笑い泣き 高齢を生きていくハイビスカス 

     ー「よし、体を鍛えよう!」の巻 Ⅱ

 朝起きた私は、布団を畳んだ後、リビングの床に脚をのばして座り、足首を片方ずつ手で握って、その足をだんだん扇のように180度近く広げていきます。

 

 そうやって足を広げながら、同時に、上半身を、胸が床にピタッとくっつくまで曲げていきます。そしてそのままの状態で、い~ち、にぃぃ、さ~ん、しぃぃ、ご~ぉ、と10まで数えたら上半身をゆっくり起こし、

 

 そして、再び、息を吐きながら、上半身をゆっくりと、胸が床につくまで曲げていきます。

 ・・・・というのは、私がそうできるようになりたいと願望し、頭の中で思い描いていることです 照れ。すいませんアセアセ。ひょっとして〈お~ぉ、なかなかすごいことやってるじゃん 小柳ルミ子みたいじゃん〉、

 

 と思いながら何行かを読まれた方には甚だ申し訳なかったですがそれらの動作は、私が朝、実際にやっていることではありません。あくまでもそうなりたいナァ・・・という私の夢ですえー

 

 じつは私がそうできるようになりたいと願望するようになったきっかけとなった1冊の本がありました。残念なことに、今はそれはどこかに紛れ込んでしまっていて、本のタイトルも著者も思い出ませんが、それは要するに、

 

 私がそうなりたいと願う、両足を開脚して、胸がぴたっ~と床につくように、3週間だったか4週間でなれるという、写真やイラストが付いて解説してある本でした。

 

 私はそれを見てお願い〈ワ~オ 自分もできるようになりたい!〉そう思ったのです。

 

 というのも、年々体が硬くなっていてこれじゃいけないと感じていたからで、たった3週間か1ヵ月でそんなに体が柔らかくなるんだったら、最高じゃん!!と。

 

 当時、私はまだ60代でしたかねピンク音符。しかし私の体は(70代の今もそうですが)コチコチに硬化していました。両足で立った状態で、体を曲げて両方の腕を下におろしても、指先が床につきませんガーン。 

 

 そんな状態だったからなんとかして柔軟性のある体にしたいと思っていたのです。老化と硬化は一緒に進んでいくに違いないというイメージを持っていましたから。

 

 そんなところへきて、“救世主のような解説本” に出合ったのです。

〈もしかしら、わたしも、開脚、前屈ができるようになるかもしれない〉。

 

 バカですねぇ~~。すぐ、自分もできるかも! と思ってしまうところがあるんですよね(なんとも恥ずかしい話ですが、若いころ、アラン・ドロンやジェームス・ディ―ンの写真を見ながら〈イㇶㇶ オレも少しは似たところがある?〉と、

 

 知らない人が聞いたらガーン悲しい卒倒しそうなことを平気で思ったことがあった? くらいだから。とにかく勘違いや思い込みが激しいこまった性格なのですね照れ)。

 

 しかし本を見ながらやってみましたよチュー。どうしたかというと、まず両方の足裏をくっつけて座禅を組むような形で座って、両手で両足先を握り持って、その両足を上下にパタパタさせます。

 

 上下させることで筋肉を、だんだん柔らかくさせようというわけです。

 

 次にやったことは、片方の足の膝を立て、尻を落としてしゃがみ、もう片方の足は伸ばした状態で、両手を床につけて体を支えながら、体重をかけて体を上下させます。反復して上下させる運動で伸ばした足のつけ根の筋肉を柔らかくするためだ。

 

 しかし、1カ月ほど続けましたが、根性のない私は、成果を見ることなくいつの間にかやめてしまいました(・・熱しやすく冷めやすい性格でもあるんですねぇ~)。

 ですから、開脚、前屈は見果てぬ夢のままで終わってしまいましたえーん

 

 しかしあるときその夢をもう1度思い出させる人がいました。フィットネス・インストラクターという肩書がついた90歳(当時)のタキミカ(瀧島未香)さんです。

 

