オカメインコ~『60歳からの「悠々」生活!?』~ 

           ㇷ゚ロローグ / 第1章 60歳は「人生の仕上げ期」の始まり 第2章 定年後は”宝の時間”が待っている  

        第3章 元気なうちは働く? 第4章 「自分の時間を売り渡さない」人生への帆を上げる 

        第5章 「悠々」 生活の基礎ー私の例  第6章 お金?そりゃ、あるにこしたことはないが ・・

        第7章 友人は大切だが孤独もまた「友」なり 第8章 おいおい、悠々と老いる エピローグ

                 エピローグ~Ⅴ

Ⅴ‐Ⅴ)リタイアしても前向きに生きるハイビスカス

 宮仕えにピリオドを打つ。もう出勤しなくてもいいのだ。ということは、これまでのような「前のめり」な働き方や生き方をしなくてもよくなったということでもある。

 しかしだからと言って、もう「前」を向かなくてもよいかというと決してそんなことはなく、月並みかもしれないが、リタイア後も自分を見失うことなく前を向いて生きることが大切だと思う。  

 

 ここまで綴ってきたこの『60歳からの「悠々」生活!?』の中で、多くの人が否定しがちな「余生」という言葉を、私の場合は、むしろ肯定的に受けとめていると書いた。人の寿命が医療技術の進歩などでどんなに延びても、人の身体上・人生上の大きな節目は変わらないのではないか。だとすれば、その大きな節目である60歳は人生の一区切り。老いが始まる頃のその60歳からは「余生」とみてもいいのではないか、と。

 しかし、だからといって60歳以降は後ろ向き、無気力でいいとは考えてはいない。むしろ、今は長寿社会になったのだから、60歳以降を余生とみるかみないかに、反対、賛成に関係なく、残された人生を「新たな人生」「創造的な人生」と意欲的、積極的にとらえて、豊かに実り多い時間を過ごしていくべきだと考えている。

 

 ただ、私は『60歳からの———―』の中で、定年になった60歳から、平均寿命の80歳までの20年間を長いと言う見方にも異を唱え、「決して長いとは思えない」という気持ちを持っているとも述べた。それには理由があった。

 

 1年が過ぎていくスピードが年々早まっていると感じていたからである。だから20年なんて「あっという間に違いない」と思っていたのだ。

 

 そのため、定年を迎えた60歳までの間、十分に手ごたえのある生き方をしてこなかったと感じていた私は、定年後、手ごたえのある人生を生き直すうえで20年という時間は足りないのではないかと悲観していたのである。しかしそんななか、私は、次のような、ガツン! と頭をたたかれたような衝撃的な一文に出会った。

 

老後は、あとになってみれば、けっこう長いのである。どうせ、老い先短いものとして決めてしまって、努力することをあきらめてしまうのは、人生の浪費、もったいない限りである。自分に対しても不誠実だ。そのつもりになれば、老後は充分に長く、そして輝かしいものでありうる。

               『老楽力』(外山滋比古 著 展望社)より

 

 ベストセラー『思考の整理学』(1983年 筑摩書房)の著者でもある外山氏は、2020年に96歳で亡くなるまで、お茶の水女子大学名誉教授、英文学者、評論家として旺盛な執筆活動をなさっていた方である。確かに、私は氏が書いているように、もう「老い先短い」と決めてかかっていた。つまり定年になった60歳からの20年はアッという間だと、決め込んでいたのである。

 

 しかし、外山氏は、老後は「けっこう長い」と身をもって伝えてくださっている。そして、努力するのをあきらめてはいけないと、叱咤激励されている。

 ありがたく、うけとめたいと思う。

 

 また、氏は著書の中で、「老後は充分に長い」という、その老後の起点ともいうべき定年を迎える頃のサラリーマンがともすると抱きがちな心境や状況を述べ、「それではいけない」と次のような警鐘を鳴らしている。要約して紹介すると—―。

 

 —―定年になり「勤めをはなれるというのは、勤め人の危機である」。勤めをはなれたあと、「これからなにをするかはっきりしていることはむしろ稀である」。もう「この際、先のことは考えたくない。いまさらなにをしてもはかない。どうせ年金生活なのだから・・・。」などと弱気になりがちだ。また、「どうせ、年老いたのだから、いまさら面倒なことはごめんこうむりたい。どうせ退職したのだから、これからは、悠々自適で余生をすごす」というようになりがちである。しかしながら、「その実は、なまけて、なり行きまかせに、生きていこうというよくない心にふりまわされている」―—。

