口笛中年の研究ー中年をどう生きるか  ~目次~(投稿分) 

 はじめに 第1章 ようこそ中年へ (1)中年はいつ始まり、いつ終わるのか私が中年を意識した頃中年の始まりは40歳前後とは限らない / 35歳が中年の始まり? / 25歳の娘の眼からは52歳の私は高年! / 苦肉の言葉? 中高年 / 「中年は伸縮自在な年齢」その理由 /(2)中年という言葉は、いつ、どこから生まれてきたのか / “俵かつぎ対抗リレーで壮年団が与えた感動 / 「中年の魅力」という言葉を耳にしたのは昭和30年代~40年代だった / 「中年者」という言葉は江戸時代からあった / 中年世代人口と若年世代人口の逆転 / アメリカで出版された『ミドル・エイジ・クライシス』 / ギリシャ神話の中年男・ミダース王 (3)ひとは、いつしか中年になる  /  年齢よ! 37歳のままで止まっておくれ! / 永遠に37歳でいられるのが「最高」!? / まだ若い若い / 中年は一日にして成らず / 中年のしるし ベスト・スリー / 中年の番付とライフサイクル上の位置 / 「新婚さんVs.中年夫婦さんいらっしゃい!」 /

 第2章 「中年になる」ということ (1)中年になるということは人生が半分過ぎたということ / 中年の発見 / 中年現象の共通性 / 人生の残り時間を意識する / あることを終えたという感覚に包まれる / 青春の魔法を失う / 老いや死を意識しだす / 一年をはやく感じるようになる理由(わけ) / (2)中年の峠から見えてくるもの / 失うものと得られるもの / 肉体の衰えの中に生の本質を発見する / 中年からの時間の質 / 中年は体験と時間を実らせる / 世の中や人間がわかるようになる? / 中年からは知恵と技が勝負の切り札 /  (3) 本当の大人になる /  私が「自分は大人になりきれてない?」と懐疑的になるとき / 私を懐疑的にさせる理由 / 迷えるオトナ/  大人になんかなりたくない 

  第3章 私の中の中年もよう (1)中年になったことに誇りをもてるだろうか / 中年の私は二つの間(はざま)で生きている / オヤジの魅力はホットするところと哀愁感”/ 中年を誇ろう!中年と同窓会 /過去は宝物 / 内なる少年性 / 父親の心を知る / 親から子へ・・・/(2)中年になったればこそゆったりと アルコールとのつきあい / 酒と私  / ゴロゴロしててもいい / 中年と趣味 / 庭いじりを好むようになる理由(わけ)/中年と家事 /中年とお金 / 貯まる人と失う人 (3)中年における不安危機も人生の通過点 熟年離婚の増加は本当? / 夫婦・・その理想と現実” / 長寿社会と中年夫婦” /   第4章 中年の危機をのりきる  (1)中年の危機とは何か ピントこない?中年の危機”/ 私も中年の危機のただ中にいた・・・/それはアメリカ発だった/レビンソンがとらえた中年の危機における危機/ ”中年の危機は誰にもやってくるという〈2〉危機は成長過程の一部? 8つの危機 /8つの危機の意味するもの/危機は成長の可能性を孕(はら)んでいる/「中年の過渡期」(=危機)の3課題 を考えるエリクソンによる発展的危機説 / アメリカで中年の問題が始まった理由(わけ)/(3)危機は変化と可能性への糧である 人生を段階的なものとみる東洋的な特徴 / 昇りの梯子を見失う日本における中年の危機”/元祖!?中年の危機への対処人ーカール・ユング / ユング自身が体験した中年の危機 / 「創造の病(クリエイティブ・イルネス)」と危機の克服 /

   第5章 中年からを生きる (1)自分らしく生きる  四十になったら惑わない? / 今を楽しむためと将来に備えて“好きなこと”をする / 人と余計な競争をしない / 自分らしく行く(生きる) / 内なる声や内で燃えるものに従う / 五十歳でギア・チェンジする / 自分らしく生きる贅沢 /(2)中年だからこそ夢を持つ 中年になって夢にめざめた私 / 夢の力を見直す/ 中年からの”夢の力” /「5年ごとに新しい夢を描く」生き方 / 生活と人生の不満から夢が生れる /

