「人間五十年下天のうちを……」と唄ったの敦盛を好んだのは信長でした。
彼は期してか知らずか? 49歳で本能寺の変にその生涯を終えるワケですが、別にこの頃は人間の平均寿命なんてもんは35歳前後であり、それ以前に七五三の元になった乳幼児の死亡率は――三歳を越え、五歳を無事に過ぎ、七歳を迎えれる子は全体の半分以下だったといいます(苦笑

さて、そんな乱世戦国の世と、昔の衛生状態、栄養状態が決して良くなき時代において、信長のような「生まれ出自も支配者階級」の者でも「人生は五十年がそろそろ寿命」と見切り、覚悟せざるを得なかったのでしょう。
翻りまして現代ニッポン――平均寿命は女性87.05歳、男性80.79歳で、いずれも過去最高を更新し続けております。

さて、しかし私なんぞは今、46歳を数え「本来ならまだまだ人生これから、折り返し地点」なハズですが……まあ、知っての通り、過去の不摂生と事故大病がたたって透析をを受ける身、そして「いつお迎えが来ても」おかしくない――逆を言えば、医療福祉が社会的に整った日本で生まれ生きて来たこの身の幸せで『生かして』いただいています(苦笑

まー、明日コロッと逝く可能性もあれば、十年ン、二十年……どころか三十年くらいかその先まで意外とシブトクw 生きているかも知れません。
そんなわたしですが、贅沢にも「余生」をある意味で生き延び、こうして『楽しませて』いただいています。
そして、そんな身の上だからコソ気付いてしまうコトが一つあります。
それは人として七歳を越えて育つと昔から日本ではようやく『人』と世の中では認めて貰えたんだそーです。
これは、七歳を越えると病気や肉体の貧弱さで“死ぬ”というコトが、その心配がひとまず無くなるから――というのが大きかったのですが、この後、プラス三年前後、齢十歳を越えれば元服することがあったようです。
今の日本や世界では十歳というとまだまだ“子供”ですが、昔は十歳を越えればそれなりに大人として、一つの責任と労働力の担い手として認められました。
まあ、これには二十歳前後で次は若死にが多いという世相も反映していたんですが……実はといいますと、今も昔も十歳を越える頃から四十代後半までが人の人生の「盛り」であり、世に出、世を動かし、その才覚能力を発揮する『若さ燃ゆる』人生のいわば盛夏の季節だと“判って”いたので――まあ、その敦盛でいう「人生五十年」の本当の意味、言いたかったコトだったんじゃないでしょうか?


正直、いいますと人間は生物的に百二十までは思考的にも、記憶力的にも、そして肉体的にも健康や食事に気を付け、運が良ければ元気に生きれる生き物なのだそーです。

一時期、「象もネズミも心臓の鼓動は、一生は同じ!」という研究結果が話題となりました。
すなわち、脈拍数が早いか遅いかで生きる物はすべからず「
心臓は一生の内に15億回打って止る 」ようにできており、寿命がネズミが4年で象が80年でも 心臓の拍動を時計として考えるならば、 「象もネズミもまったく同じだけ生きて死ぬ」モノなのだ……という考え方ですが。

実は「アレ? これって実は違うんじゃないの?」とその後の研究から分かって来ています!?

と、いいますのも「心臓は一生の内に15億回打って止る」というのが生物の肉体に課せられた定めなら、人間はだいたい五十歳から六十歳の頃に「15億回心臓が脈打つ」そのノルマを発し終える“ハズ”なんだそーですw
しかし、もちろん人間の寿命は別に近現代に至る以前から、長寿の者は八十歳、九十歳でも元気でしたし、百歳を越える者も珍しくはありますが昔からいました。
さて、そして、人間以外でも人間に飼われるペットの犬猫も本来、「15億回心臓が脈打ち終えた時が生命としての寿命」であるならば十二歳前後に、その鼓動の数は達してしまうんだそーです!?
しかし、いまや二十年近く長生きし、世界記録だと29歳5ヶ月の世界記録だかなんだかまで生きた記録があるそーです。
それも老衰で死ぬというより、犬猫の場合、人間でいう『腎不全』腎臓がダメになって死ぬ例が多いので、最近はペット向けの腎臓の薬が開発され犬猫の長寿記録は更新され、また、その平均寿命も普通に二十年前後になりつつあるといいます。

