今年の夏ごろかな?

 

馬鹿一代さんの「お酒のない人生(ラヴィアンロオズ)」で紹介されていた「内観」に興味をもち、通勤やスロジョグ途中に何となくやってみました(8日間の合宿は今は行けないので、できる範囲で)。


 

やり方はシンプル。

 

母、父、きょうだい、祖父母など関わりのある人ひとりひとりに対して、時間を区切り(生後~就学前、小学校低学年、高学年、中学、高校など~現在)、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を順にふり返ります。

 

私は叔父・叔母・いとこも一緒に暮らす大家族で生まれ育ったので時間がかかりました(笑)。

 

私の父母は視力障害者で、一般的に母親の仕事とされる家事や学校関係などは叔母が担ってくれました。叔母は事あるごとに私を「本当の娘と思っている」と言ってくれましたがいつのころからか「本当の親とは違う」というわだかまりやさびしさや遠慮を持っていました。「子を産んでわかる親の恩」と言いますが、私は自分が親になってから自分は当たり前の愛情を受けずに育ったことがますます身に沁みていたのでした。

 

内観をして、ひらめき電球「叔父・叔母は私を本当の娘とは思っていなかった。」

 

ひらめき電球「でもかわいいから、本当の娘と思っているフリを喜んでしてくれていた。」

 

ひらめき電球「叔父・叔母は私に結婚をして家を出ていってほしくなかった。障害者の父母の面倒を一緒にみて、後に自分たちの面倒もみてほしかった。私がお嫁に行くのが心細かった。」

 

ひらめき電球「でもかわいいから結婚を喜んでるフリをしてくれていた。」と思いました。

 

図書館で借りた内観の本にこんな質問がありました(タイトルは忘れたあせる)。

~「」「」どちらが印象に残りますか?~

私も含めて大抵の人が「C」の方が印象に残るそうです。人は足りないものに注意がいき、足りないものを拡大するようにできているのだそうです。

 

私の求めた私をすっぽりと包む完璧な愛情を得ることは不可能だったけど、父母からももらっていたし、叔父母からももらっていたし、なんなら歴史上の鍼治療を発明した人の恩恵も受けているし、私の知らないところでいろんな人からいろんな形で私の命は支えられている、と思えました。

 

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先週土曜日、楽しかった卒酒・断酒朝食会のあと、8月から入院していた叔父のお見舞いに行きました。毎土曜日、次男を音楽教室に送り次男がレッスンしている1時間で病院に行き15分くらいの短い見舞いを繰り返していましたが、この日は夫が次男を連れて行ってくれたので、ゆっくり過ごしました。

 

後から叔母も来ました。

 

叔父は人口呼吸器をつけているので声が出ないけれど口パクやジェスチャーでいろいろ伝えて叔母がよくわかるので「すごいね。」と感心して言うと、叔母はドヤ顔でウインク「だって夫婦だもん。」と答えました。それから叔父が窓の方を向いて叔母に何か訴えて、叔母は「マメ星人?」と言いました。叔父はしかめっ面で首をぶんぶん横にふり、私が「まぶしい?」と聞くと首をうんうん縦にふったので、笑ってしまいました。

 

叔母が毎日来てるから午後は何もできない、とぼやくので叔父に「毎日来てくれて、いいオクサンで幸せだね。」というと、ゴマをするジェスチャーをしてくれました(笑)。

 

笑いに包まれた幸せな時間でした。

 

その夜、叔母から「今日はありがとう。○○(叔父)がとても喜んでいました。また来てください。」とメールがあり「また行きます。元気でびっくりしました。おばちゃんも大変だけど体に気をつけてね。」と返信しました。

 

次の日の明け方、叔父は亡くなりました。

 

あの日さやちんさんの朝食会に出なければ叔父とゆっくり過ごせなかったし、馬鹿一代さんの教えてくれた「内観」で、叔父や叔母に対するわだかまりも柔らかくなって、素直な気持ちで叔父を見送り叔母の寂しさを気遣えます。11月には叔父を思ってさるりさんと杉本観音にも行きました。

 

今年はブログを通しての出会いに大きく支えられた年で、感謝感謝です。

 

叔父のこと以外にも、困ったときに温かいコメントやメッセージでブロ友さんたちにたくさんたくさん支えていただきましたラブラブラブラブラブラブ

 

ありがとうございましたドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