         第5章 中年からを生きる

 (2)中年だからこそ夢を持つⅠ~Ⅵ

 Ⅵ‐Ⅵ)午後の人生を愉しく深く生きるために

 生活と人生における不満が夢のタネだとするならば、不満のタネは尽きないように思われる。それだけに、そのタネの数だけ、夢の数も数多くあるにちがいない。

 たとえば、広い庭のある大きな家に住みたい。財を成してお金に不自由のない暮らしがしたい。世の中が明るく平和であって欲しい。病とは無縁で元気に長生きしたい。ーーー等々のそうしたいろんな夢をかかえて私たちは生きている。

 

 私たちは現実と日々向き合っている。そんな中、抱いた夢が実現しなくても、地に足がついた生活ができていれば、見果てぬ夢を見ながら、現実的な日々を過ごせていければそれでもよい、という考えもあるだろう。じつをいえば私自身、夢を持って積極的に生きたいとする半面、そのようにむきにならずに、だら~んとした流されるような日々でも良しと思うこともある(実際もそうかもしれない)。

 

 夢を実現するためには時間と努力とエネルギーがいるが、流される毎日は、衣食住が足りていれば、それはそれで楽だからだ。流れに身をまかせる心地よさがある。

 それはそれで、仕方ないとしよう。夢を持って生きるのは素晴らしいからといって、それは強制されるものでも、義務でもないからだ。

 

 しかしながら、中年からの残された人生を、流れゆく現実に身をまかせ現状に安住する生き方だけではもったいないという気がするというのも確かなことである。

 午後の人生をもっと愉しく深く生きていってみたい。中年だからこそ夢を持った生き方ができないだろうかという気がするのである。

 

 中谷彰宏氏の『人生を愉しむ50のヒント』(三笠書房)という本の中に次のようなことが書いてあった。

 

 ーーーあなたのやってみたい夢を、書き出してみて下さい。

 まず、紙に大きく「私の夢」とタイトルをつけて下さい。

 どうですか、いくつ書けましたか。いくつでも書いてみて下さい。

 簡単な夢でも、到底、手が届かないものでもかまいません。

 そして、タイトルを、変えて下さい。

 「夢」を二重線で消して「予定」に書き直すのです。

 あなたの書き出したものは、あなたの夢ではなくて、あなたの予定です。

 夢だと思っていたものを、予定と書き直すだげで、かなり近づきましたね。

 

 確かに、夢と言えば、とても手に入りにくいものという観念があるが、予定と書けば、日常生活や仕事の中で使っているだけに、夢が身近に感じられるような気になるのではなかろうか。なんだかロジックのすりかえとでもいうべき言葉の手品を見せられたようではあるが、信じるかどうかはともかく紙と鉛筆があればできそうである。

 

ハイハイ差別について考える 〈23〉

 ●納得できない著者の主張を忖度してみたニコニコ

 差別の問題がテーマの新書『差別の教室』。その中の “『砂の器』とハンセン病” で、著者は、『砂の器』は「差別反対を一見装いながら、その差別を黙認し、それは仕方ないことなんだと、肯定しているように思える」とのべています。

 

 また「映画は人殺しをする主人公たちにどこか同情的だし、彼らを捕まえる刑事もずいぶんと情状を示します。観客も違和感どころか、涙さえする。主人公たちはやむにやまれぬ殺人を犯した善き人のように扱われている」とも。

 (「主人公たち」と複数形になっているのは、角川映画『人間の証明』の主人公と並列して論じているため) 

 

 少しショックでした。私自身は『砂の器』が差別を肯定している映画だとは思ったことがなかったし、そうした意見を聞いたこともなかったからです。むろん、殺人を犯した主人公に同情することも涙することもなかった。オエーともかく映画そのものは名作として評価が高い作品だと、ずっと思っていました。

 

 そのため、著者の主張に納得いかなかった私は、DVDを取り寄せて『砂の器』を見直したうえで、先の〈21〉でその主張に疑問を投げかけました。

               チューリップオレンジ

 しかし、それから間をおいて私は考えました。なぜ、著者は『砂の器』が「差別を黙認し、それは仕方ないことなんだと、肯定しているように思える」と感じたのだろう。そして、なぜ、著者は、映画とその観客が主人公に同情的だと思ったのだろう。

 

 そこで、本を読み返した結果、ひょっとしたら次のようなせいではないだろうかというのに思い当たりました。それは、著者が、わが国のハンセン病患者差別問題に関し、自分自身を真摯にふり返る中で、

 

