オッペンハイマーの物語に向き合うことで

 核兵器が存在し続ける恐ろしさを痛感した

 —―映画『オッペンハイマー』を見て

 

 ●確かに反核・反戦の映画だったが・・・

 広島と長崎に投下された原子爆弾。その原爆を開発・製造した「マンハッタン計画」の中心にいたアメリカの理論物理学者・アーノルド・オッペンハイマーの半生を描いた伝記映画である。上映時間が3時間と聞いて覚悟して見たが、そんな長尺の映画でも中には「息をつかせぬほどの面白さで時間をそれほど感じさせなかった」というのがあるなかで、残念ながら私にはそうした作品とは言い難かった。

 

 見終えてまず思ったことは、正直言って「話の筋がよく呑み込めなかった。結局、何が言いたいのか・・・?」ということだった。なので、感想をどう書こうか、「難しいなあ、チクショウメ・・・」(笑)と、映画についていけなかった(あとで原因を探るが)自分にがっかりしながら席を立った。

 

 確かに、時に腹に響くような大音量による音響効果と、核爆発で燃えさかる炎の視覚的効果等で、核の脅威を想像することができた。また、自分がつくった原爆の恐ろしさを感じたオッペンハイマーが、自責の念で苦悩する姿が描かれてもいた。その意味では、反核・反戦と受け取れる映画である。

 

 しかし広島・長崎に原爆が投下されるところや被爆地の惨状を伝える場面はない。

また、戦争抑止のためとされながら際限のない核競争で人類を破滅の危機に陥らせている核兵器に対して、直接的な形で否定はしていない。

 

 理由を推測するに、アメリカの若者たちの間では、原爆に関心を持ち、唯一の戦争被爆国である日本に謝罪すべきとの考えが広がっているとはいうが、しかしアメリカ国内ではいまだに原爆を使ったことは正しかったという人が少ないというから、声を大にして核はNO!とは言いにくかったのかもしれない。

 

 また、アメリカやロシアや中国など核保有大国の核のパワーバランスの中で、そうした政治的問題にコミットすることは避けたかったのか。いずれにしても、核の存在に対する態度は、観客の想像と判断に委ねるということなのだろう。

 

 それで言うと、現在は、広島・長崎で数十万人もの命を奪った原子爆弾の何十倍もの破壊力を持つ核兵器が存在するといわれるもとで、ロシアのプーチン大統領が核兵器の使用をちらつかせたり、アメリカの下院議員がガザを「長崎のようにするべきだ」などと口にしているのを思うと、一市民の私としては、核の脅威が一段と強まっている今日、一日も早い「核なき世界の実現」を願わざるにはおられない。

 

 私は映画の感想を書くとき、その作品をできるだけ褒めて書くのをモットーにしている。特に感銘を受けた感動作や傑作はなおさらそうである。だからアメリカの今年のアカデミー賞で最多7部門(作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞・撮影賞・編集賞・作曲賞)を受賞したというこの『オッペンハイマー』に対しても、そうしたかった。だが、褒めるも何も、冒頭で書いたように、筋がよく呑み込めなかったし、何が言いたいのかがよくわからなかった。

 

 ●?(ハテ)だった原因を探る

 そこでここから先は、どうして私が作品に対して、「筋があまり呑み込めなかった」「何が言いたいかよくわからなかった」と感じたのか、その原因がどこから来ていたのかを探ってみたいと思う。その点でまずあげなくてはいけないのは、その原因が観客の私自身に起因していたことを率直に認めなくてはいけないだろう。

 

 そもそも私はオッペンハイマーについて、彼が理論物理学者であり「原爆の父」と言われているという以外にほとんど何も知らないでいたことだ。なぜ彼が原爆を開発・製造しなければならなかったのかということについても当然知らなかったのだ。

 