さて、話が少し脇に逸れましたが――犬猫はともかくとして人間は昔と比べ(先進国であればあるほど、富裕層であればあるほど)高度な医療と老化防止が進み元気に長生きできるようになりました。
しかしです――これは実際に年を重ねた人生の年長者ほど実感するかと思いますが、確かに寿命は延び、元気で健康な老人が増えました。
現役引退後に急に老いる人間も居れば、逆に年をいくら重ねても意欲と元気と体力が「年齢ほど」衰えず、第二の人生を趣味や勉学の道で究めたり、あるいは現役と呼ばれた時代の仕事の知識や経験を生かして「後進の育成から、自ら事業や農業を起こしたり、あるいは故郷の田舎や海外で社会貢献に生かす」人間も多くなっていますw
まあ、その事は素晴らしい事なのですが……同時にたいていの人間は「おのずと悟る」モノでもあります。
経験と知識技能が補っても、やはり『若い頃――十代~四十代頃までの自分とは違う』というコトは。

これは、ハッキリいいまして個人差がありますが、やはりいわゆる「青春」といいましょうか? 若い頃の『遮二無二に無理無茶のできる』エネルギーといいますか、若さ? は早ければ四十代前半、どんなに遅い人でも五十を超え、六十を迎える年齢になれば「老い」を自覚し肉体の衰えを自覚します。

ですんで、人間の若者~壮年期は、中世や今も後進国の社会環境の厳しい貧しい国や社会の地域では三十歳くらいで、一方、現代の先進国や富裕層の恵まれた環境下でなら五十代後半までは仕事や家庭で主役を張れる現役世代としてバリバリ頑張れます。

人間は人類は、iPS細胞や遺伝子工学、新薬の開発に、義足や人工臓器の進歩発展によって「豊かな者、先進国から」この「若い期間」がこれから先、どれだけ伸びるか? 分かりません。
まあ、色々と夢のような話も出ていますが……少し残念な話し、そうした『長寿と健康の恩恵』に浴せるのは人類の上位数パーセント――まあ、多くて十数パーセントの一握りの先進国の国民と、一部の富裕層だけで、残りの過半数の人類は相変わらず「人生五十年」の生き方しかできないと言わざるを得ません ┐( ̄ヘ ̄)┌


……まあ、とはいえど、それがなんだかんだ言っても「一番、人間の人生にとって身の丈に合っていて“幸せ”」なのかもしれませんがねー? 実は!
と、いいますのも、誰しも「長生き」し、しかも「病気も悩みも少なく健康で、意思も記憶力もシッカリして」生きていたいモノです。
しかし……です。
人並外れた長寿が、長生きして本当にそれが『幸せ』と言えるのでしょうか?

世界中に不老不死の伝説や逸話、長寿の物語があります。
その中には、別に不幸な話というのは意外と少なかったりしますが……実はといいますと、そうした「長寿、長生きが別に不幸ではない」神話や伝説というのは、その当の本人以外も、周りの人間も普通に数百年の人生を生きて当たり前という感じだったりします。
九百年近く生きたという『箱舟伝説』のノアは、ひ孫のひ孫のひ孫まで子孫が増え栄えるのを見届け大往生しましたが……同じようにノアに近い世代ほど長寿であって普通だったようです。
それ以前の、洪水以前のアダムとイブも相当に長生きしたよーですしw 旧約聖書だけで考えても大昔の始祖と言える人たちは「長生きで当たり前」だったようです。