 今から3年ほど前のある日、新聞を開いたら、大きな写真が載っていました。

 両方の腕と手を、肩幅以上に大きく広げた両方の足のそれぞれの太ももの上にぐう~んと押さえつけるようにして置き、なおかつ、片方の肩を、腕をぎゅっ~とねじらせて下に押し込んでいる写真です。

 

 〈な、なんだ、このすごい “おばあさん” は〉ラブ。それから間もなくして『徹子の部屋』でそのタキミカさんが、私ができるようになりたいと夢見た、さっきの、開脚して胸を床につけるポーズを披露していました。

 

 それを見て改めて〈いやいや、これはスゴイ〉と驚きましたが、さすがにもう〈自分もやってみたい〉とは思いませんでした。残念ながら自分にはとてもできそうにありません。タキミカさん。いまもお元気でいらっしゃるでしょうか・・・。

               三毛猫

ハイハイ差別について考える 〈25〉

 ●厚生労働省が偏見差別に関する調査報告ふたご座

 ここまでハンセン病の差別問題にスポットを当ててきましたが、皆様はハンセン病差別についてどのようにお考えでしょうか?

 

 私自身は子どもの頃ハンセン病療養所の職員用官舎で過ごしたことがありながら、国がハンセン病者に対して強制隔離策をとっていた歴史的事実も、その隔離政策が憲法に反していたという裁判所の判決があったということなども詳しくは知りませんでした。

 そしてこうして記事を書く中で、現在はハンセン病にかかる人はほとんとおらず、また全国のハンセン病国立療養所内で暮らす患者さんの数も以前とくらべると相当少なくなっているという状況を知るにつれ、

 

 現代ではハンセン病に対する差別はなくなっているのではないか? 

               チューリップ赤

 ふとそうした思いになることがありました。

               

 しかし、ある日、新聞記事を見て驚きました。それは厚生労働省が2024年4月3日、ハンセン病の元患者や患者への偏見差別に関する初の全国意識調査の結果報告書を公表したというもので、そこには現在の日本国民の間における差別意識の実態が示されていました。

 

 ●ハンセン病に「偏見」がある人が35%えー

 調査は2023年12月、インターネット上で実施し、2万916人の解答を分析したそうです。それによると、ハンセン病について「知っている」と答えた人は38%。「名前を聞いたことがある」は52%。「全く知らなかった」のは10%でした。

 一方で、元患者や家族への差別が「現在、世の中にあると思う」と回答した人は39・6%と約4割を占め、また自身が偏見差別の意識を持っていると思うか尋ねると、35%が「持っていると思う」と答え、「持っていないと思う」は65%でした。

 それで言うと、さきにふれたような、「現代ではハンセン病に対する差別はなくなっているのではないか?」という私の思いは、見当違いも甚だしいものでした。

               チューリップオレンジ

 また、元患者と家族に対して、抵抗を感じることを尋ねた項目では、

 

 (1)手をつなぐなどの身体に触れる(2)ホテルなどで同じ浴場を利用する(3)元患者の家族とあなたの家族が結婚する—―ーの3項目は

「とても抵抗を感じる」と「やや抵抗を感じる」と回答した人が約20%いました。

 

 さらに、元患者や家族が受けた被害についても、その認知不足が明らかになりました。

「知らない」もしくは「あまり知らない」と答えた人が6割を超えた項目では、

「強制隔離政策を違憲とする熊本地裁判決」が70・4%。「患者家族に対する偏見や差別の被害を認める熊本地裁判決」は70・1%。そして「戦前・戦後に全てのハンセン病患者を強制隔離する官民一体の運動が行われたこと」については67・6%―—だったそうです。

               チューリップ赤

 それら3つの項目は、これまでの記事の中で何度も取り上げてきたので「ああ、あのことか・・・」と覚えておられる方もおられるでしょう。

 

 6割から7割の人が「知らない」か「あまり知らない」ということですが、私自身も「差別について考える」ようになる以前は、ほとんど知らない事柄ばかりでした。

 

