聞こえるか 俺らの音が | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

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身辺雑記。

広範囲に渡る、数十年に一度の豪雨災害でした。災害にあわれた方々、お見舞い申し上げます。まだ救助を待っておられる方も心を強くなさってください。救助にあたられている方々も心身お労りくださいますよう。


今日は岐阜の白山長滝神社での拝殿踊り始めの日でしたが、災害で中止になりました。

私の体調、今は残るのは目と脳、でしょうか。

7/2はよくなってきた、という感じがあったのですが、3日は毎日夕食後、パニック不安を紛らわせるために暗くなるまで河川敷にいて声をだしたりしていた。雨がこれからしばらく続くというのに、どうしたらいいだろう、と怯えた。

4日、友達に会って話をするため、目の奥の筋肉フリーズしたままだけど車を久しぶりに車を20分運転。空調の聞いたファミレスで食欲が出て、友達来る前にご飯いただきました。話した後は気持ちが軽くなって、帰ってから久しぶりにメイクしてみました。やつれていた顔が持ちなおせたようで、嬉しかった。


パニックが出たのはその翌日。朝から目の奥はフリーズしたままだった。雨の中傘をさして歩きまわり、公民館などで舞踊体操、童謡を歌うなどしたのだけど雨音で神経が立つ。しまいには透明のビニール傘しかさせなくなった。色のついた不透明の傘だと視界が狭くなって苦しい。夕食がもう食べられなくなった。夕方にパニック発作が来た。

動悸と、手の震え。頓服を飲んでから、大雨の中、傘さして少しでも明るいであろうコンビニまで歩いた。最近知り合った近所のおばさんに電話するも繋がらず。

最終的には近所の温泉へ行き、スタッフの方との会話、大広間の空間で少し自分を取り戻す。9時頃にもまたパニック発作はぶり返して、動悸。薬でねじ伏せるようにして寝た。

翌日6日は動悸と共に目覚めた。起き抜ぬけに胸もきゅっとさしこむ。朝ごはん食べられなくてフリーズドライの梅干しのかけらのみ。

心療内科の診察受けに富山駅まで電車で移動して、駅前のカフェに入ったらモーニングが美味しくて食べられた。

この日は前働いていた老人ホームの皆さんとお話しに行く。

目はまだ固まったままなのですが、それでも運転。懐かしい人たちと話す。

この日1日でたくさんの方々と話せた。トータル20~30人くらい。それぐらいの方々と話すと、ようやくエネルギーバランスが取れる。

7/7、七夕の日。この日もまだ雨。目の奥の筋肉、眼筋のストレッチをしてみるとよくなった。あとは目だけね、と思って八尾接骨院にクオンタム治療に行く。

ベッドで仰向けになって治療を受けていると、体の前面に前やっていた巫女舞の「針金」のようなのが浮かび上がってきて苦しくなった。体がクオンタム治療にも耐えられないような。しまいには心臓がぐるんとひっくり返り、腹式呼吸を試みたら全身に血が巡った。

夕食後、落ち着かず家の周りを傘さして一周する。

良くなってるんだか、悪くなってるんだか。

七夕だ。

何年も前の、「パニックは酸欠を起こしているから」との知り合いの言葉がよぎる。自分で酸素を循環させるしか。自分で自分を安心させて、血管が収縮しないようにして巡らせるしか。