さて、それ以外でも東西たいていの“神話”では、神ならぬ人の身でも長寿で当たり前だったようです。
で、です。
これが一転して出て来る登場人物たちの人生の長さが――寿命が、今の人間とほぼ変わらぬ頃の物語や伝説になりますと、今度はおしなべて『不老不死、人ならぬ長寿を得ることの不幸と虚しさ』の方が色合いとして濃くなります。
まあ、たいていは「愚かな人間が不老不死の秘法や妙薬を一度は得かけて、愚かさから失う」というパターンが多いんですが……日本の場合、少し珍しく「不老長寿の虚しさ」を悟り、自ら手放します――竹取物語がそれです。
竹取物語では最後にかぐや姫が月に帰って行く際に「不老長寿の妙薬」をおじいさんおばあさんに残して行きます。
しかし竹取の翁とおばあさんは「かぐやのいないこの世で長く生きても意味は無い」と、その『不良長寿の妙薬』を天皇に献上してしまいます。
しかし、これを受け取った天皇もまた「かぐや姫のいないこの世の無常」を、ただ長生きするコトの虚しさを悟り、その不老長寿の妙薬は富士山に献上してしまいます。
……で、そこから富士山=不死山という語呂合わせの伝説が生まれたりする訳ですがw
どう思われますかね?
他にも人魚の肉を食った八百比丘尼の伝説も、偶然に少女が得た「不老長寿」も結局は幸せではありませんでした。

八百比丘尼の伝説とは次のような話です――若狭の漁村に暮らす平凡な少女は、何事もなければ漁師と結婚し、母親となって、若狭の穏やかで恵み豊かな海に漁師として我が子を送り出し、年老い、穏やかにどこにでもあるあたりまえの生涯を終えるはずだった。
だが、少女は、漁師である父親が獲った人魚の肉をそれと知らずに食べてしまったことで、「不死」という逃れられない運命に囚われることになる。
長い年を経ても老いず、いつまでも若狭の海のような美しさと輝きを保ったまま、少女は、死にゆき、朽ち果ててゆく、人とものの定めを哀しく見送り続けた。
一人、時の流れから置き去りにされた少女の心だけが、疲れ果て、枯れていった……

少女は、自らの肉体の死をひたすら追い求め、諸国を行脚する。
いつしか少女は比丘尼となって、死に行く定めの人々に、安らかな彼岸への引導を渡すようになる。

自ら求めても得られない「死」、それを恐れ、逃れようとする人々は、不思議な比丘尼の言葉の響きの中に、永遠の生の哀しさを感じ取り、安らかに死出の旅へと向かう決心をつける。
そして、比丘尼に感謝し、無数の死を看取った比丘尼に抱かれて旅立っていく。

比丘尼となった少女は、八百年の後、めぐり巡って、生まれ故郷の若狭に辿り着く。
そして、八百年前と変わらぬ自らの故郷の景色に、涙を流す。
自分はこの景色の一部となろう――そう決心した比丘尼は、死を求めることを止め、心落ち着けて、懐かしき若狭の大地に身を横たえる。
気がつけば、八百年を経た少女の体は風に飛ぶ砂と化し、澄み渡った魂が、愛する若狭の土地に同化し、あまねく広がっていった。



人は、多くは不老不死を求めるモノです。
しかし、それを実現したとき、人は果たして幸せなでしょうか?
八百比丘尼の伝説は、その一つの答えを示しているように思えてなりません。

この他、高橋留美子の「人魚の……」シリーズから、手塚治虫の『火の鳥』、高田祐三の 『3×3 EYES(サザンアイズ)』まで、日本の漫画作品でも不老不死や不死身から普通の人間の寿命に戻るコトを望む物語は名作として山ほどあります。

ちなみに、これらの物語や寓話が告げるもう一つの大きなメッセージは「日常の、普通の暮らし、人生の価値と大切さ」をその普段は気にもしない『日常の繰り返し、普通の人生』というのを過ごせることがどれだけ実は「幸せで、貴重なモノなのか?」だと思います。
そして「普通に生き、普通に家庭を持ち、普通に子を育て、普通に老い、そして普通に死ぬる」そんな一見すると平々凡々とした人生を送れたなら、人間はそれ以上を望むというのは実は『驕り』でしかないということは、現実を見ればいくらでもこれまた分かると思います。