 そういう意味では、自分のことを基準にして言うのは憚られますが、私はそれらの項目について、逆に3割から4割の人が知っていたということにも驚きました。

 

 とはいえ、もちろん、大多数の人がそうした事実を知らなかったという状況を踏まえる必要があることに変りはありませんが。

 

 ●「偏見差別は現存し、依然として深刻」ガーン

 ・・・・と、こうした調査報告書を公表した厚生労働省はその報告書で、「偏見差別は現存し、依然として深刻な状況」と指摘しているという。

               チューリップ赤

 また、報告書では、現在のハンセン病への学習や啓発活動の内容や方法が、

抵抗感の軽減や誤った言説への認識を是正することに寄与していない可能性があるとし、

「様々な角度からの検証を早急に行う必要がある」とまとめているとのことです。

 

 —―—ということで、ここで、ハンセン病に関する問題はここでいったん終わりにしたいと思います。

              ハイビスカス

■漫画『はだしのゲン』ラブラブを読む三毛猫 

         <56>

   まっすぐ伸びよ青い麦

 ●兄の浩二に包丁を振り回した母・君江イルカ

 戦争が終わり予科練に行っていたゲンの一番上の兄・浩二も家に戻ってきました。

 しかし浩二は、父と妹と弟が原爆が投下された日に火事で焼け死に、3人のしゃれこうべがバケツに入っているのを目にして深く悲しみました。

 

 とくに、日ごろから戦争に反対していて周りから非国民と言われていた父・大吉に反発し、自分は国のために戦場でたたかうと予科練に志願して家を飛び出ただけに、父・大吉のしゃれこうべを前に「戦争に反対していたおやじが先に戦争で焼き殺されるなんて・・・」と悔しがり、

 

 「おやじと酒をのんでゆっくり話しあってみたかった・・・」しかし「もうケンカもできんのじゃ もうおそい・・・・ こんな姿になっては・・・」とがっくりとなり、首をうなだれました。

            ひらめき

 ーーーーそんな浩二に母・君江が言います。

 

 「浩二・・・ おまえは これから みんなのとうさん がわりに なるんだよ 元気をだして しっかりして ちょうだいよ」

 

 「・・・・ わしゃ もう なにも する気にならんよ もう すっかり 全身の力が ぬけて しもうたよ」。「なにを いうとるんね 死んだものは いくら くやんでも 生きてかえらん のだよ・・・」

 

 「かあさんは つめたいよ とうさんたち が 死んで 悲しく ないのか くやしくはないのか」。「・・・・」それを聞いてムッとなった母は,バシッ と浩二を叩きました。

 

 「こ・・・ 浩二 ばかなことを いうんじゃ ないよ だれよりも くやしくて 泣き叫びたいのは あたしだよ・・・・ いまは あまったれて 泣きごとを いってる ときじゃ ないんだよ あす たべるものが なくて 死ぬか 生きるかと いうときだよ」

               ムキー

 母はそう言うと、浩二の前のしゃれこうべの入ったバケツを取り上げ、

「こんなもの いつまでも みているから めめしく なるんだよ」と言い、「なんだい こんなもの」バンッ と床に投げます。

 

 バケツに入っていたしゃれこうべはカラ カラと音をとたてて転がります。

 「な なにを するんだ とうさんたちの 骨を! ひどいじゃ ないか」「うるさいっ 浩二 外にでて 顔を あらって おいでっ」。

 

 またゲンと昭と隆太に向かっても、「おまえたちも 外にでて 元気を だしんさい グジグジ していると しょうちしないよ」と声を荒げます。そして、ゲンが「か・・・ かあちゃん アメリカが きて たいへんなんだ」と言いかけると、「はよう外に でないと 殺すよ」と包丁を振り回します。

               ムキー

 ギャッ ヒー とみんな怖くなって外に逃げ、ゲンは「うわ——  かあちゃんが 気がくるった あ—— おどろいた かあちゃんが あんなに つよければ アメ公が きても おかされん わい」と昭と隆太に言います。

 

