こう!」ということになりました。

私よりも少し年上の男性ばかりのクラブでしたが、皆がウニ丼を食べるということに対してとてもわくわくしている様子を見て、当時ウニ丼の美味しさが分からなかった私は「それを目的にわざわざ行くのか〜。そんなに美味しいのかな」という気持ちで眺めていました。


今なら、その「わざわざ」という気持ちが分かります。


寿司店の広い店内で、みんながウニ丼を楽しそうに、美味しそうに食べていた姿が思い出されます。

その日もキラキラと輝いたきれいな青空の一日でした。

クラブにいたのは短い期間でしたが、メンバーの方たちは皆気さくで、女性一人で少し緊張していた私にいろいろと気遣ってくれ、誘ってくれて、楽しい思い出ばかりです。

今思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


その寿司店は、この日も行列を作っており、今も人気があるんだなぁと行列を眺めながら通り過ぎました。

目的のウニ丼の店はまだまだ先なのでした。



先日、何年かぶりで積丹町にウニ丼を食べに行きました。

ウニ丼もさることながら、積丹に行くことがとても楽しみでした。


子どもの頃から夏、海に行こうかと言うと、行く先は積丹半島でした。

岩内町や神恵内村、積丹町。

海水浴、キャンプ、ドライブやツーリング。

たくさんの思い出があるのです。

訪れると懐かしさでいっぱいになります。

楽しい記憶ばかりですが、一番記憶に残っているのは、9歳くらいの時に父方の親戚一同、30人ほどで神恵内村の一棟の古い民家を貸し切って一泊二日で海水浴に行ったこと。

その頃、叔父が神恵内村で教員をしており、そこで神恵内村にみんなで集まろうということになったんだろうと思います。

倶知安から父の運転する車にいとこ達と乗り合わせ、神恵内に向かいました。

もうわくわくで気持ちは最高潮。

青い空と、木々や植物の生い茂った丘の連なる海沿いの町の風景。

途中、父が「カラスヘビがいるよ」というので車の窓から見ると、道端に黒いヘビがいて驚いたこと。

夜は大人たちは一階で子どもたちは二階。

小さい子から、中学生くらいまで。

もう楽しくて、楽しくて、電気を消した中でおしゃべりしたり、寝るどころではありません。

一階からやえ子おばさんが「もう寝たかい?」と様子を見に来る。

一応寝たふりをする子どもたち。

こんなに楽しいのに寝てなんかいられないよ!

と思いつつも、そのうち電池が切れたように眠りについたんだろうな。

翌日は、海岸に行き海に入ったり、憧れのスイカ割りをしたり。

初めてのスイカ割りで、棒が当たってもスイカはなかなか割れないことを知りました。

結局、力のある大人が割ったのですが、

割れたスイカは、粉々に砕けた形になってしまい、ちょっとガッカリではありました。

スイカ割りは、少し割れ目を入れる程度がちょうど良くて、あとは包丁で切り分けて食べるのが正解なのでしょう。

今、改めて父方のきょうだいは人と集まって、楽しく賑やかに過ごすことが好きだったんだなぁと思います。

忘れられない思い出です。

毎年恒例にして欲しかったなぁ。