オカメインコ『60歳からの「悠々」生活!?』 

            ㇷ゚ロローグ / 第1章 60歳は「人生の仕上げ期」の始まり 第2章 定年後は”宝の時間”が待っている  

        第3章 元気なうちは働く? 第4章 「自分の時間を売り渡さない」人生への帆を上げる 

        第5章 「悠々」 生活の基礎ー私の例  第6章 お金?そりゃ、あるにこしたことはないが ・・

        第7章 友人は大切だが孤独もまた「友」なり 第8章 おいおい、悠々と老いる / エピローグ 

                 エピローグ~Ⅴ

Ⅴ‐Ⅰ)人は太古より、前をめざした

 人類が最初に誕生した地はアフリカ大陸で、ヒトはそこから世界中に散らばっていったと考えられている。ヒトは飢餓やさまざまな危険を伴いながら新天地をもとめて前へ前へと進んでいったことだろう。そういう意味では、何万年もの人類の長い歴史の中で一貫して営まれていたものがあったとすればそれは「前に進む」ということだったのではなかろうか。それが人類が今日まで繫栄してきたカギだったと思う。

 

 最初は2本の足で歩くより前に進む方法はなかったが、やがて移動手段を発達させて世界の隅々まで入り込んでいった。「前に進む」と言うとき、たんに前方に向かって身体を移動させるということに限らず、集団で魚や獣を捕獲していたこれまでの仕方を工夫を加えて前進させるという場合もそうだろう。

 

 そうやって人類は文明を築き進歩を遂げてきた。はやい話が、現代人のほとんどが持っている携帯電話。出始めの頃は1部の人しか持っていなかった。高額で、しかも重く大きかったからだ。しかし手ごろな価格になり、軽量化されることで今やほとんどの人がスマホを持つようになった。

 

 このように、太古の時代から今に至るまで人類は前へ前へと進んでいるが、ほかに長い歴史の中で一貫して営まれていたものがあったとすれば、それは「より多く」のモノを求めてきたということであろう。

 

 狩猟や農耕が中心だった時代、人々は獲物や収穫物を得るために必死であったに違いない。だがそれらを多く手に入れても、長い間保存するには限度がある。しかし余ったそれらを冷凍にしたり貨幣に替えれば多くのものが富として蓄積されることになる。

 現代の貨幣経済社会においては、人は多くのモノを生産し、交換を通じてより多くの富を得ようと活動している。つまりそうやって、人類はその発生以来、絶えず前へ前へと進み、より多くのモノと富をもとめて活動を繰り広げてきたのである。

 

Ⅴ‐Ⅱ)「前のめり」な働き方や生き方から「降りる」

 そうした人類規模の大きな話から目を転じ、会社や会社員の話に移してみても、「より多く」のモノを獲得するために「前に進む」という点は同じだろうと思われる。会社は多くの利益を上げるために常に「前方」を見て進んでいる。過去の成功だけにぶら下がっただけだと停滞するからだ。

 

 英語の辞書でpro(接頭語)を引くと「前に」「前へ」とあるが、会社に関係した言葉にはそのproで始まるものが少なくないと思われる。たとえば、仕事・活動のための計画や大規模な事業計画はproject。会社の目的は利益(profit)を生むことであり、生産力が高まれば利益が上がり前進(progress)する。

 

 より良い商品やサービスを提供する会社にとって大切なものは信用である。

 信用は約束や契約を守ることから生まれるが、その約束や契約はpromiseである。前方へ(pro)送る(mise)と辞書にはある。また、会社が取引の時に使う「約束手形」(promissory notes)は、決済が「前に(将来に)先送りされる」手形のことをいう。

 つまりこれらのことから、こじつけと言われればそれまでだが、会社は「前方」(=前に進む)と緊密な関係にある活動体であるということがいえると思う。

 

 したがってそうした会社の社員である会社員も、会社のため、自分のため、そして家族のために、おのずと「前方」を向いて、時には「前のめり」になって活動することになる。そうしたなかでワークライフバランスを図りながら仕事が滞りなく進むためにスケジュールを管理する手帳は欠かせない。そしてそこにはスケジュールが空かないように「前方」にある予定が早め早めに書き込まれていく。

 

