プロと素人 | 映画監督なんて詐欺師でしかない!

映画監督なんて詐欺師でしかない!

映画監督の日常と映画に関して思うことを、つれづれに…たぶん。

役者も監督も大雑把に言って地位(?)には三段階あると思っている。
上からスペシャルプロ、プロ、素人。
一番多いのは素人である。

素人の多くは自分を「表現者」という。
自分の中のものを表現することが演技だと思い、それが映画だと思っている。
ただし世間から見ると「君の中にあるものを表現されたって興味がない」というのが正しい。
そこで知り合いや身内を集めて自主公演や自主映画を作る。
または朗読会や演奏会など…知り合いは演じたり演出したりする人物を知っているので、
いわゆるその人物が「表現」することにとても優しい。
それはまるで飲みに行っているときの話題のようなもの。
ただしそれはその人物たちを知らない周りからしたら、どおってことのない話し。

次はプロ。
世の中が必要としてくれる人たち。
自分の演技や表現や考えなどが世の中で必要とされるから、そこには他人からの資金が出てくる。
知り合いや身内のみの自主公演や自主映画ではなくなる。
世の中が必要としているものと、自分の表現したいもののバランスが難しい。
必要としているものに寄ってしまうと自分を失う。
自分ばかりを出してしまうと、世の中から必要とされなくなることがある。
「(自分が)見せたいもの」よりも「(世の人が)見たいもの」が大事。
素人の時は身内ばかりなのでいい評価しか基本的には集まらない。
ここになると批判も現れてくる。
蛇足だがネットなどで匿名で人を批判攻撃する役者や監督の多くは素人だと思ってる。
プロになると批判に対して気にならなくなる人が多い。
批判など当たり前だからだ。
なので匿名の批判攻撃が効果的だと思い込んでいる人は、基本、批判に慣れていない素人の「表現者」。

プロと素人の差は大きくて近い。
素人の世界は大きな怪我はない。安定している。
プロの世界は厳しい。大きな怪我もする。
安定から飛び出すかどうかだけ。自分の世界から世の中に飛び出すかどうかだけ。
それがプロの扉を開く。ただし大きな勇気と覚悟が必要。

そしてスペシャルプロ(いい言い方が浮かばず)
ここは素人と似ているのだが、自分を「表現者」という。
またはそういう言葉は言わなくても、演技や演出で自分を表現する。
ただし素人と違うのは、世の中の人がこの「表現」を聞きたいと思っているということ。
世の中の人が知りたいと思うことの方が大きい…だから資金も動くのだ。
「(自分が)見せたいもの」が初めて意味をなすのがここ。

ちなみに自分はプロだとは思っている。
自主映画ではない映画を創り、映画館で配給し、他人が観てくれたからだ。
ただしここで怖いのは次回作。
もっと自分を表現したい…表現すればいいものができる…
実際にはそう思っているのに、目が曇ってしまうことがある。
そんなことはない…と自分に言い訳する。

世の中の人が必要としてくれるものは何か?
その中で自分らしさをどうやって足していくか?
今、考えているのはちゃんと世の中が面白いと思ってくれるものか?
ただ自分が面白いと思い込んでいるだけのものではないか?
自分の考えを疑いながら…短編の企画と脚本をまとめている。



昼は焼きそば。夜はラーメン。
ラーメンにのっている海苔は苦手です。