 

 確かに、言われてみると、私自身も、定年になった60歳以後も一応の目標を持って生きていくつもりではいたものの、心のどこかに、この先いずれは「なり行きまかせに、生きていこう」という気持ちがある。氏が指摘していることは図星なのだ。

 

 先に引用したー「老後はけっこう長い」「(老後も)輝かしいものでありうる」というくだりと合わせて、その教えを率直に受け止めて、60歳からを「悠々」と過ごしてゆきたいと思う次第である。そうした意味でも、やはり、リタイアしてからも「前方」をきちんと見すえて、前向きに生きていくことが大切なことなのだろう。

                              ー完ー

 2020年11月16日に第1回がスタートして3年半。この間、何度か訪れてくださり、「いいね!」をくださった皆様にこの場をおかりして厚くお礼申し上げます。

             

               コアラ

ハイハイ差別について考える 〈24〉

 ●観客は冷酷な主人公に酔って感銘したラブ

 シナリオ作家として活躍した猪俣勝人氏は著書『日本映画名作全史―戦後編―』(教養文庫・現代思想社)で『砂の器』を批評している中で気になることを書いています。

 

 それは『砂の器』を「世にも不思議な成功作」と書いていることです。

 そして、氏がシナリオを教えている映画を見た大学の芸術学部の学生たちが、「よかったという感嘆の声を発したものの、そのよさについて突っこんでゆくと、ややしどろもどろになる者が多かった」と述べ、

 

 「 ぼくも見ている間、なんとなく感動していた。そして最後に見終って、明るい表へ出てくると、妙にちぐはぐな気持になっていることに気付いた。たしかによかったのだが、さてどこがよかったのかと追及してみると、そのよさはこのドラマの出発点である殺人事件のおこる必然性とは正反対の部分にあることに気付いた。」と書いています。

                チューリップ赤

 つまり、映画を見た若者も猪俣氏も、映画に感動はしたものの、その感動をうまくスンナリと説明できない。「しどろもどろ」だったり、見終ったあと妙にちぐはぐな気持になっていたというのです。

 

 しかし、猪俣氏は映画の内容を一通り解説した後、終わりのところで、ちぐはぐな気持になった原因を分析している。

 

 氏は、主人公の音楽家・和賀英良(加藤剛)が満員の大ホールで自ら作曲したピアノ協奏曲 “宿命” を荘重に自ら弾奏しながらオーケストラの指揮をとっていたと解説を加えた後、こう書いています。

 

 すなわちーー「 この映画の観客は、雪の父子巡礼の哀れさ、父と子の愛の強さに感動した気持のまま、つまりその気持ちに酔って、この協奏曲に感動するのである。

 

 この人物が不幸な父親を一生いたわり、慰め、そしてその父親を喜ばすためにぜひ一目会ってやれとわざわざすすめにきてくれた好人物の老巡査を殺すような冷酷な人間に変ってしまった男だということを忘れてしまっているのではないか。

 

 そうでなければここで感銘する道理はないからだ」ーー。 

 

 その後さらにこう書いています。

 

 ーー「 酔ったようにピアノを弾き、指揮をとる美しい青年音楽家のすがただけが感動的に描かれ、観衆(音楽会の聴衆ではない)はうっとりそれに見惚れているだけである」。そして、

                チューリップ赤

 「 加藤剛が扮する和賀英良の恩人殺しという事件の性質を、ここではほとんどまったく無視している。そこにどんなに醜い処世上の打算が働いたか、そのあさましさがすこしも語られていない。

 

 反対に、“宿命” の作者として仰ぎ見られる場において拍手だけを贈っている。そしてその矛盾にふれない作り方に、観客はすっかり乗せられ、感嘆の声を惜しまない。ぼくはその不思議さを今も解けないでいる」ーーと。

 

 ●『差別の教室』著者の主張は正しかった?ニコニコ

 つまり、氏が映画に感動したものの、「妙にちぐはぐな気持になった」のは、主人公・和賀英良の恩人殺しの罪が不問にされている状態のままの映画を見ている観客が、その「矛盾」に乗せられ、あまつさえその和賀にうっとり見惚れて喝采を贈っているからだと思われます。