 また、会社のように利益を目的にしない組織や団体で働く人々も、時に前のめりになって働くことには変わりはない。発起(promote)された事業所のもとで事業を促進・増進(promote)するのが彼ら(彼女ら)の仕事だからである。

 

 しかしながら、やがて60歳で定年になり、その後、継続雇用などで数年間働いたあと完全にリタイアすることになった多くの会社員は、それまでの、常に前へ前へと進む「前のめり」な働き方や生き方からは足を洗い、会社員人生から「降りる」ことになるのだ。

 そしてもう時間に追われたり片時も手放せなかった手帳のスケジュール欄が空白のままである状態に不安を抱く必要もなくなるのである。

                ふたご座

 龍差別について考える

 ●小笠原の先見性が示された熊本地裁判決ピンク薔薇

 昭和の時代、父が事務職員として勤めていたハンセン病国立療養所奄美和公園。

その官舎で子供のころ過ごした私が「おがさわら先生」と呼び親しんでいた、国立豊橋病院を退職して奄美和公園に赴任してきていた医師・小笠原登氏——ー。

 

 前にも記したようにいつも詰襟の黒い学生服のような質素な服を着ていた記憶があります。また、お医者さんでありながら僧侶のような印象がありました。(実際そうだったということは、最近知りました)ただ当時会話を交わした記憶はありません。

 

 私たち子供はせいぜい「こんにちは」とあいさつをしていた程度だったかもしれないし、もしかしたら、ぺこん、と頭をさげていただけだったかもしれません。なにせ今から60年以上も前のことです。

 

 しかし、私はその小笠原先生が、実は、わが国がハンセン病患者に対して長い間とってきた強制隔離政策に一貫して反対してきた医学者であり、医師で僧でもあったことを、この「差別について考える」の筆を執っている中で改めて知りました。

                チューリップ赤

 先述したように、奄美和公園の職員だった今は亡き父の遺品(書籍)を紐解いていたら、あるとき小笠原先生のことが載った新聞記事が目に留まり、(おおっ! あの おがさわら先生だ・・・)となったのです。本当に驚きました。

 

 ところで、国の強制隔離政策に反対しながら生涯をハンセン病治療にささげた氏は生前、「らいの極悪性は疾患そのものにはない。社会が迷信に基づいて患者と家族に加える迫害こそ、らいの極悪性である」と言っていたそうです。

 

 隔離政策に一貫して反対した氏ならではの名言という気がします。先に縷々記した《ハンセン病強制隔離に抗した小笠原登》でも見たように、小笠原氏は、国がハンセン病患者を強制隔離するのを基本とした「らい予防法」を制定した1931年に、すでにそれに対して異議を唱えています。

                チューリップオレンジ

 しかし当時は多勢に無勢。異議は多勢の声にかき消されました。けれどもそれから70年後の2001年(平成13年)5月、熊本地裁はハンセン病国家賠償訴訟に判決を下しました。それは、くり返し述べたように、「らい予防法」の違憲性を認め、国が行ってきた強制隔離政策は基本的に人権に違反するという画期的なものでした。

 

 国が控訴を断念したことで判決は確定しました。そしてそれは、とりもなおさず、70年前にハンセン病患者の「強制隔離」に異議を唱えていた小笠原登医師の先見性を示したものでもあったのです。

 

 ●小笠原先生と孤高の画家・田中一村の縁雷

 さてここからは少し余談になりますが、その小笠原氏の奄美和公園時代のことを調べている中で、私はまたもや〈おおっ・・・〉と驚きの声をあげそうになりました。  

 というのも、小笠原氏が日本画家・田中一村(1908―1977)と一時期、同居していたことです。

 

 栃木県出身の田中一村は中央画壇とは一線を画し、1958年(昭和33年)、50歳で奄美大島に単身移住。大島紬の工場で染色工として働きながら、奄美の自然、亜熱帯の植物や鳥や魚など描き(「奄美の杜(もり)」シリーズ等)、69歳で生涯を閉じた「日本のゴーギャン」と呼ばれる “孤高” の画家です。

 

 生前は無名でしたが、没後の1985年にNHK「日曜美術館」が「黒潮の画譜~田中一村~」を放映したのがきっかけとなり、以後多くの美術ファンが注目するようになりました。その、勿論まだ無名の田中が奄美に移住して間もないときに、田中よりも1年先に奄美和公園に赴任していた小笠原に与えられていた居室にしばらくの間、縁があって居候したというのです。

