今年のお盆も故郷の倶知安町にお墓参りに行って来ました。
お盆中の混み合った中山峠の『道の駅望洋』に立ち寄り、車は喜茂別町から京極町に入ります。
この辺りから見る羊蹄山が一番形がきれいです。
京極町の広大な畑の連なる道を通り、ふきだし公園の側を通り過ぎ、倶知安町に向かう北海道道478号京極倶知安線。
左右に畑の広がる広々とした景色、遠くに見える倶知安町の町並み。
左手には堂々とそびえる羊蹄山
正面に見えてくるニセコアンヌプリとイワオヌプリ。
このまっすぐに延びる美しいのどかな道を通って倶知安の町の中に入ります。
何度見てもいいなぁと思います。
倶知安町に入り、昼食を取ることにしました。
慣れ親しんでいる町なのに毎回お店を探すのに悩みます。
国道5号線から比羅夫スキー場に入る道道343号線との交差点近くにその昔『マウント』という美味しいラーメン屋さんがありました。
大木をそのまま切ったような大きなテーブルと木の幹を切った椅子。
その後『マウント』は移転し、そこは別の食堂に変わりました。
(私の中の記憶なので、少し違っているかもしれません)
その店に初めて入ったのですが、味も良いし、店員さんの感じも良くて良いお店でした。
また新たな店の選択肢が増えてうれしい。
その後、元の実家のお隣のYさんに挨拶に行き、少し外で立ち話をしながら、わが家だった家を眺めて懐かしい気持ちに浸りました。
倶知安に帰った際の毎回の行事です。
父母のお墓は見晴らしの良い場所にあり、すぐ側には母方の祖父母や叔父、伯母の入ったお墓もあります。
両方に花を供え、お参りをします。
お墓参りをすると父母に会えた気がしてお墓に触ったり、話しかけたり、去り難い気持ちになります。
倶知安町にその昔、布袋座という映画館がありました。
ここで昭和18年(1943年)3月6日、火災が起き208名の方の尊い命が亡くなるという痛ましい事故がありました。
昭和41年(1966年)にその慰霊碑が建てられています。
慰霊碑の手前にある仏様。
亡くなった方たちの魂を鎮めて下さっているのでしょう。
とても穏やかな顔をされています。

慰霊碑には82年経った今もお参りに来られた方の花や飲み物、菓子などが供えられています。

この慰霊碑の裏側には亡くなられた208名の方のお名前が全て記されています。
まだ10歳くらいだった私の父の兄の名前も記されています。
父方の祖父母の家の仏壇の上に、ご先祖様の写真と一緒に男の子の写真がありました。
学生服(学童服?)のような服を着て、学生帽を被った男の子。
幼い私は、どうして子どもの写真があるのだろうと、不思議な気持ちで眺めていました。
昨年、初めて慰霊碑にお参りに行こうと思い、墓地内のどこにあるのかを調べて探してみました。
なかなか見つけられなかったのですが、見つかった時には、こんなに父母の墓の近くにあったのかと驚きました。
ちょうど墓地の並ぶ場所から奥まった所に、人目にはつかない開けた場所があり、そこにひっそりと慰霊碑は建っていたのでした。
父のお兄さんの名前を確認し、あぁ、確かにここに眠られているのだなと思い、静かに手を合わせて来ました。