 

 それが、氏がこの映画を「世にも不思議な成功作」と書いている理由だと思われます。

 

 ・・・・・と、こうして猪俣氏の批評文をじっくり読んでみると、私は『差別の教室』の著者が『砂の器』について、「映画は人殺しをする主人公にどこか同情的だし、彼らを捕まえる刑事もずいぶんと情状を示し」、「観客も違和感どころか、涙さえする」

 ーーー等々と書いていたことに、通じるものがあるような気になります。

              チューリップ赤

 つまり、『差別の教室』の著者が『砂の器』を見て抱いたものとシナリオ作家の猪俣氏が抱いたものを並べてみると、それぞれ言い方は違っていても、言いたいことは一緒のような気がしました。私は著者の主張に見当違いな異議を唱えたかもしれませんね。

 

 けれども、往生際が悪いと言われそうですが、私は、『砂の器』がハンセン病差別を黙認し、肯定した映画ーーーという見方に組みすることは、どうしてもできません。

 できれば、そのほかの批評家の文章にも当たってみたいと思いましたが、残念ながら、そのための時間と余力はもうありません(笑)。そのためこの「『砂の器』とハンセン病」問題はこれで終わりにしたいと思います。

              えーん 

■『はだしのゲン』ラブラブを読むふたご座

      <55>

    麦よ出よ

 ●疎開していた昭が母のもとに帰るニコニコ

 体の具合が悪く、そのうえ赤ん坊の友子を連れて歩けない母・君江の代わりに、戦争中田舎に疎開していた兄・昭を隆太と二人で迎えに行ったゲン。途中いろいろありながらも無事に兄の昭と再会したゲンは広島に帰ってきました。そして廃墟と化した広島のかつての家の跡地に、ゲンは昭と隆太と3人で父と姉と弟を偲んで麦の種を植えました。そして母・君江のもとに帰ってきました。

 

 「うわ——い おかあちゃん 昭あんちゃんを つれて かえってきたぞ」「つかれた— つかれた—」。「げ 元・・・」

 

 「お・・・ おかあちゃん・・・」「お・・・おかえり 昭・・・」「うわ——ん おかあちゃんの ばか ばか ばか なんで はよう むかえに きてくれん かったんじゃ さびしかったよ さびしかったよ」。昭が母の胸に飛び込みます。「昭っ」

 

 「ごめんよ ごめんよ 昭・・・ かあさん もう はなさいよ ぜったい おまえたち は なさないよ」。

 

 ●鉄男にもらって植えた麦が芽を出す口笛

 それから数週間がすぎました——。

 「お——い  みんな はよう こいよ」

 

 「なんじゃ あんちゃん」「これを みろよ」。

 ゲンが隆太と昭と、友子を抱いた母を呼び寄せます。見ると、数週間前に植えた麦が芽を出しています。「うわ——っ 麦の芽がでとる」「ほうよ 七十年は 草も木も はえないと いわれた 広島に 芽が でたんじゃ」。「ばんざ——い あんちゃん よかったのう」。ゲンと隆太は小躍りします。

 

 「なんだか うれしく なるのう」と昭が言えば、ゲンは「ほうよ こいつを みていると なにか 力が わいてくるのう」と言い、友子を抱いた母は「ほんとうにねえ」と嬉しそうに言います。そして、輝く太陽とともに描かれた一本の麦の穂を背景に立つ親子が大きなコマの中に描かれている中で、その母・君江はこう言います。

                ウインク

 「 おまえたち いつも とうさんが いうとった 麦になるんだよ ふまれても ふまれても 強く まっすぐに のびる麦に・・・ これから どんなに つらくても この麦に まけないよう 芽をだして 大きな麦に なって ちょうだい」。「まかしとけ かあちゃん」。

 

 「さあ かえるぞ」「ワッショイ ワッショイ」。

 材木を積んだリヤカーの取手を昭が持ち、その取手に結わえた紐をゲンと隆太が持って先頭を歩いて、3人はリヤカーを牽き、友子を抱いた母・君江は後ろからついていきます。遠くから元気な歌声が聞こえてきます。

 

 「むかし むかし そのむかし しいの木林のすぐそばに 小さな お山が あったとさー あったとさ」

 ———ーーここで第3巻は終わりです。

 