 つまり、先の大戦でドイツが降伏し、連合国のアメリカがわが国の広島と長崎にアメリカが原爆を投下。その結果、第二次世界大戦が終わったという歴史的事実は知っていても、その原爆が世界大戦中の末期に海の向こうの国のアメリカでオッペンハイマーを中心にどういう背景で開発・製造されたのか、そしてオッペンハイマーのその後の人生がどうなったのかなどは考えたことがなかったのである。

 

 そうであったから、私は映画を見ながら、映画の中で多くの登場人物が入れ替わり立ち代り登場し、膨大なセリフを発している様子に、「なんだ? なんだ?」と目をパチクリさせながらついていくのがやっとだった。飛び交うセリフの中には、共産主義、共産党員、労働組合、赤狩り、などという言葉が頻繁に出てくる。

 

 それらの言葉自体は私にとっては真新しいものでなく、むしろ聴き慣れているものだった。しかしそれが理論物理学者で原爆を開発・製造したオッペンハイマーの半生とどういう関係があるのか。オッペンハイマーの経歴をよく知らなかったから、字幕を見るたびに、頭の中は???状態だった。

 

 ● 映画の時代背景とオッペンハイマー

 そこで映画を見終えたあと、私は、映画のパンフレットに載っていた前嶋和弘・上智大学教授の解説記事を基にして、映画『オッペンハイマー』の時代背景とオッペンハイマーの略歴を、おおむね次のように整理してみた。

 

 ハーバード大学を3年で卒業し、イギリスのケンブリッジ大学に留学、理論物理学者のニールス・ボーアと21歳の時に出会っていたオッペンハイマーが、大学で教鞭をとり始めたのは世界大恐慌が始まった1929年、25歳の時だった。

 

 アメリカのルーズベルト大統領は、1939年に勃発した第二次世界大戦を起こしたヒトラー率いるナチスドイツが原爆を開発する恐れがあると亡命科学者から警告を受け、極秘裏に命じて、原子爆弾製造計画(マンハッタン計画)を進めた。計画の中心として原爆を設計・製造したのはニューメキシコ州北部のロスアラモス研究所であった。1942年、その初代所長に任命され、開発チームのリーダーを務めたのが38歳のオッペンハイマーだった。1945年7月16日に人類最初の核実験(トリニティ実験)が行われた。実験のコードネームであるトリニティ(キリスト教における「三位一体」)はオッペンハイマーが名付けた。

 

 1945年8月6日、広島に原子爆弾(通称リトル・ボーイ)が投下され、8月9日、長崎に原子爆弾(通称ファット・マン)が投下される。この惨状を知ったオッペンハイマーは激しい後悔と自責の念に駆られ、核兵器の使用に懐疑的な姿勢を示すようになる。8月14日、日本がポツダム宣言を受諾。9月2日に降伏文書に調印し、第二次世界大戦が終戦。しかしその後はアメリカが原爆を完成させた4年後にソ連も核実験を成功させていた中で米ソが核兵器で脅し合う冷戦時代に突入していく。

 

 1947年、43歳でプリンストン研究所の3代目所長となったオッペンハイマー。しかしその後、新設された原子力委員会(AEC)の議長を6年間勤めたが、加熱する軍拡競争の中、核兵器の国際的な管理を呼びかけ、水爆をはじめとする核開発に反対の意を示した。そのため、マンハッタン計画で研究を共にした人物やAEC委員のメンバーらと対立するようになった。

 

 〇そうした中、1940年代後半から1950年代前半にかけての冷戦激化を背景に、ジョセフ・マッカーシー上院議員らが、共産主義者を摘発する「赤狩り」を強行。ソ連の核実験成功の一因にアメリカ国内のスパイからの情報があったとされ、無実の人物も共産主義者として摘発された中で、オッペンハイマーも共産主義者との過去を問われ、下院非米活動委員会での公聴会で証言を求められた。その結果、かつて共産主義者とつながりがあったが、スパイ活動への関与は否定したものの、研究者として何よりも重要な原爆技術に関する機密保持許可が1954年に剥奪された。

 