 自分はこれまでハンセン病差別にあらがってこなかったし、それに、患者の存在を耳にしたこともあったのに見て見ぬふりをしてきた。そういう意味では、ハンセン病患者に対する差別は、たんに長期間にわたって隔離政策をとってきた国の責任ばかりではなく、自分自身も、「差別住民の一人」として責任を問われるべき人間であると厳しく自分を責めているように思えることです。

 

 つまり、そういう厳しい立場に立ってハンセン病が背景にある『砂の器』を著者が見たら、右にあげたような評価―『砂の器』は差別を肯定しているように思える—になったのではないか。著者の主張の背景をそのように忖度できなくもありません。

             チューリップ赤

 しかしだからといって、いまのところ著者の主張にに賛成するつもりはありませんが。ですから、私が〈21〉で投げかけた疑問は依然として疑問のままです。

 

 ●シナリオ作家の『砂の器』評を紐解くえーん

 しかし、私はなおも著者の主張を検討しようとしてあることを思いつきました。それは、映画批評家の『砂の器』の批評文でどういうことが書かれてあるかを調べてみることです。そこで2階の書棚にあった、1975年(昭和50年)に発行されている猪俣勝人氏の『日本映画名作全史―現代編―』(教養文庫・現代思想社)を紐解きました。

 

 映画が封切りになった翌年に発行されている本ですが幸いなことに『砂の器』は取り上げられています。

 

 冒頭に、「 この作品、『キネマ旬報』べスト・テンの第二位、同誌読者ベスト・テン第一位」、洋画のロードショー系で封切られ、興行的にも久々の大ヒットをおさめた。多くの観客がそれを見に館に集り、そして見終ってみな満足して帰ったようだ。  

 中には感動の涙をうかべ、眼を赤くして帰ってゆくものもあった。日本映画のために大いに喜びたい。」・・・とあります。

            チューリップオレンジ

 しかし氏はこのあと、気にかかることを書いていました。

 

■漫画『はだしのゲン』ラブラブを読むにっこり 

       <54>

      麦よ出よ

 ●これまでのあらすじ鳥

 戦争が終わり疎開していた子供たちも家に帰れるようになりましたがゲンの兄・昭の元にはまだ誰も迎えに来ていません。このまま誰も迎えに来ないと孤児院に入れられてしまうので、昭は、父と姉と弟が亡くなっているとは知らず、家族みんなのいる広島に帰りたいと必死で泣き叫びます。

 

 その声が届いたのか、ゲンたちと広島にいる母・君江は、昭を迎えにいってやらなくてはと思います。しかし君江は体の具合が悪く、それに赤ん坊の友子を連れて歩いて昭がいる田舎まではいけません。そこで、ゲンが「まかしておけ」と言って隆太と共に昭を歩いて迎えに行くことになりました。

 

 その途中でゲンと隆太は、奇妙な行動をとる兄と妹に遭遇します。兄と妹の二人は、兄の鉄男が農家の前の道でわざと妹のさち子を殴ったり蹴ったりして泣かせ、お百姓さんに同情させて食糧を手に入れていたのです。

             悲しい

 兄と妹は母親と松江のおじさんの所へ行く旅の途中でしたが、母親が病気になってしまい、水車小屋で寝込んでいるその母親のために食糧を運んでいたのです。しかし兄は広島のピカで毒をすってしまい体の具合が悪くなってしまったため、倒れて、妹を殴ったり蹴ったりするパフォーマンスができなくなりました。

 

 妹のさち子は、兄が自分を殴ってくれないと明日の食糧が手に入らず、おかあちゃんが腹をすかせて困るから、「おにいちゃんしっかりしてよ」「元気をだしてよっ」「うわ——ん」と大声で泣きます。

 

 それを知り可哀そうに思ったゲンは一計を案じます。兄と妹の代わりをゲンと隆太でやろうというのです。食糧がなかったら兄と妹と病人の母親は死んでしまう。病人は特に栄養をとらないといけない。それならばというので、ゲンが隆太を農家の前で殴って食糧を得ようというのです。はたして計画通りいくのでしょうか・・・。

 

 ●調子がくるったゲンと隆太の役割分担ガーン

 うわ~ん うわ~ん うわ~ん

 「この ばかたれ ばかたれ」ボカッ ボカッ。「うわ——ん」「え——ん」

 「ギャハハ こいつめ このアホウ!」。隆太がゲンの頭をボカッ ボカッ殴っています。本当はゲンが隆太を殴るつもりでいたのに隆太が絶対いやだ! と抵抗したかいがあったとみえ、ゲンが殴られるほうになっています。