 ●第1巻、第2巻、第3巻を読み終えてにっこり

 ここまで『はだしのゲン』(汐文社刊)全10巻のうちの第1巻《青麦ゲン登場の巻》、第2巻《麦はふまれるの巻》、第3巻《麦よ出よの巻》を読んできました。

 

 ざっとふり返ると、第1巻では原爆が投下されるまでの戦時下の日々と惨状を極めた原爆の日の状況が描かれ、第2巻からは、主人公ゲンがそこから立ちあがっていく焼け跡の生活が起伏に富んだストーリーの中で描かれていきます。

 

 その「焼け跡の生活」は、「原爆は死ぬも地獄 生きるも地獄・・・ 生きのこった多くの人が 悲しみのつらい涙を各地でながしつづけていた」という作者の思い、

 

 また、「昭和二十年八月十五日——この日をもって日本の長い戦争の歴史はおわった・・・・ だがこの日から 国民にとっては 地獄の苦しみの幕あきであった——」という思いに根ざしたものでした。

                ムキー

 そしてストーリーの面白さにつられてついのめり込む話の底には、必ず原爆のつめ跡がありました。第2巻から登場しストーリーを俄然面白くしたゲンの弟にそっくりの隆太は原爆孤児。

 

 第3巻の大半を占めていた話しの、ゲンが一日三円で介護の世話をした画家志望だった吉田政二の悲劇のもとは、学徒動員で広島に勤労奉仕へでたときに原爆(ピカ)の光を浴びたからでした。

 

 面白いストーリーの底に “原爆” があり、絶えず “顔” を出すのは無理もありません。作者は6歳の時に被爆し、その情景がいつまでもありありと思い出され、6歳の網膜に焼きついた原爆の姿を『はだしのゲン』で徹底的にかいてやろうと思ったからです。

「戦争で、原爆で、人間がどういうふうになるかということを徹底的にかいてやるぞ」と思いながらかいているからです。

 

 さらに言うと、作者は、「原爆をあびると、こういう姿になるという本当のことを見せなくては意味がない」「原爆の残酷さを目にすることで『こんなことは決して許してはならない』と思ってほしい」(『はだしのゲン わたしの遺書』)からです。

                イエローハーツ

 しかしストーリーの底にあったのは “原爆“ だけでなく、優しさや思いやり、家族愛もありました。それは、周囲からいじめ続けられたピカでキズを負った吉田政二に寄り添い続けたゲン、夫と子どもを原爆の日に失い打ちひしがれた母親を励まし支えたゲンを見れば明からです。

 

 第1巻から第3巻をふり返って、あと2つ取り上げたいそのうちの1つは、『はだしのゲン』には、随所にユーモアがあり、笑いがあることです。

 

 例をああげるときりがありませんが、1つだけあげれば、第3巻の終盤で、鉄男とさち子の兄妹が、お百姓さんの同情をひいて食糧品を手にする方法をゲンと隆太が真似をした時に見られたユーモアです。

              ニコニコ

 隆太がゲンを殴り、ゲンが泣いているのを見た村の子供たちは、俺たちも加勢してやるとゲンを殴ります。またお百姓さんも、だらしのない兄だと言って、同情するどころかゲンをゴツンとしていました。思わず笑ってしまったユーモアたっぷりの場面でした。

 2つ目は、なんと言っても、『はだしのゲン』は「麦」が大きなテーマの一つと作者が言っているように、漫画の中でゲンの父親の大吉が語るーー「ふまれても ふまれても たくましい芽を出す麦のようになれ」というセリフが、

 

 第1巻から第3巻の中でも何度もでてくることでした。

 

     まっすぐ伸びよ青い麦

 ●上陸してくる米兵にたった恐るべき噂びっくり

 さてここからは第4巻《まっすぐ伸びよ青い麦の巻》です。281ページもあります。その最初のコマは、戦後の歴史の上では必ず登場する連合軍司令官マッカーサー元帥が、例のパイプを咥えて、厚木飛行場に着いた飛行機から降りてくる場面です。

 

 その日は、昭和二十年八月三十日。「敗戦後の日本はすべてこのマッカーサー元帥の命令によって動かされ」ます。そして彼は「天皇にかわって日本の新しい権威者」として君臨することになります——ー。

 