今、世界は今日もどこかでテロが起こり、戦争が続き、あるいは干ばつで生活の糧を失い難民と化したり、あるいは失業して路頭に迷ったりして「普通の日常を、普通の生活を」失い奪われている人間が億単位で発生し続けています。
さて、ここ二十数年の世界のグローバル化は、そういった人々が難民として先進国に押し寄せれば、元から居たその国の国民は――たいていは庶民と呼ばれる中間層は貧困層に転落し、貧困層はますます貧困化しているコトから軋轢や衝突、低賃金化競争を引き起こすことを余儀なくされ、途上国や紛争国だけではなく、先進国でも「日常の喪失と不安定化」が進み、それが今のトランプの政治のようなヒステリーじみた社会争乱と混迷を生み出しています。

さて、この状態を改善する術はないのでしょうか?
いいえ、そんなことは無いと私は思います。
例えば、別に「持てる者、富める者が財を持っていてもいい」のです――「持てる者の義務」を忘れなければ!

 20世紀初め、アメリカの最も進歩的な経営者の一人にジョージ・F・ジョンソンという男が居た。
 当時の世界有数の靴メーカーの経営者だった。
 彼は従業員の為に住宅を建築し、実費で譲渡した。
 地域の為には図書館、ゴルフ場、二ヵ所の病院を建築し、マイナーリーグの球団を設立した。
 人々は彼に聞いた「何故、地域の為に私財をなげうつのか?」と。
 そう聞かれて彼はこう答えた。


「私の目的は、できるだけ多く稼ぐことではなく、稼いだカネを生かしてできるだけ多くの貢献をすることだ」

 彼の貢献は今でも、その街には彼の彫像があり、彼の名を冠した通りもある。
 彼は町の伝説であり、ヒーローだ……といいます。



ただ稼ぐのではなく、稼いだカネを生かす意味で社会に還元する――それは別に何も個人の富豪ではなくとも、普通のどんな会社、企業でも行えることだ。
そして、国の国家の政府の本来の役目は責任をもって徴税をもって社会の富の再分配の原資を集め、なおかつ議会の議論をもってその再配分を決め、公共のサービスや事業を行い。
そしてそれが公正公平になされているか? 司法によって監視することだ。
すなわちそれらは経済――経世済民の基本的な考え方であり、本来の目的のハズなのです。
あるいは近江商人の三方よし! の考え方でもいいでしょう。
売り手よし! 買い手よし! 世間よし!!
今の世界に必要なのは、経世済民――経済の本来の目的、近江商人の三方よし! にも通じる考え方に立ち返るコトであって。
決して「八人の人間に、人類半分の人口の貧困層が持つのと同等の富が集中する」コトをグローバル化と呼び、良しとする欺瞞、詐称の格さを許す事ではアリマセン!

人というののは不思議な生き物で、「不老長寿」を得てもごく少数の一部がその恩恵を得たのでは「決して幸せになれません」むしろ「死ねない」不幸と苦痛を八百比丘尼のように味わうコトになります。
本当に「長寿で健康に、不老で」そして「幸せに」生きていくには自分やその周りの少数の一部だけでなく、その他の一見自分に関係の無い赤の他人でも多くの者がそうならないと「本当の意味での幸福と安寧」は得られないのではないでしょうか?


さて、ここで「現代日本」は日本人も自ら全然自覚もせずに「模範」となるその「実例社会」を築き上げてしまってみせています。
便利な公共交通機関や高度な医療サービス、治安を守る警察機構など社会システムや制度面で日本と同等、あるいはそれ以上のモノを築き有している国は、日本以外にも欧米諸国を始め世界には少なからずあります。
しかし、日本以外の国は、その社会全体で安心安全な互いに隣人同士信頼できる社会を築けている国は一つも存在していません。

日本に来て外国人は皆、驚き、口々にいいます「日本の何処に行っても同じサービスを受け、同じ安心をして暮らしていく事ができる」と。
無論、それは歴史的、地理的な幸運も大きく、その事は過去の記事で何度も指摘しています。
……と、そして同時に日本は「実は災害大国で『互助の精神』お互いさまで助け合わないと」実は生きていけない厳しい自然条件の国であると同時に、日本人は「古事記」から「竹取物語」そして「現代のアニメや映画、漫画に至るまで」普通に暮らして行くコトの本当の『価値と貴重さ』を深く洞察し、物語として共有し楽しみながら学び身に着けるコトが無意識にできている――のも大きいんじゃないでしょうか?

