私は何をどう踊ればいいんだろう。 | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

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身辺雑記。

7月になった。もう、今年の後半。まだ体は違和感残る。このブログも今日書き始めて消える、を2回繰り返した。それでも、一週間のうちには楽な、普通の時間もあったんだ。



ちょくちょく河川敷のウッドデッキで、体の違和感をなんとか解消しようと動いた。夜にベランダで唸って頭蓋骨に振動を与え(ヨガのビーピング)、そのまま河川敷に移動して大きな声を出したり、スキップしたり。小一時間、散歩できるようになった。

普通の会話ができる誰かを求めてあちこち回った。近くの商店街の方のおば様二人。小学校の絵本の読み聞かせボランティアの見学。カウンセリングで喋ったり。2月かそれ以前からずっと病んでいて、5月半ばからは人とまともに話をしていない。初めはうまく声でなかったのが、脳の前側に血が通い出すのが分かった。目の奥、鼻の奥がすっきりする。会話が今の段階の薬、と分かった。

久しぶりに看護士でもあるM君にヘルプを求めたら、「おっさんに戻れ」との助言をもらった。するともろもろの問題が「しゃらくせぇ」と思えたり。

体も「疲れすぎ」と赤信号、警告を出したのが知覚できた。

Sちゃんとファミレスで話につきあってもらった。大分、普通の声が出せるようになった。話して分かったことは、脳内のホルモン、セロトニンが出せなくなっている。前やっていた巫女舞で幸せになっていたのが急になくなったので、禁断症状のようになっている、と。

脳が、自然な分泌の仕方を忘れている。今は死ぬほど苦しいけど、自分に楽しい(あまりないけど)少なくとも心地いいと思えることをやっていれば。




昨日30日は雄山神社で夏越の大祓会。前日から神主さんたちが作ってらした。


大荒れの翌日の爽やかな空になり、龍の雲も出た。


撮った時は少し崩れたか。




以外に人数多く、きっちりとした神事。

時間がなくなったので惜しくも途中で抜けて射水の太閤山ランドに向かう。おわら演舞の出演だ。
 





衣装をつけて編笠をかぶったのが出演の30分も前。夜に出るのは初めてで。体もまだ自分のものになっていない、目の奥もフリーズしている。暑さと衣装の不便さなどで、少し予期パニックの手前が来てしまった。

やむを得ず、流しを見学と判断して抜けた。師範の方が、踊りで精神力を充分に磨かれた方だった。星を見る思い。

太閤山荘での舞台踊りと、あじさい通りでの流しと、輪踊り。照明もあって、凄みのある迫力でした。





ラストの輪踊りだけ、ひょろひょろのていで踊った。

控え室で聞いた話。「男踊りは難しい。」おわらの女踊りも男踊りもされる方が、昔、言われたという。ええ?女踊りの方が難しそうだけど。つまり、女性が男踊りをやるのは体格や筋肉で不利なので踊りにくい、ということらしいです。

聞こえなくて目から情報を得ているのに編笠をかぶってしまうし、おわら、向いてないのかも。ストイックに自分を追い込んでしまう私には、やはり解放的な郡上踊りが合っているのか……。

ここも居られないかも。また辛い思いを抱えてしまった。


ねむの花も咲いた、桔梗の花も咲いた。

ネジバナが群生している公園があります。



細い花で、ピントがなかなか合わなくて写真に納めにくいのですがかといって数本取って屋内でスタジオ仕立てで写真撮るには、けなげな命たちです。

ねじねじと螺旋に咲く花たちの中にいると、「蓬麻」の逆をいくのではないですが、不思議な感覚。捻りのパワーの中にいるよう。




地面にまだ出たての柔らかい樹液の塊がある、それは2メートル離れたところにある桜の根っこ。



本体の方が弱々しい。樹液が重い涙に見える。

YouTubeで飛び込んできた、おそらく韓国でのストリートミュージシャンの動画から。英語で歌っているものに日本語訳がついていました。
所々抜粋。

君が探してきたものを見たいから


僕たちにはそれだけの価値がある


僕らの違いは 僕らが神様から授かったものをどう使うのか 
それを教えてくれる

学ばなきゃいけなかったんだよ


また、別の踊りも。



私の踊りはどこにあるのか。やはり、舞踏なのか。


追記1。
食べられない夕食の後、裸足で土手に出た。そして10年ぶりぐらいかで一人、舞踏をした。

ギャラリーは立山連峰と富山湾、能登半島。最高だ。腕が一番星を抱く。少しずつ、少しずつ、自分の体を取り戻していく。前の体とは違うけど、新しく読み込みを行っていく。新しい魂と、体のすり合わせ作業。

星が4つ目視できるようになった頃、土手を後にした。

追記2。この日富山は日本一の暑さ36.9度でした。体が回復しないまま夏を迎えるのが怖かったのですが、日本一の気温をやり過ごせた、となれば少し気が楽になりました。