               チューリップ赤

 しかし実は、私が住んでいた官舎のすぐ隣の官舎の1室に田中が住んでいたことがありました。その頃は中学生になっていた私は毎日その1室(部屋)の前を通るため、部屋の障子が開けられていた時は部屋の鴨居に並べられて掲げられていた田中が依頼主からの注文で描いていた何枚もの肖像画をいつも眼にしていました。

 

 1度、部屋に招かれてじっくりとそれらを見せてもらったことがありましたが、まるで写真を見るような精緻な肖像画でした。で、私は没後有名になった田中が生前、和公園に一時期住んでいたのはそこの部屋だけかと思っていたのですが、実はその部屋を園の方からあてがわれるより前に、最初に小笠原先生の居室に転がり込んでいたことがあったというのです。ともかく、驚きました。 

 

 そして、これも最近調べてわかったことですが、小笠原先生は私が高校1年のときに奄美和公園を退官(1966年10月)されており、私が高校を卒業すると同時に官舎を出て上京した2年後の1970年12月に、生家の円周寺にて急性肺炎で亡くなっておられました(享年82)。

               お願い

 また、先にのべたように小笠原先生ともご縁のあった日本画家の田中一村さんは、1977年に奄美市名瀬有屋の家屋で倒れているところを近所の人に発見されました(享年69)。今でも毎年その命日には「一村忌」が開かれているそうですが、一村が晩年を過ごした有屋は奄美和公園に行く途中にある集落で、私たち子供が学校の行き帰りにいつも通っていた所です

               セキセイインコ青

   ■漫画『はだしのゲン』ラブラブを読む照れ 

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       麦よ出よ

 ●あまりにもむごい死に方の政二さんガーン

 「キャ—— だれかきてー おとうちゃんと おかあちゃんが 殺される~~」

 家の中で丸太棒を振り回して暴れ狂っている政二に身の危険を感じた冬子と秋子が助けを求めて庭に飛び出てきました。

 

 「元 はよう たすけて——」「ば ばかたれ 政二さんは 気がくるっとるけえ わしにも 手が つけられんわい」。一方家の中では・・・。

 

 「ヒヒヒヒヒ ヒヒヒヒヒ 死ぬんじゃ 死ぬんじゃ みんな 死ぬんじゃ」

 「や・・・ やめて 政二さん あ・・・ あたしが わるかった ゆるして ちょうだい」

 

 「ヒヒヒヒヒ」。しかし、政二は「ぐぐぐぐぐ」と口から血を垂らしたかと思うと、そばにいたハナの着物に飛び散るほどの血を口の中からブワーと吐きだしました。「キャ—— た  たすけてー ピカの毒が うつる~~~」

 

 血を吐いた政二はギギギと声をあげ、ヨロヨロと廊下を歩いて、ゲンたちがいる庭に、ドタッ、と仰向けに倒れ落ちます。

                ゲッソリ

 「うわ—— 政二さん ど・・・ どうしたんじゃ 政二さん し・・・ 死んでる 政二さんは 死んでいる・・・」「うわ——い 政二さん しっかり せえよ かんたんに 死ぬやつが あるか 目をさませよ」。「ばかたれ 目を あけるんじゃ~~ わしに 絵を おしえてくれる 約束はどうしたんじゃ」「政二さん 生きるんじゃ—— まだ 最後の作品は 完成しとらんぞ—— しっかり せえよ うううう」。

 

 最後の作品というのは、原爆で死んだ人々の、辛く、苦しく、悲しく、悔しく、そしてボロキレのように捨てられていく怨みを描き残すつもりで描きだしていた絵でした。

 横たわる政二のそばで、頭を垂れ正座したゲンはなおも語りかけます。「ううう むごいのう ピカで 体をとかされ さんざん きらわれて 最後には 気がくるって・・・ これじゃ 政二さんが あんまり むごすぎらぁ」。そばにいる隆太が「ほうよ ほうよ」と相槌をうちます。

 

 一方、庭先に横たわる政二に向かって必死に呼びかけ、語りかけているゲンの様子を先ほどから、家の中から身をのりだして見ていたハナと夫の英造。

 