 (包丁を振り回す母・君江・・・。そういえば前にもありました。それは第1巻の最初のあたりです。浩二が海軍に志願するということに怒った君江は、「浩二 どうしてもいくと いうなら かあさん おまえを 殺すよ この親不孝者!」と包丁を浩二にブーンと切りつけ、「や やめてくれ! かあさん」と制止する浩二に「この大ばかっ」と言ったあと、何度も振り回していましたね・・・)

 

 ●投げつけたしゃれこうべに謝る君江えー

 布団に寝ている友子のそばで母・君江が散らばっていた骨を元のバケツに拾い入れています。そして、3個のしゃれこうべをそれぞれ手に取りながら、「あ あんた いたかった でしょう ごめんなさいね・・・ 英子 いたかったかい ごめんよ 進次 いたかったね ごめんよ」と涙をこぼしながら語りかけてこう続けます。

             ひらめき

 「浩二を 元気づける ためにわざと なげつけて みせたんよ かんにんしてね かんにんしてね 戦地から かえってきた 人たちは 魂 が ぬけたように 無気力に なって ブラブラして いる・・・ むりも ないね・・・ 命をかけて 必死で 国のため たたかって きたんだもの 戦争がおわって かえってみると 家をやかれ 家族を 殺された ショックで なにもする気に ならんのは あたりまえ だね・・・ 

 

 だけど いま 浩二までが くじかけたら あたしは くやしいんだよ みんなが 力をあわせて しっかり 生きて いかなくては いけんとき なんだから・・・」。

 

 そして、ゲンたちと外に飛び出た浩二の畳の上に残された海軍の帽子が描かれるなか、

 「浩二 ごめんよ つらく あたって・・・戦争さえ 戦争さえ なかったらね・・・」と言い、バケツに収まった拾い集めた大吉と英子と進次のしゃれこうべの前で、タオルで涙を拭きながら「ううう ううう」と悲しみにくれます。

 

 ●浩二が配給した食糧に喜ぶゲンたちニコニコ

 悲しみにくれている君江の姿を表で見ていた浩二は、「か・・・ かあさん すまん」とつぶやきます。そして外で並んで腰かけているゲンと昭と隆太が、それぞれ「昭あんちゃん はらが へったのう 元気なんかでんよ」「きょうも アサリの汁と イモの はっぱと カボチャの クキだけじゃ」「米のめしが くいたいのう」と言葉を発しています。

 とそこへ、「きをつけー」とゲンが思わず両手で両方の耳をふさぐほどの大声がします。見ると、浩二が手を後ろに組んで立っています。

 

 「なんだ おまえら 腹が へったぐらいで めそめそして 元気をだせっ」 

 

 ゲンは「ど・・・ どうしたんじゃ 浩二あんちゃん きゅうに 元気になって・・・」とビックリしています。そりゃそうでしょう。君江に包丁を振り回され「外にでて 顔を あらって おいでっ」とカツを入れられる前は、「わしゃ もう なにも する気にならんよ」と言っていたのですから。

               真顔

 「これから わしが おやじの かわりであり 隊長だ 海軍じこみで びしびし きたえてやる 力をあわせて がんばるん じゃ わかったか」

 

 「う・・・ うん」。「それでは これより おまえたちに 食糧の 配給をする」「ええっ どこに あるんじゃ」。「わしの リュック サックを あけてみい」「ははっ 浩二隊長どの あけるで あります」「エへへへへ」。

 

 「ワ——イ ワ——イ」と走り、リュックを開けた3人は「うわ—— すごい カンヅメだ カンパンも あるぞ」「米も あったぞ」「ギャ— わしゃ うれしくて しょんべんが もれそうじゃ」と大歓声。

 

 「昭・・・ 元・・・ それから 進次 いやや ・・・ 隆太 だったな  えんりょ せずに たべろ 元気を だして 中岡家の 出発じゃ」。

              口笛

 「アイ アイ」「浩二隊長どの うれしいであります」。ゲンと隆太が並んでそれぞれの片手で相手の胴を掴み、片方の手で浩二に敬礼し、足でピョンピョンこ踊りして嬉しさを表します。そして、ゲンと隆太と昭の3人は、「ギャ—— おいち~~」「キエ—— 気がくるう 気がくるう どうしよう どうしよう」「ギャハハ うれしくて 死にそうじゃ」とひっくり返って喜びます。