 

《く くそう 隆太のやつ ええ気になって なぐりやがる すこしは えんりょせえ》。

 ゲンは内心そう思います。しかし隆太はお構いなく「この ばかたれ ばかたれ」ボカーン。「うわ——ん うわ——ん」とゲン。

 

 「おまえら なにを しとるんじゃ」

  隆太とゲンを見ていた村の男の子3人が、隆太に尋ねます。すると隆太は、

「あんちゃんが にぎりめしを くいたいと いって いうことを きかんけえ わしゃ がまんせえといって なぐって いるんじゃ」と言います(笑)。

              笑い泣き

 「なさけない やつじゃのう 兄きのくせに がまん できんとは・・・ ばかたれじゃ しっかり  なぐったれ」「そうじゃ」(笑)。

 

 それをゲンが不安そうな顔で聞いています。「う うん・・・」と隆太も不安げです。「わしらも てつだって やるぞ」。「え・・・ええよ」。隆太はビックリして断ります。

 しかし男の子らは、「えんりょ するな みんな なぐったれ」「おう」と、ゴーン、「この ばかたれ」とゲンを殴ります。

 

 「おどりゃ—— よくも なぐり やがったのう」。「うわ—— おこったぞ にげろ」「まて——っ」。「わ——い」「わ——い」。

 

 「ちくしょう わしゃ よぶんに なぐられたぞ」。「あんちゃん 調子が くるったのう べつの ところで やろうよ」

 

 ●場所を変えてもゲンは散々な目に・・えーん

 ボカッ、ボカッ。「ばかたれっ ばかたれっ」「うわ——ん うわ——ん」。

隆太とゲンが別の場所でパフォーマンスを繰り広げています。そこへおじさんがやってきます。「あんちゃん お百姓さんが きたぞ しっかり なけよ」「ようし まかせとけ」。隆太とゲンが小声で打ち合わせます。

 

「どうしたんじゃ」。「あのな あんちゃんがあのイモが たべたいと なくんじゃ よそさまの物を ほしがっては いけん がまんせえと いうても いうことを きかんけぇ わしが なぐって いるんじゃ」と隆太が、おじさんの家の前に干してあるイモを指差しながら言います。

               ウインク

 「なさけない 兄きじゃのう 弟のほうが しっかり してるのに」「うわーんうわーん」。するとおじさんは、「こらっ 大きいなりを して おまえは はずかしいとはおもわんか 弟を みならえ このばかたれが」とゲンの頭をゲンコツでゴツンとします。

 男の子たちにもおじさんにも殴られたゲンはさんざんな目に・・・。

 

 ●殴られる役をゲンから隆太に交替する照れ

 土手の上に並んで座っているゲンと隆太。

 「あんちゃん だめじゃのう 食糧を くれんのう・・・」

 「グスン わしが 大きいけぇ 同情されんのじゃ 反対に ばかにされて わしゃ くやしいよ おまえが はじめから やってくれたら うまく いったんだ 隆太の ばかたれ——っ うわ——ん わしゃ くやしいよ 隆太のばかー」

 

 「あ あんちゃん なくなよ わかったよ やっぱし わしが なぐられて やるよ」

「ほ ほんとうか 隆太」。「そのかわり かるく なぐって くれよ」「イヒヒヒ まかせとけ」。「グスン たいへんなことを ひきうけたのう」「さあ 隆太 いこう いこう」

 

 ●殴られ役を隆太にしたら食糧をゲット口笛

 農家から泣き声が聞こえます。うわ~ん うわ~ん うわ~ん

「この ばかたれ ばかたれ」ボカッ ボカッ。「うわ——ん うわ——ん いたいよ—— いたいよ——」。「イヒヒヒ なぐるのは 気持ちが ええのう。

 

 「こら——おまえはなにをしとるか」とおじさんが怒ってきます。

《エへへ きた きた》「いったい どうしたんじゃ こんなに ひどく なぐって?」。

 

 「じ・・・ じつは・・・」。「な なんだと おとうさんも おかあさんも ピカで死んで くうものが ない・・・ 弟が イモと にぎりめしを たべたいと ダダを こねるから なぐってた・・・ かわいそうに のう・・・ いくら よそのものを ほしがったと いっても こんなに なぐることは ないのに・・・・」

 