 ハナが口を開きます。「ふ~~っ あぶなかった あんた よかったですね やっと 政二さんが 死んでくれて・・・」「う・・・うん」

               ニヒヒ

 「まったく 政二さんは 最後まで あたしらを こまらせて 死んだよ ほんとうに にくらしいったら ありゃしない これで すっきり できるわ よかった よかった」。

 

 ハナは、政二がやっと死んでくれてよかったと笑顔。かたや夫の英造の顔は、確かに死んでくれてホッとはするものの政二は実の弟だけに渋面。 

  その、笑顔と渋面が対照的です。そうした中で、庭に死んで横たわっている政二の傍らで寄り添っているゲンと隆太の姿があります。

 

 ●弔問客の前で政二の死を悲しむハナえー

 屋敷の部屋の中。香炉に立てられた線香の煙が揺らいでいます。庭先から部屋に運ばれていた政二の遺体が棺桶の中に入れられていて、その前に設えられた香炉を置いた台を前にしてゲンと隆太が座っています。

 

 そこへ政二の兄・英造が「元 せわになったのう もう かえっても ええぞ」と入ってきます。そして「ここに 十円ある わしの気持ちじゃ とっておいてくれ」と封筒の包みを隆太に渡します。

 

 「エへへへ おっさん 十円も くれるのか すまんのう」と受け取った隆太は、ゲンに向かって「あんちゃん よろこべ よろこべ 十円じゃ 十円じゃ」と満面の笑顔で喜びますが、「ばかたれっ 政二さんが 死んだのに よろこべるか」とゲンは隆太の頭に拳固を落とします。

 

 そしてゲンは,棺の中の政二の顔を見やり、涙ながらに「さ・・・ さようなら 政二さん 天国に ついたら ゆっくり すきな絵を かけよ・・・」と心の中でつぶやきます。

 

 その頃、屋敷内の庭先には近所の人たちが弔問に来ていて、喪服着で正座して迎えるハナに、「おくさん このたびは 政二さんが なくなられた そうで ごしゅう しょう さまです」とあいさつを述べています。「ありがとう ございます」と応えたハナは白いハンカチで目頭を押さえながら悲しそうな表情で「グスン」と言葉を続けます。

               ショボーンニヒヒ

 「政二さんの ためなら あたしたち できるだけ 手をつくして みましたが・・・ ほんとうに ざんねんです」シク シク。

 

 「政二さんは 死ぬまで すきな絵を かきつづけて おりました・・・ ざんねん なのは 最後の絵を 完成できない まま 死んでしまって どんなに 心のこり だろうかと おもうと 政二さんが かわいそうで かわいそうで」グスン、「せめて 最後の絵を 完成するまで 生きていて ほしかったです・・・」グスン。

 

 それを襖の陰でゲンと隆太は、なんて白々しいことをいうババアだという表情で立ち聞きしています。

 

 なおもハナは弔問客を前にして悲し気に続けます。

               ニヒヒショボーン

 「政二さんはこの吉田家の名誉でした。すばらしい 絵の才能を もちながら ピカに あったばかりに・・・ あたしら 政二さんを 元気にする ために どんなに 努力したか しれません それなのに 政二さんは・・・」「うううう 政二さん なぜ死んだの おねがい だから 生きかえって ちょうだい ううう あたしらは さびしいのよ」。

 

 「お・・・ おくさん 元気を だして ください 政二さんは きっと よろこんで おられますよ おくさんに やさしく 看病されて」「そうで しょうか・・・」。

 

 「そうですよ おくさんは りっぱじゃ ピカをうけた人は みんな いやがるのに おくさんは 死ぬまで しんせつに 看病して りっぱです・・・ わしゃ おくさんを 手本にする ように わしの 女房にも いいますよ」「わしもじゃ」

 

 「・・・・・・」(目頭に当てられたハンカチに隠れて弔問客からはうかがえないハナの顔には、してやったりとばかりに笑みがうかんでいます)。そしてハナはハンカチを当てたまま正座して「政二さんが やすらかに ねむれる ように みなさんも おがんで やってください」と客を部屋に誘います。

 

