40年前の、7月23日
長崎の町には、記録的な大雨が降りました。
長崎大水害
その日は、近くの神社のお祭りの日でした
仕事終わりに、妹と、長崎市の中心にあるアーケードの地下の喫茶店で待ち合わせて、お祭りに行く予定でした。
売り上げ金を持って、会社の事務所に寄るはずが、「会社の前に、水たまりができていて行けなので、明日持っていきます」と公衆電話から電話をかけて振り向いたら、車道も歩道もわからないくらい一面に水が溢れていました。
足首まで浸かりながら、待ち合わせの喫茶店に。
「雨がすごいよ」
とか話していたら、みるみるうちに、地下の喫茶店にも階段から水が流れてきていて、
「閉店します」とのこと。
2人でアーケードに出ると、ふくらはぎの高さまで水が流れていました。
2人で手を繋いで、家に歩いて帰りましたが、
途中で見たマンホールは、下からの水で高く浮かんでいました。
2人で、坂道を流されないように手を繋いで、途中道端の知らないお宅の玄関先まで入れていただいたりしながら、
やっとの思いで、家に帰り着くと、裏の崖から大きな岩が転がってきていて、プロパンガスのボンベの横でギリギリ止まっていました。
家に着くと、テレビで、「アーケードの地下は水没しました」とのこと。
そして、私たちが歩いた時は、上流の小島川か溢れていたのが、
そのあと、下流の中島川が氾濫してアーケードに流れ込んだようで、
眼鏡橋やその他の橋も流されて、川の横の派出所もほとんど水没していました。
崖の上に立っている実家なのに、父か懐中電灯と傘を持って家の屋根に登った時には、
「お父さん、危なか!」
とみんなで叫んだり、
その日は、一晩中雨が降っていました。
次の日テレビで観たのは、あちこちでおこった崖崩れや、雨の被害でした。
その日の雨は、
1時間に、187ミリの大雨だったそうです。
この量は、今だに超えられていません。
次の日、
会社の事務所に売り上げ金を持っていくとき見たのは、水に浸かって泥だらけになった建物を掃除している人たちや、ひっくり返った車とかでした。
そして、思い出したのは、
23日の昼間、2階にある職場の壁を、上に向かって行列している蟻🐜の群れでした。
それも、何本も
やっぱり、生き物には、異変がわかるんですね。
亡くなられた、299人の方々の、ご冥福をお祈りします。