 

 そのそばでは、浩二がリュックから取り出した食糧を君江の前に広げ、「かあさん たった これだけの 食糧が 海軍に 命を うりわたした 代金だよ まったく ばかげた はなしだ」と言っています。

 

 それを聞いた君江が「こ 浩二 わかって くれたんだね」と言うと、浩二は「う・・・ うん わしは しっかり するよ」と応えます。「あ ありがとう 浩二・・・」と言う君江の目からは涙がこぼれます。

 

 ●創作されている面白さを味わうタコ

 見たように、海軍から浩二がリュックに入れて持ち帰ってきた食糧にゲンと隆太と昭は歓喜の声をあげて飛びついていました。

 

 前にもふれましたが、昭和19年、20年の日本は食糧が不足し危機的状況にあったと言います。ですから、ゲンや隆太や昭はいつも腹をすかしていたのです。

 

 そこで、私は中沢さんの長兄(漫画では浩二)が、実際にも海軍の予科練から家に戻って来た時に、漫画にあるようにカンヅメなどの食糧品を持ち帰ってきていたのか知りたくなり、例の中沢さんの『はだしのゲン自伝』を紐解いてみました。

 

 その結果わかったことは、終戦になって海軍から戻った兄・浩二がリュックに食糧をたくさん詰めていたというのはどうも漫画の上だけでした。

                カエル

 でも『自伝』には、さつま芋もツルさえ手に入らなくなった食糧事情がますます厳しくなった終戦前の1945(昭和20)年の状況のことがこうあります。

 

 「そのころ、長兄は学徒動員で、呉の海軍工廠(しょう)に溶接修理工として動員され寮生活となり、一ヶ月に二、三回しか家に帰ってこなかった。私たちは長兄が帰ってくるのが楽しみだった。寮であまったご飯を弁当箱に詰めて持ちかえってくれるからだ」

 

 あれ? 漫画ではリュックからでてきたのはカンヅメやカンパンやお米だったはずでしだが、実際の長兄が持ちかえったのは、弁当箱に詰められていた「寮であまったごはん」とあります。

 

 しかも月に2度、3度家に帰っています。漫画は、終戦になって、浩二がようやく海軍からもどってきたという話しになっていました。

 

 そこで私は『自伝』のページをなおもしつこく繰って、海軍からもどった長兄がカンヅメやカンパンを持ちかえったという記述がないか調べましたがありませんでした。

 しかし次のような箇所がありました。

              ニコニコ

 8月6日に原爆が投下されて1カ月がすぎた9月の「そんなある日、海軍から復員してきたY叔父が幼い男の子を連れてきた。海軍士官のころの颯爽とした面影はすでになく、リュックを背負いやつれていた。Y叔父は、背負ってきたリュックのなかから牛肉の缶詰を取りだし、私たちに食べさせてくれた。私は、『この世にこんなうまい物があったのかっ!』と牛肉の味を噛みしめた」。

 

 ということは、想像するに、漫画の中の、ゲンと隆太と昭が、兄・浩二のリュックから出てきたカンヅメやカンパンにひっくり返るほど喜ぶ描写は、どうも中沢さんのY叔父さんのこの時の話が基になっているものと思われます。

 

 つまり、海軍から復員してきた叔父さんのリュックから出てきた物の話を、漫画では、海軍の予科練から戻って来た兄・浩二のリュックから出てきた話にしているのかもしれません。

 

 なお、次のようなことも書いてあります。

 それは、集団疎開で寺に行っている次兄(漫画では昭)を、Y叔父と長兄が迎えに行き、ふたりは「交通機関はなくて歩きつづけ、三日かかって次兄を連れ帰ってくれた。迎えに行く日が二、三日遅れていれば、次兄は孤児院に送られているところだと話した」。