 ●娘の冬子にウソ泣きをホメられたハナ照れ

 「フフフフ」。冬子が母・ハナを見ながら笑います。「冬子 なにが おかしいの」「だって おかあちゃんは さんざん 政二おじさんを いやがって いたのに おかしいよ それに ウソ泣きが うまくて・・・」

 

 「おだまり これも 吉田家の 名誉の ためよ おまえたちが おばけの子と ばかに されない ためと この吉田家の ハジを なくす ためなのよ わからんの」「ふ~~ん」。「おまえたちも 必死で 政二さんを 看病した ように みせるのよ そうしたら 町のみんなが りっぱだと ほめて くれるから わかったね」「う・・・うん」。

 

「・・・・・・・」襖の陰で、ゲンが親子のやりとりを聞いていて、そのうちに握りしめていた拳がぶるぶる震えます。「く・・・ くそったれ かっこう ばっかり 気にして しらじらしい やつらじゃ 政二さんは うかばれん わい」

               ムキー

 「あんちゃん しゃくに さわるのう しょんべんを ひっかけて やりたいよ」「ほうよ むなくそが わるう なるわい はよう かえろう」「ほうじゃあ」。

 

 ふたりはそう言いながトボトボと歩いて屋敷を後にします。

 

 ●ゲンは生き返った政二に会うが・・・おばけくん

 帰り道。夜も更け、月が出ています。

ゲンが「むっ」と驚いて隆太に声をかけます。「お おい 隆太 あそこに いる人は 政二さんに よう にとるのう」「ほ・・・ ほんとうじゃ」

 

 見ると、さっきまで死んでいたはずの政二が石の上にしょんぼり座っています。

 

 「ふふふ 元 まっていたよ」

 「ヒ——やっぱり 政二さんじゃ」「お・・・おばけじゃ」。

 

 「ふふふ おどろくなよ わしは 一度は 死んだけど 生きかえっ たんじゃ」「アウ アウ ほ ほんとうに 政二さんは 生きかえっ たのか・・・」「あ あんちゃん 足が あった~~ ゆうれいじゃ ないぞ~~」。「うわ——い 政二さんが 生きかえった よかったのう よかったのう」「いかった~ いかったのう~」

               イルカ

 ゲンと隆太は飛び上がって喜びます。

             

 (死んだ人間が生きかえるという話しは現実には聞きませんが、物語の中にはあります。グリム童話の「白雪姫」などです。ご存じのように白雪姫は王妃の手鏡が“世界中で一番美しいのは白雪姫(王女)”と王妃に答えるため殺されてしまいますが小人たちたによって蘇生させられます。ですから政二が生き返ったのも物語としてなら十分成り立つのです)

 

 「元 おまえには すっかり せわに なったのう ありがとう」「エへへへへ あらたまって なにを いうんじゃ おかしいよ」。「お礼に わしの絵の 道具を 全部 おまえに やる つかって くれえ」

 

 「だ だって 道具が ないと 政二さん こまるぞ」。「わしは もう いらんのじゃ」「ど どうしてじゃ」。「絵をやめて どうしても 長い旅に でなくては いけんのじゃ」「そ そんな さびしいこと いうなよ わしは 絵を おしえて もらわんと いけんのじゃ」。            ニコニコ

 「すまんのう 元・・・ かんべんして くれよ 約束を まもれないで」「おまえは 自分の力で いまに すばらしい絵を かけるぞ 自信をもって がんばれよ」「そうかのう・・・」。

 「元 わしの絵は おまえが 完成してくれよ 未完成のまま 旅にでるのが 心んこりで たまらんのじゃ たのむ 約束してくれよ」「わ わかったよ 約束するよ」。

 

 政二はゲンの肩に両手を置いて「元 ほんとうに たのむぞ 約束したぞ」と念をおします。「う うん」。「元 わしは どんなに 遠くにいても おまえのこと みまもって いるぞ いつも いっしょじゃ 元気で がんばれよ  元 さようなら 元気でな」

               アセアセ

 「うわ——い 政二さん まてよ どこへ いくんじゃ 政二さ——ん」。

 

 駆け去る政二の後ろ姿を見るゲンと隆太です。

 

 ●政二に出会った夢から覚めたゲンガーン

 「うわ——い 政二さん まてよ——」とゲンが隣で寝ている隆太の頭をガンガンとゲンコで叩きながら叫びます(隆太が口を横に開けて描かれているので笑えます)。

 