 ガヤ ガヤ ボソ ボソ ガヤ ガヤ

 籠を背負い、鍬を担いだ村人たちが何やら話しています。

 「おい もうすぐ アメリカが 日本に 上陸してくる そうじゃ」「この広島にもか」「ほうよ」。「はなしによると アメリカ兵につかまると 男は みんな金玉をぬきとられ 女は おかされる そうじゃぞ」「やりそうなことじゃ 相手は 鬼畜米英じゃけえ・・・」

             真顔

 「どうすりゃ ええかのう おそろしいのう」「なにしろ 日本は 無条件降伏で まけた国 じゃけえ アメリカに なにをされても もんくが いえんと いうことじゃ」。

 

 「わしゃ 娘をつれて いなかへ ひっこそうと おもうて いるんよ」「わしの 娘も ぜったいに 外へ ださんように せんと いかんのう」。

 

 「それより わしら 金玉をとられたら どうするんじゃ」「ほうよ たいへんな ことじゃ 男の価値がないぞ 鉄のパンツを はいていないと いけんのう」「わしゃ 鉄のフンドシを つくるかのう」。「とにかく たいへんなことに なったのう」「こまったのう 金玉をとられたら いたいぞ・・・」

 

 ●金玉を取られるのを恐れるゲンと隆太ガーン

 「・・・・ ・・・・」

 「あ あんちゃん きいたか?」「う・・・ うん」。村人たちの話を、登っていた木の上で聞いていたゲンと隆太がビックリし木から降りてきます。

 

 「あんちゃん どうする わしゃこわいよ」「く くそったれ アメ公に 原爆をおとされて また 金玉をとられて たまるかい 金玉を とりにきやがったら わしゃ たたかうぞ」。

 「だ だって アメリカは 鬼じゃけ 武器がないと まけるぞ」「そうじゃ 陸軍兵舎の とこに武器が あったぞ とりにいこう」「ほうじゃ 武器を 手にいれて 金玉を まもるんじゃ だけど アメリカは どうして金玉を とるんかのう 金玉を たべるんかのう」

               ムキー

 「わからんのう アメリカのやつ ほんとうの金と まちがえて いるんじゃないか ばかたれじゃのう」。

 

 「あんちゃん 女は おかされると いうとったが どうするんじゃ 女はええのう 金玉が ないけえ」「ほうよ」。「隆太 ぼさぼさ できんぞ はよういこう」「そうじゃ 金玉を とられたら たいへんじゃ」。二人は陸軍兵舎の跡へ駆けます。

  

 そして捨てられてある武器の山を前に、「武器なら 兵隊が 武装解除で すてていったのが いくらで もあるわい」「こいつさえあれば 安心じゃ」と喜び、「わしゃ こいつが ええのう」「わしゃ これに するか・・・」とそれぞれピストルを手にします。

 

 そして、ゲンは、「こいつ タマが でるかのう うってみるか? さあ アメ公 金玉を とりにきてみろ わしが 殺してやる」と耳を指でふさぎながらピストルを撃とうとします。              

 隆太も「そうじゃ そうじゃ」とピストルを構えます。しかし「死ねっ」と引き金を引きますが、カチンと音がするのみです。「なんじゃ タマがでんぞ」「ほんとうじゃ つまらんのう」

               ガーン

 しかし「くそっ」ともう一度構えて引き金を引くと、ガーン、ガーン、銃口は火を噴きます。「ギャ」「アレー」。バキッ バキッ。

 

 弾が当たった木の枝が砕き折れて落ちます。「ヒ—— で でたっ」「イタタタ すごい反動じゃのう 手が しびれたよ」

 

 「よかったの 隆太 このピストルは つかえるぞ」「ほうよ これさえあれば アメ公なんか きたって こわくないぞ」。「もう一回 うったろう」「あ・・・ あんちゃんこ・・・ こわいのう」。「そんなことじゃ 金玉を とられるぞ しっかりせえ」「ほうじゃ がんばらんと いけんわい」

 

 「いち にの さん」「それー」ガーン ガーン。

              ガーン

 隆太は反動で頭がジ~ンとし、「ギャハハハ うった うった タマはどのへんを とんで いるのかのう」と、左手を頭にかざし目を遠くにやってどけます。

 

 「ばかたれ タマが みえるか! ものすごくはやいんだぞ」「へ—— ばかみたい」。

「それより はよう かあちゃんに しらせるんじゃ かあちゃんは 女じゃけえ おかされる けえのう」「ほうじゃ 友子ちゃんも おかされるぞ」。「たいへんじゃ たいへんじゃ」。二人は急いで家に駆けます。