               びっくり

 ビックリです。漫画では、先に見てきたように、終戦になり、集団疎開で田舎の寺に行っている次兄の昭を迎えに行ったのはゲンと隆太でした。長兄の浩二は昭の後から家に帰って来ています。

 

 しかし、実際には中沢さんの叔父さんと長兄が、次兄を迎えに行き連れ帰っていたのです。あらためて創作の面白さを味わされます。

 

 ●怒った浩二はアメリカ兵を殺しにいくムキー

 さて、やる気をなくしていた浩二が「わしは しっかりするよ」と言い、母も「ありがとう 浩二・・・」と言って、母と子は仲直りしました。とそこへ、表の方からワイワイ ガヤガヤと声が聞こえてきます。

 

 「お——い アメリカが きたぞ」「宇品港から 完全武装で 上陸して きたそう じゃ」「みんな かくれろ 女は 外にでるな」

 

 「あ あんちゃん たいへんじゃ いよいよ 金玉を とられるぞ」「く くそ きやがったか」。

 完全武装して整列し、ザッ ザッ ザクッ ザクッと靴音を立てて行進するアメリカ兵と並走するジープの絵。ゲンと隆太が陸軍兵舎の跡に捨ててあったものを拾ってきたピストルを手にして「く くそ わしらの ところへ きてみろ ぶっ殺して やるぞ」「そうじゃ 戦闘 開始じゃ」とまなじりをあげます。

                ムキー

 浩二もつま先をあげ両膝をつきながら、「く くそったれ アメ公め ゆうゆうと 上陸して きやがったか 原爆を おとして 広島をつぶし おやじたちや わしらの仲間を 殺した アメ公どもだ・・・」と言い、

 

 両膝に当てた両の手の指に力を入れ、「こ・・・ 殺したる わしは アメ公を 殺しゃげたる」とこれまたまなじりを決して怒りをあらわにします。

 

 ザッ ザッ ザッ と行進するアメリカ兵のクローズアップ。

 

 続いて、まなじりをあげた浩二のクローズアップ。浩二の怒りが尋常じゃなさそうなことが伝わります。

 

 その浩二がヨロヨロと歩き出したのを見て、訝ったゲンが、「ど・・・ どうしたんじゃ浩二あんちゃん ものすごく おそろしい 顔して どこへいくんじゃ」と声をかけます。

 

 ふたたびクローズアップで描かれる、ザッザッザッと靴音をたて行進するアメリカ兵。(前の絵も含め宇品港に上陸したと噂が立った完全武装したアメリカ兵たちの、いわばイメージ・ショットのようです)

               ムキー

「こ 殺したる わしゃ アメ公を 殺しゃげたる」。「浩二 あんちゃんは おそろしい顔をして どこへ いくんじゃ」とゲン。

 

 「この広島に おそろしい 原爆を おとしておやじたちを 殺したアメ公を やっつけてやるんじゃ」と浩二が、おそろしげ顔をして言うと、ゲンと隆太は「むちゃだよ アメ公は 鬼畜じゃけえ 金玉を とられて 殺されるぞ」「そうじゃ 女は おかされるんだ やめた ほうがええよ」となだめようとします。

 

 しかし浩二は、「わしは やるんだ このまま だまって おれるか わし ひとりでも アメリカと たたかって やるんだ」と駆けだします。

                えー

 「うわ——い 浩二あんちゃん まてよ——」。「おかあちゃん たいへんじゃ 浩二 あんちゃんが アメ公を やっつけに いったよ」。浩二が「アメリカとたたかってやる」と駆けだしたのでビックリしたゲンが家の中の母・君江に慌ててそう知らせると、

 君江は「な なんだって 元 はよう とめるん だよっ」と表に飛び出します。

 

 そして、走っている浩二をゲンが追いかけ、隆太は「あんちゃーん」、君江は、「浩二——っ」と呼びます。

ー続く

       チューリップ赤ちょうちょふたご座チューリップ赤パンダ鳥チューリップ赤

           2024年6月8日(土)

                                            おばけくん