 隆太の横には君江と友子(ゲンの妹)が寝ています。

 

 次の瞬間、ガバッとゲンは上半身を起こします。「ハア ハア ゆ・・・ 夢か・・・」

             ダッシュ

 夢から覚めたゲン。ということは、月夜の夜の道でゲンと隆太が出会った政二との会話のやりとりは、夢の中の出来事だったのです。

 

 政二は「一度は 死んだけど 生き返ったんじゃ」と言っていたがこのときはまだ生き返ってはいなかったのだ(このあと本当に生き返ります)。

 

 道理で、政二はゲンに、「絵をやめて どうしても 長い旅に でなくては いけんのじゃ」「未完成のまま 旅にでるのが 心のこりで たまらんのじゃ」とか、「わしは どんなに 遠くにいても おまえのこと みまもっているぞ」と読者が黄泉の世界を想像する言い方をしていたのです。

 

 ゲンは夢に現れた政二の様子に思いを馳せてこう思います。

              ショボーン

 「政二さん 泣いて いたのう・・・ よっぽど 絵を 完成 したかったん じゃのう くやしかったん じゃのう・・・ ようし わしが 政二さんの絵を かならず 完成してやるぞ」。

 ふたたびゲンはグー グー グーと眠りますが、しかし。また政二が現われて、「元~~ 苦しい~~ 水を 水をくれ~~ 元・・・ おきて はよう きてくれ 苦しい はよう きてくれ~」ともがきます。

 

 ガバッと跳ね起きたゲン。窓の外には月がうっすらと見えます。

              アセアセ

 「ハア ハア ど・・・ どうしたんじゃ 政二さんの 夢ばっかり みるぞ・・・ ほ・・・ ほんとうに 政二さん 生きかえったのかのう 気になるのう」。

 

 (ゲンは第2巻で父と姉と弟が生きているという夢を見た時は3人とも必ず生きて帰ってくると信じていましたが、今度の政二の時は、本当に生き返ったか「気になるのう」と半信半疑です)

 

 ●やはりカンオケから出てきた政二ゲッソリ

 屋敷の部屋の中。ギギギギギ~~。

 

 政二が入っていたカンオケの蓋が開こうとしています。ギギギギギ~~~ ギギギ~。だがバタンと蓋が閉まります。その音で寝ていたハナがガバッと布団から上半身を起こし「いまへんな音がしたけど」と気味悪がります。ギギギ~~。「ヒッ」と驚いたハナはそばで寝ている家族を手でさわり「あ あんた おきて ください 秋子も 冬子も おきるん だよ」と言います。

 

 「う~~ん どうしたん じゃ ハナ?」「どうしたんね おかあちゃん」。「へ へんな 音が きこえるん ですよ」「おまえの そら耳 じゃろう 政二が死んで やっと 安心して ねていたのに おこすな!」。ギギギギ~~。「こ・・・ この音は 政二の死体が おいてある 部屋から だぞ」と英造が怖がるとハナも「ぞ~っ」とします。「あ あんた まさか 政二さんが 生きかえった んじゃ・・・」「ば・・・ ばかたれ たしかに 政二は 死んだんだ!!」。

                ゲッソリ

 ギギギギ。「ヒ—‐ッ」と冬子。「こ・・・この音は カンオケを あけてる 音だぞ ああいつ 成仏できずに まよって 生きかえったのか!?」「キャーッ」

 

 「ハナ おまえが 政二を いじめたから あいつは 成仏でき ないんだ」「な・・・ なにを いうんです あんただって きらってた くせに!あ あんた なんとか してよ あたしら 殺されるよ きっと!」「ば・・・ ばかたれ おまえこそ なんとかせえ」。ガラ ガラ ガラ。「キャッ」と思わず布団をかぶるハナ。

 

 「お・・・ おかあちゃん こわいよ~~」。

 

 そのころ、やはりカンオケから出てきた政二が「ハア ハア」と荒い息をたてながらズズズと畳を這って部屋から出て行こうとしています。

ー続く

            チューリップオレンジちょうちょふたご座チューリップオレンジパンダ

            2024年2月1日(木)

               おばけくん