あとは、中盤で紹介した『社会貢献を旨とした米国の企業家』の精神を古くは近江商人の三方よし! そして現代は会社は単に株主、経営者のモノではなく、そこで働く従業員とその商品やサービスを購入する“お客様”の為に存在している――という商家文化、企業精神が社会に根付いているのも大きい。

私はそう思います。
そして、日本のこの奇跡のような「個は全に奉仕し、全は個を全力で守る」社会は、一つの理想像として世界の見本となれます。


そしてまた、日本にはそうした理想的な表の顔の裏に厳しい掟があります――それは村八分です。
日本は、他人を思いやり、互いに譲り合いの精神を大事にする優しい国です。
ですが、その反面、社会のルールを破り、個人の勝手、利益を過剰に追求しようとする者を「決して許しません」

当初、始めの内は大目に見ていても自分勝手に横紙破りをする、ズルをする者は排除されます――村八分、無視という最大限の形で。
ですから、特亜のような国々のような者は日本では結局、自分で自分の首を絞め、自滅して行く事になります。
コレには、島国で逃げ場のない日本と、なんだかんだ言ってよその土地に元いた土地を捨てて逃げれる大陸半島との違いもあるのでしょうが……日本では、「逃げ得」を決して許しません!
ルールを守り、他者と協調共存できない者は排除される――そういう社会でもあるのです。

さて、しかし日本以外の世界で日本のように「互いを思いやり、共存共栄や社会の利益や貢献を至上の価値」とするのは難しいのもたしかです。
ですが、不可能はアリマセン!
その事は今回紹介した『社会貢献を旨とした米国の企業家』の精神に見るコトができます。
そして、こーした精神や考えを持った企業家や金持ちは一人だけではなく、アメリカには多く存在して来ました。
その中でも有名なのはヘンリー・フォードでしょう!
ビッグ3の一角フォード車の創業者であります!
彼は、彼の理想は「自分の会社の車を自分の工場の普通の労働者が買える」コトでした。
そして、車の価格を大量生産で下げると共に、労働者の賃金を上げ、キチンと購入することのできる収入を保証しました。
それどころか、彼の下で働く労働者たちは自社の車だけでなく、家を買い、子弟に教育を施し、休日を買い物をして楽しむ消費者として成長しました。
この時代、戦前から戦後の頃のアメリカは中産階級が普通に職を得、充分な収入をもらい、旺盛な消費を楽しむアメリカの黄金期を築きました。
あまりやり方が正しいかどうか? 疑問もありますが今のトランプ大統領が目指す、再建しようとしているアメリカの理想の時代の姿がそれです。
無論、そのまま同じというワケには行かないでしょう。
このまま単に製造業をアメリカに戻しても、上手くいかない可能性の方が“大”です
そういう意味で、いっぱい失敗もしますし、間違いも犯すでしょう。
ですが、方向性は間違っていませんので、アメリカはアメリカなりに、苦しみ悩みながら、よくなって行くでしょう。


さて、健康から不老不死? を伝って、今の世界と日本の経済や社会について書いて来てみました。
変化球でしたが、いかがでしたでしょうか?w
まあ、ケンコーと生き死に残り寿命とか普段考えながら、こんな事とか考えていたりします。
変わったヤツだと自分でも思いますがまあ、面白いんじゃないでしょうか?
また、感想等お待ちしていますw
ではでは、また!

 

 

タイトル鬼子っ










 

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