 その「機密保持許可」(セキュリティ・クリアランス)は、国家機密等の秘密にすべき情報を扱う公務員や政府などが特別に認めた民間人に対し、その適格性を確認し、情報へのアクセスを認める制度で、機密性の程度でランク付けされており、核関連情報などは最高機密扱いに分類される。最高ランクの機密保持許可を受けなければ情報へのアクセスやそれを基にした議論や研究は行えない。スパイ容疑をかけられたオッペンハイマーは機密保持許可が剥奪されたことで核関連の最先端の研究そのものから排除され、核開発研究の一線から追放されることになった。事実上の公職追放だった。

 

 〇なお「赤狩り」の中で共産主義者とのつながりを問われたオッペンハイマーだが1919年から社会党から分れる形で成立したアメリカ共産党は1930年に労働組合運動を組織し、党勢を拡大させた。背景にはやはり大恐慌があり、失業者が急増する中、労働者の権利と共産主義への関心が高まった。連邦政府内にも共産主義に共感したり、共産党に入党するものも増えた。当時、オッペンハイマーが正式にアメリカ共産党に入党することはなかったが、多くの知識人がそうであったように、共産主義や労働運動に強いシンパシーを持っていた。弟のフランク、恋人のジーン、妻のキャサリン(キティ)ほか、多くの知人が共産党に入党していた。

 

 ただアメリカにおける共産主義運動は、第二次世界大戦後の米ソ冷戦開始に伴い、労組内の反共主義の台頭や共産主義者のスパイ摘発運動(赤狩り)もあり、1950年代に急速に勢力は弱まっていった。

 

 1954年、ソ連のスパイ容疑をかけられ「共産主義者」のレッテルを貼られ、アイゼンハワー大統領命により一切の国家機密から隔離、政府公職追放が決定した50歳頃のオッペンハイマー。

 

 以後、危険人物と断定され、FBIによる尾行や盗聴など、晩年まで厳しい監視下に置かれた。しかし、1961年、ジョン・F・ケネディが大統領に就任。オッペンハイマー支持者たちがケネディの側近となり、オッペンハイマーの公的名誉を回復させようという動きが出始め、1963年には原子力委員会(AEC)が「科学者に与える最高の栄誉」として、彼にフェルミ賞を授与することを決定。

 

 また1966年、プリンストン高等研究所の所長を辞任した彼は、アインシュタインに次いで名誉教授となる。

 

 それから56年もの時が経った2022年12月16日、アメリカ・エネルギー省の長官が、オッペンハイマーを公職から追放した1954年の処分は「偏見に基づく不公正な手続きだった」として取り消したと発表。オッペンハイマーにスパイ容疑の罪を着せて資格を剥奪したことを公的に謝罪した。

 

 だが、オッペンハイマーは、1965年、61歳の時に咽頭がんが見つかり、1967年2月、62歳で死去している—―—―。

 

 以上が映画の時代背景とオッペンハイマーの略歴を大まかに整理したものである。

 

 ●監督が観客を導き入れたかったもの

 整理する中で、いろんな出来事の中から私の中で浮かび上がった1つのイメージがあった。それは、オッペンハイマーの「栄光と没落」とでもいうべきイメージである。天才科学者・オッペンハイマーは、悪魔の兵器を製造・使用し血塗られた破壊者になるも、科学者としての苦悩を伴った。しかし戦後、水爆の開発に反対の姿勢をとったことで、戦争を終わらせた「英雄」から一転して、赤狩りのなかでスパイの汚名をきせられたのだ。つまり歴史と時代の波に翻弄された天才科学者オッペンハイマーの栄光と没落というそうしたイメージである。

 

 もし私が映画監督だったら(笑)、その「栄光と没落」というラインがくっきり浮かぶ伝記映画にしようとしただろうし、私たちが普段見る多くの映画もそうした分かりやすい「変化」を描くのが一般的だと思う。ところが『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督は、1度映画を見た限りでは、その「変化」を際立たせることに固執してないように思えた。