 「こいつは くうことに なると ブタよりもひどいんじゃ しっかり しつけをせんと いけんのじゃ」。《ちくしょう 調子に のりやがって》と、隆太はつぶやいています。「よしよしまっとれ」とおじさんは家に行きます。

 

 「エへへへ・・・ 隆太ちゃん いたかった」「あたりまえじゃ」。隆太は目をむいて怒ります。とそこへ「さあ これを 弟にたべさせてやれ・・・ もう あんなに なぐるなよ」とおじさんがイモの束と笹の皮に包んだにぎりめしをゲンに差し出します。

                照れ

 「うわ・・・ こんなに あ・・・ ありがとうおじさん」。「おじちゃん ありがとう」。「さあ 元気を だすんだよ」。作戦 成功です。

 

 「エへへへ やっぱり おまえを なぐらんとうまく いかんのう ええ 気持ちじゃ」「わしゃ よくないわい なんで こんな目に あわんと いけんのじゃ 世の中 くるっとる」

 

 「さあ つぎの 農家に いこう」「ええっ まだ やるのか」。「そうじゃ なん十回も やって 食糧を ためるんじゃ」「ちくしょう わしの顔は これから どうなるんじゃ これは 日本の悲劇じゃ ブツブツ」

 

 ●兄妹と母親が困らないほどの食料品飛び出すハート

 その後、隆太は何回殴られ泣いたのだろうか、二人のパフォーマンスによって獲得されたスイカやイモやにぎりめしなどの食糧品が地面に敷かれたものの上に置かれています。

 

 「エへへへ すごく たまったのう これだけ あれば あいつら 十五日間 食糧には こまらへんぞ よかったのう 隆太」。「グスン わしゃ よくないと いうとるのが わからんのか うわ——ん いたいよー」「隆太 なくなよ よく がまんを してくれたのう わしゃうれしいよ この にぎりめし がまん代 じゃ くえよ」。「ええっほんとうか エへへへ わしゃ うれしいよ しあわせじゃ」「おまえは くうことに なると 元気に なるのう」。隆太はにぎりめしを前に大喜びです。

 

 ●食料品を兄妹たちにあげるゲンと隆太OK

 ゴトン ゴトン ゴトン ゴトン

 鉄男とさち子と母親が居る水車小屋の水車が音をたてて回っています。

 

 「シク シク・・・」。しゃがんで泣いているさち子にゲンと隆太が近づきます。

「あっ おまえは」。「エへへへ さっちゃん 元気を だせよ」。「な・・・ なにしに きたの・・・」「この食料 みんなで たべて 元気に なって 松江の おじさんの ところへ いけよ」。ゲンは背負っていた荷を下ろしてそう言います。

 

 「ど どうして あたしらに」「ええから ええから わしら みんな しっとるんじゃ」とゲンが答えれば、隆太は「ガハハわしら おまえらの やっていた ことを かわりに しただけじゃ えんりょ するなよ」と両手を頭の後ろで組むいつものポーズで笑顔で言います。「じゃあな」。「アバヨ」

 

 「お・・・ おにいちゃん・・・」。さち子の眼から涙がこぼれます。「さっちゃん 元気でなー」「さよなら 三角 またきて 四角」

            悲しい

 「おにいちゃん ありがとう ありがとう」

 

 「さあ 隆太 昭 あんちゃんの ところへ いこうぜ」「アイ アイ」

 

 ●鉄男はお礼にゲンに種麦をあげるニコニコ

 「お——い まってくれ——」「おにいちゃーん まって——」「ハア ハア」「ハア ハア」。鉄男とさち子が走って追いかけて来ました。

 

 「なんじゃ」「もんくでも あるのか」。

 「あ ありがとう わしゃ うれしくて うれしくて どうしても お礼が いいたくて」「なんだ わざわざ お礼を いいに きたのか おまえ 病気だぞ 無理するなよ」

 

 「いまの わしらには なんの お礼も できんが・・・ これを とって くれないか」

そう言って鉄男が差し出した手のひらには麦の種があります。

              ニコニコ

 「種麦じゃ ないか・・・」「う うん松江に ついたら 麦をつくる つもりで どんなに はらがへっても たべずに 大事に 大事に もって いたんじゃ」。「麦か・・・」。

 

 鉄男が渡してくれた種麦を見てそう言ったゲンは、父・大吉の顔とともにその父が日ごろ口癖のように言っていた言葉を思い浮かべます。

 