私の心には、友達も直接タッチして癒すことはできない。届かない。自分しかいない。自分の心の持ちようしか救いはない。

しかし、人間の心とはお互い、なんと残酷なことをするものなのだろうか。



好きな落語家の歌丸さんが亡くなられた。

歌丸さんが続けられなくなった、その後の世界を生きている。

後で分かったことだけど、お向かいのおじいちゃんも、この日亡くなられた。

死と皮いちまい隣合わせで生きてきたこの一ヶ月半。

災害でも多くの方が亡くなり、死に瀕しておられる。

失う、というのは得ること。昔、ベルリンで公演した時、私にたまに起こるのだけど、劇場で稽古中、財布が忽然となくなった。

その私に楽屋でインドネシア人の画家の女性が教えてくださった言葉。


生きるとは死ににいくことと見つけたり。




最近の努力で、身の回りに増えた顔ぶれを思う。

素晴らしい方々がおられる。人生の達人もおられる。その方々は、私を人柄を知って、笑って包みこんでくださっている。

私の知覚は分厚いガラスに隔てられているようで苦しいけど、それでも。

大丈夫。

昨日はやっと久しぶりに太陽が出た。八尾コミュニティセンターでおわら道場の講習会。




太閤山ランドのイベントでご迷惑かけたかと何人かに頭を下げましたが、皆さん鷹揚(おうよう)でした。ちゃんと、大人。踊っているうちにいつしか病のことも忘れてしまう。



意外と、耳が聞こえなくて補聴器着けておられる方々が多い。おっちゃん3人くらいと、女性で男踊りされる方も軽い難聴だそう。

編み笠をかぶると視界がほとんど遮られて苦しい。片足上げて踊るのも、いや普通に歩くのも難しいのだけど、くだんの女性は目を閉じて練習している、と。

聞こえない分、目を最大限に働かせる私が、編み笠で目を遮られる。

編み笠かぶるので、ヘアスタイルも顔もメイクもへったくれもないです。稽古着は黒Tシャツ、本番の衣装も簡素、質素(だけど高い)黒のお揃いの衣装のみ。「個人」はない。編み笠の下の動きにのみ集中される。

踊りは一人格段にうまいのは許されない。

こう踊ったらもっとかっこいいのに、と思っても。それやってはいけない。型にはめられる制約尽くしの中で、そこから醸し出される格調の高さ、土臭さがなんだかいとおしいものになってくる。

そして、これも教わったことだけど、中指はいつでもピシッと神経通わせてるのだそう。嬉しい。


2冊とも、何気なく手に取った漫画のページ。

「花コイ少年(2)」


世阿弥
「体調なんて関係ない…不注意だったぼくが悪いんだ」
「情けない…」

足利義満
「いいものを見せてもらった」
「皆でおまえを支えていた」
「父も一座の者たちも…」
「皆 おまえのひたむきさを知っている」
「焦らなくていい」
 

「月影ベイベ」4巻


大事ながは踊りながら常に音を聞くこと
唄と楽器の音にしっかりと寄り添うがや

おわらは踊り子だけで踊んがじゃない
地方(じかた)に支えられてることを忘れるな




光(ひかる)

聞こえるか
俺らの音が

聞こえるか





目と脳の不調は、もしかしたら甲状腺ホルモンの加減かも。動悸もその一症状らしい。甲状腺眼症。バセドウ病に伴う。

お前一体何を読んでるんだと言われそうですが、「腐男子社長」という漫画のエピソードにその下りがあって、前に目を見えなくした私は「あ、これかも」と思った。その時は動悸はしてなかった。


今回、動悸もかなりした。

目の痛みは今回ないものの、最近の視野の苦しさは、脳内の筋肉が腫れて視神経を圧迫するので視力に障害が出るものらしい。「椅子に踏まれたケーブルが断線する」ような。

つまり、脳がむくんでるがための。

脳の熱感や、今はかなりおさまったへんなゾワゾワ感もそうかなぁ。全身の血管から血液漏れていたような。

だからといって、もう病院は行きません……。自分で治す。

昨日は夕食後、晴れた空の下、河川敷で体を動かした。少し走ってみたりも、した。のたのた、としてたけど。

夏になる前に、治る。



おわらの季節もすぐそこ。




追記: 今日7/9、富山梅雨明けしました。夏になってしまった。

次の日曜日が、能楽堂でおわら技能審査会。どなたでも入場無料で入れます。もしよろしければ。


越中おわら技能審査会
おわら観賞
7月15日(日)午前9:00開場
富山能楽堂(富山市友杉1097)

休憩時間には講習会もあるようです。

とにかくこの日には、体が復調しているように。