父は優しくて、絵を描くのが好きだった。
私が小さいころはよく私の似顔絵を描いてくれた。
(1枚も残っていない。残念!)
父はお酒が大好きだった。
婿養子で実家とそりの合わなかった父は家族団欒(母・私・弟・祖母・叔母一家)から離れ、毎晩自分の部屋で1人で晩酌をしていた。
私は父が好きだったけど、いつも父の悪口を他の家族から聞かされ、子どもは自分の身の周りの世話をしてくれる人になつくもので、思春期から父に冷たい態度をとるようになりそれは29才で長女を妊娠するまで続いた。
私の父への態度の転機は「わたしがあなたを選びました」という詩との出会いにより訪れた。その詩は産婦人科の待合室で手に取ったマタニティ雑誌にのっていた。そのころ逆子で悩んでいた私は「長女は私を選んできてくれたのかもしれない。しっかりしなくちゃ。」とはじめての出産への勇気をもらった。
それから「待てよ?」と思った。
お腹の子が自分を選んできてくれたのだとしたら、私も私の父と母を選んで生まれてきたのだろうか?今もその時も、わだかまりがないとは決して言えない私と親の関係だが、そのときはなぜか素直に「そうかもしれない」と思った。
私の両親は視力障害があり父は聴力もほぼ無かった(たぶん長年の酒のせい。私も深酒すると聞こえにくくなる遺伝がある)。引け目を感じたことはあるが、人間としては不器用で朴訥で正直で、私は嫌いな人たちではない。
この人たちが好きだから少しでも幸せになってほしくて生まれてきたのかもしれない、と思えた。
そんなある日、母から職場に連絡がきた。定期診察に通っていた父が病院で倒れた。病院に行ってほしいと(一緒に住んでいた叔母は外出していた)。急いで病院にいくと、父は点滴を受けて横になっていた。何でもそれまで大丈夫だった注射に急にアレルギー反応を起こし、呼吸困難になったという。落ち着いているので、この点滴が終わったら帰ってよいですよ、と言われた。
父を連れ帰り、寝かせ、おじやを作り父の部屋へ持っていった。1人で食べられるというので一旦下がり、また食器をとりに父の部屋に戻ると、床にこぼれたおじやと倒れた一升瓶と割れたコップと足から血を流し座り込む父。
どうも一杯飲もうとしたけど、フラフラして瓶を倒しコップを落として割り、片付けようとしてコップを踏んでケガをしてしまったらしい(迷探偵の推理)。
父は私を見ると明らかにおびえた表情をした。
私は「私が父を選んだんだ。選んで生まれてきたのだ。」と思った。
父を起こしベッドに座らせ傷の手当をした。床をきれいに片付けた。新しいおじやをもってきてゆっくり食べさせた。フトンをかけて「ゆっくりお休み」と耳元で聞こえるように声をかけた。
父は泣いた。
「すいかはいい子だ。」「すいかはいい子だ。」と何回も言ってくれた。
それから父はアルコール病棟を経て、老人ホームで余生を過ごし亡くなった
(自分の意思で断酒したわけでないけどお酒のない環境にいた)。
晩年の父はいろいろなことは忘れても私が自分の娘ということは覚えていてくれて
「すいかがきてくれると嬉しいなあ。」
「すいかは優しい顔をしているなあ。」
と素直な言葉をたくさんかけてくれた。
思春期から29才までずっと父に冷たくしていて、私は父にとって怖い存在だった。でも、父のケガの手当てをしたあの夜から、父は私をまた好きになってくれた。もっと早く父に優しくしてあげていたら父はあんなにお酒をのまなかったのではないか?と自分を責めたけれど、アルコール依存症のことを多少知っている今では、父は飲んだから飲んだのだ、私が優しくしても冷たくしても関係なく病気だから飲んだのだ、と思う。
父にとっては私より何よりお酒が一番だった。
でもケガをした夜は、お酒がこぼれてなくなったから私が父の心にすっと入ることができたのだと思う。