 「元 おまえたちは 麦になれ 冬のあいだ たえしのんで ふまれても ふまれても 強く まっすぐに のびる 麦になれ」

 

 「ありがとう わしや 広島に かえったら この麦を そだてるよ そうじゃ おまえの 麦と わしらの 麦の どっちが はよう 大きくなるか きょうそう しようや」「う うん・・・」。

 

 「ほいじゃ 元気で 松江に いけよ・・・」「う うん おまえもな わしゃ おまえらの ことは わすれんよ」。鉄男も眼から涙をこぼします。さち子は「ありがとう」と隆太のほっぺたにチュー とキスをします。

             ハート

 「ギャハハハ どうしよう」。隆太の頭の回りは♥♥♥。目の回りは赤くなっています。

「あばよー さよなら 三角 またきて 四角」とゲンと隆太が手を振って言えば、「四角は トウフ トウフは 白い・・・」と鉄男とさち子がやはり手を振りながら応えます。

 

 ●ゲンと隆太が迎えにきて泣いて喜ぶ昭ラブ

 うわ~ん うわ~ん うわ~ん

 またも泣き声がしています。しかし今度は農家からではありません。泣き声がしているのはお寺の中。泣いているのはゲンと隆太が迎えに来てくれたので、嬉しくて泣いている疎開していたゲンの兄・昭です。

 

 「昭 よかったのう 家族が 生きていて おまえ 孤児院に いかないで すんだんじゃ ほんとうに よかった・・・」「うううう うううう」。和尚さんがかけた言葉で安堵しながらも、なおも目から涙がこぼれる昭です。

 

 「あんちゃん もう なくなよ」「ばかたれ わしゃ この日が どんなに まちどおし かったか・・・ これが なかずに いられるか うれしくて うれしくて それに とうちゃんと 英子 ねえちゃんと 進次が ピカで 死んだのが かなしいよ」「進次のかわりに この隆太が おるんじゃ 元気を だせよ」。

               びっくり

 「ほんとうに おまえは 進次に よう にとるのう そっくりじゃ」「エへへへ よろしゅう たのみ ますわい」。「さあ あしたは 広島へ かえるんじゃ みんな ぐっすり ねむって おけよ」。和尚さんがそういうと、昭は、「あしたは 広島か・・・ おかあちゃんの ところへ かえるんじゃ うれしいのう うれしいのう」と涙を流して喜びます。

 

 ●家の焼け跡に麦の種を植えるゲンたちチュー

 「かわったのう これが 広島か・・・ なんにも なくなって しもうたのう」。

 原爆が投下され廃墟と化した広島の焼け跡に立っている昭とゲンと隆太。はじめてその光景を眼にした昭がそう言います。

 

 「わしら これから どうなるんじゃ 生きていけるの かのう」「あんちゃん ここは ピカのために 七十年間は 草も木も はえんそうじゃ」。「エへへへ あんちゃんの 頭と おんなじ じゃのう」「こいつ」「ギャッ」。

 ゲンが隆太をゴツンします。

 

 「ここが わしらの 家のあとか ここで とうちゃんと 英子 ねえちゃんと 進次が・・・ やき殺されたのか・・・ ち・・・ ちくしょう ちくしょう 戦争のやつめ」

              えー

 昭は焼けてなくなった家の跡に立ち、父と姉と弟のことを思い戦争を憎みます。

 

 「そうじゃ ここへ 麦を うえて みるか とうちゃんが すきだった 麦を・・・ あんちゃんも うえて やれよ 進次たち よろこぶぞ」「う うん・・・」。

 

 ゲンが鉄男からもらった麦の種(ゲンから食糧品をもらったお礼としてもらっていた)を昭に渡します。

 

 そして、「隆太 おまえの死んだ おとうちゃんと おかあちゃんの 麦も うえてやれよ」「う うん」。と、・・・・こうして3人は、麦の種を「これが とうちゃんの 麦じゃ」「これが 英子 ねえちゃんの 麦・・・・」「これが 進次のじゃ」「これが かあちゃんの・・・」と言いながら焼け跡の地面に植え、

 

 みんな「ううううう」と涙をこぼし、「うわ~ん」「うわ~ん」「うわ~ん」と大声で泣くのです。

―続く

      チューリップオレンジチューリップ黄ふたご座チューリップオレンジパンダちょうちょチューリップオレンジヘビ

       2024年5月19日(日)

           おばけくん