 

 インタビューの内容を紹介した資料を読むと、そもそも監督がオッペンハイマーに関心を持ったのはその「栄光と没落」ではなかったようだ。では、監督はオッペンハイマーの物語をどう映画にしたかったのか。要約すると彼は次のように語っている。

 

 オッペンハイマーらマンハッタン計画に関わった彼らは計画を進め、ボタンを押したが、私は観客をその部屋に連れ込み、そこに立ち会ってもらいたかった。

 彼の物語は巨大でドラマティックであり私たち全員にかかわるもの。彼の行動は、良かれ悪しかれ、私たちの世界を規定し、私たちはその中で、生き続けている。だからこそ、彼の物語を大きなスクリーンにかけ、できるだけ多くの人に観てもらいたかった。

 私が真に望んだのは、オッペンハイマーの物語を主観的に語ることだったから、観客を彼の経験の中に導き入れ、彼がそうしたように出来事を体験してもらいたかった。

 

 つまり、監督の最大の関心事は、オッペンハイマーの「栄光と没落」が中心ではなく「私がしたかったのは、歴史の大転換期の絶対的中心にいた人物の、魂と経験の中に観客を導くこと」だった。

 

 そして「様々な観点から私たちはオッペンハイマーの精神の中に潜り込み、観客を彼の感情の旅に連れ込もうと試みました。それがこの映画の賭けです。とてつもなく破壊的な一連の出来事に巻き込まれた、しかし正しいと信じた理由のためにそれをなした一人の人物の物語を語ること、しかもそれを彼の視点から語ること」。

 ・・・だったのである。

 

 しかしながら、もっともだと思えるそうした監督のねらいは、残念なことに実は、私が映画を見終えたあと、「筋がよく呑み込めなかった」「何が言いたいかわからなかった」と先に書いたことの1因になっていたと思えなくもない。

 

 と言うのは、先にこの映画の時代背景を整理したところで見たような、この映画にまつわる歴史的事実を詳しく説明せず、映画『オッペンハイマー』は、足早に過ぎ去っていく出来事をオッペンハイマーの視点で描くことで、見る側を強引なまでに、彼の世界(先に引いた:魂や感情や体験)に引き込もうとしていることだ。

 

 ●目まぐるしく移動する時間軸

 しかも決定的と思える点は、時間軸が目まぐるしく移動することである。オッペンハイマーに共産主義者のレッテルを貼りたい聴聞会の場面を軸足にして、時間が彼の青春時代に戻るなどをくり返し、その時間軸の動きは息をつかさぬほどの変転ぶり。

 

 驚いたことに、映画を見ていた私自身は気がつかなかったが、あとで評論家が書いていたものを読むと、映画の中で何度も描かれていた聴聞会のあるシーンでは、質問に答えるオッペンハイマーの後方に妻のキャサリンを座らせ、直後に2人の位置を入れ替えることで時間の経過を表現していたようだ。

 

 そんなのアリかよ!(笑) と叫びたくなるが、監督の過去の『メメント』という作品では、物語の始まりと終わりが逆になっていたとか、『インセブション』では、睡眠中に夢が再構築されていたというものだったらしいから、監督のファンにとってみれば、そうした時間軸の移動の目まぐるしさは、さほど驚くに値しないことなのかもしれない。

 

 いずれにしても時間軸の移動が頻繁で激しい上に、冒頭でも書いたように、多数の人物が膨大な台詞を発して現われては消えていく。

 

 しかも、映画にはカラーとモノクロのパートがある。カラーパートは、オッペンハイマーの視点から、脚本が1人称で書かれている異色さだが、それは「オッペンハイマーの肩越しにものを見、彼の頭の中にいて、どこへ行くにも彼と一緒」であるように監督が目論んだためだったようだ。

 

 ちなみに、聴聞会のシーンや彼の敵対者などはモノクロだった。

 