 

 ●予科練に行っていた兄・浩二が帰宅するえー

 「たいへんじゃ たいへんじゃ アメ公に 金玉を とられるぞ」そう叫びながらゲンと隆太が家に着きました。

 

 「かあちゃん たいへんじゃ」とゲンが戸を開け、目にしたのは予科練から帰って来た長兄・浩二のカバンと、沈痛な面持ちで座っているその兄と、母・君江と次男・昭の姿です。( もう金玉はでてきません。村の男たちがその話でもちきりだった時から数えると “金玉” が、実に13回も出てきています。そのうえ、タマはタマでもピストルのタマも4回。さすがに金玉の話はもう終わりにしています)

 

「あ・・・ あんちゃん こ 浩二 あんちゃんじゃないか ばんざ——い」とゲンは喜び勇んで部屋に上がります。

                ショボーン

 しかし、ふり返った兄は、「・・・・ ・・・・」無言で沈痛なままです。

 

 「・・・・」。兄・浩二の前にあるのは、いつかゲンが家の焼け跡から掘り出してきた父・大吉と姉・英子と弟・進次のしゃれこうべが入れてあるバケツでした。

                ひらめき

 「元 浩二は そっとして おいてやり とうさんと 英子と 進次が 死んだんで 悲しいんだから」と母・君江が言うと、ゲンも「そ そうか」と、ようやく浩二が沈痛な面持ちでいた事態が呑み込めます。

 

 この後のコマには、生前、大吉が、大吉に反抗して予科練に志願した浩二を激しく諫める、二人の場面がフラッシュバック(過去の出来事を挿入する技法)的に回想されます。

 

 ーーー「 浩二の ばかたれ わしは 戦争で人殺しをするために おまえを 十八まで そだてたんじゃないぞ よくも かってに 予科練なんかに 志願したな」。

 

 「わしは とうちゃん みたいに戦争に反対して 非国民といわれるのは いやだ 国のため 日本人のため アメリカとイギリスを 飛行機のりになって やっつけてやるんだ わしは 戦場へいって たたかう!」

              ムキー

 「このばかたれ」。大吉は浩二を叩きます。

 

 「浩二 この戦争が 日本人 みんなのためになっていると おもっているか ひとにぎりの 金持ちが もうけるだけの 戦争だ おまえは 金持ちのために 死んでやるのか 命を むだにするな」「わしはいくんじゃ」。

 

 「かってにせえ おまえは もう わしの子じゃ ないわい」。

 

 「おにいちゃん 千人針よ これを腹に まいてくと タマにあたら ないのよ」

               イエローハーツ

 「英子 ありがとう」。ボーッ 警笛をならし走る機関車には父に逆らって予科練に向かう浩二が乗っています。

 

 その浩二を見つけ、「もうわしの子じゃないわい」と言った大吉が「中岡浩二 ばんざ——い 中岡浩二 ばんざ——い 浩二 死ぬなよ どんなことが あっても 死ぬな 生きてかえれ—— どんなに ののしられても 生きてかえれ——」と大声で叫んで浩二を見送ります。

 

 (そこで回想がおわり)ーーーー目から涙が落ちている浩二は、「あのときが おやじの 最後の みおさめ だったのか・・・」とつぶやき、大吉と英子と進次が家に押しつぶされたまま業火に巻かれていく場面の絵の中で、

               プンプン

 「皮肉なものだ 戦争に 反対してた おやじが 先に 戦争でやき殺される なんて・・・」と悔しがります。

 

 そして目から涙をいっぱいこぼしながら怒りをぶちまけます。

 

 「く くそったれ アメ公め なんで 広島に原爆を おとし やがったんだ! この手で アメ公の やつらを ひきさいて やりたい!」。

 

 そして、「わしは・・・ わしは もう一度 おやじと 酒をのんで ゆっくり話しあって みたかった・・・ もう ケンカも できんのじゃ もう おそい・・・・ こんな姿に なっては・・・」と、しゃれこうべの入ったバケツを前でうなだれてしんみりします。

 ー続く

      チューリップ赤チューリップチューリップ赤ふたご座チューリップ黄パンダちょうちょチューリップ赤

       2024年5月29日(水)

          おばけくん