 したがって、そうした色味の違いや、先ほどらいの時間軸の縦横さや登場人物の多さが、私の頭をヘトヘトにさせてしまったのである(笑)。

 

 さてさて、で、結局、3時間にわたって鑑賞した『オッペンハイマー』の感想は、かねて褒めることをモットーにしていた私だったが、「筋が呑み込めず、何が言いたいかよくわからなかった」、その理由と言い訳をこうして書き連ねるものになってしまった。

 

 ●改めて1日も早い核廃絶を願う

 しかしながら、そうであったにしろ、「悪魔の兵器」である原爆を開発・製造した科学者オッペンハイマーの呵責と苦悩は十分伝わったし、何より、原爆、核の恐ろしさを、スクリーンを通して感じ取ることができたことで、私は改めて核兵器は地球上から1日も早く撤廃しなくてはいけないと思ったことは間違いのないことだった。

 

 参考資料:⑴「OPPEN HEIMER」(=パンフレット 編集・発行ビターズ・エンド)

                   ⑵「クリストファー・ノーラン/オッペンハイマー」(SCREEN 4月号増刊)

 

              2024年4月21日(日)

追記:

 上記のような感想を書き終えブログに発表して何日か経った後、私はもう1度映画館に足を運びました。書き綴った感想文がもしかしてとんでもなく的外れなものになってはいないか。ひょっとしたら今度は話の筋が呑み込めるのではないか。そして監督は映画で何が言いたかったもわかるのではないか。そう期待したからです。

 

 結論から言うと、話の筋(=物語の構成)は時間軸の移動が激しいため相変わらずわかりにくい(呑み込めない)ものがあったもののオッペンハイマーの半生の物語を通して監督が何を1番伝えたかったかという点では、ファーストシーンとラストシーンからそれらしきものを感じ取ることができました。1度目は2つの間の展開が長尺な上、ややこしすぎて気をとられたため感じ取れませんでした。

 

 で、そのファーストシーンではギリシャ神話のプロメテウスの話が語られています。プロメテウスは最高神ゼウスから火を盗んで人間に与えことからゼウスに絶壁に鎖でつながれ、ワシに内臓をついばまれる苦しみを受けた英雄です。

 

 そしてラストシーン。オッペンハイマーの顔が大写しになる中で「世界を破壊した」という意味の言葉で締めくくられます。つまりプロメテウスが盗んだ火の喩えは、オッペンハイマーがつくった原爆のことであり、その原爆は世界を破壊する恐ろしいもの。映画はそれが言いたかったと思われます。映画には原本『オッペンハイマー』(05年刊)があるようですがその原題は “American Prometheus”。

 さもありなんというとこでしょうか。

 

 科学社会史、物理学史が専門の山﨑正勝・東京工業大学名誉教授によると著者は25年かけて原本を書いたとのこと。“当初4~5年で完成すると思ったが、彼の個人史は複雑で、当時の米国史と深く結びついているので時間がかかった” といいます。

 

 “オッペンハイマーは非常に複雑な男”と見る人もいるなか、そうした彼の、米国史とも結びついた個人史の複雑さが、映画の筋(=展開の構成)を複雑にして、私にとっては筋をわかりにくいものにしていたのではないかと思われます。

 

 ただ、先の感想文では、映画ではオッペンハイマーの「栄光と没落」が際だっていなかったのではないか? と書きましたが、2度目に観た時は、映画の後半からは「没落」していくさまが全面に押し出されていたことがはっきりと見て取れました。

 

 その意味では、先の感想文では少々的が外れていました。それを率直に認めたうえで、改めて映画『オッペンハイマー』をわかりやすく纏めれば、

 

 映画は、世界初の原爆を開発して「原爆の父」と呼ばれながら、戦後「赤狩りの著名な犠牲者」となった理論物理学者オッペンハイマーの「栄光と悲劇」の半生を描いた作品、と間違いなくいえるでしょう。 ーおわりー

           2024年4月27日(土)