口笛中年の研究ー中年をどう生きるか  ~目次~(投稿分) 

 はじめに 第1章 ようこそ中年へ (1)中年はいつ始まり、いつ終わるのか私が中年を意識した頃中年の始まりは40歳前後とは限らない / 35歳が中年の始まり? / 25歳の娘の眼からは52歳の私は高年! / 苦肉の言葉? 中高年 / 「中年は伸縮自在な年齢」その理由 /(2)中年という言葉は、いつ、どこから生まれてきたのか / “俵かつぎ対抗リレーで壮年団が与えた感動 / 「中年の魅力」という言葉を耳にしたのは昭和30年代~40年代だった / 「中年者」という言葉は江戸時代からあった / 中年世代人口と若年世代人口の逆転 / アメリカで出版された『ミドル・エイジ・クライシス』 / ギリシャ神話の中年男・ミダース王 (3)ひとは、いつしか中年になる  /  年齢よ! 37歳のままで止まっておくれ! / 永遠に37歳でいられるのが「最高」!? / まだ若い若い / 中年は一日にして成らず / 中年のしるし ベスト・スリー / 中年の番付とライフサイクル上の位置 / 「新婚さんVs.中年夫婦さんいらっしゃい!」 /

 第2章 「中年になる」ということ (1)中年になるということは人生が半分過ぎたということ / 中年の発見 / 中年現象の共通性 / 人生の残り時間を意識する / あることを終えたという感覚に包まれる / 青春の魔法を失う / 老いや死を意識しだす / 一年をはやく感じるようになる理由(わけ) / (2)中年の峠から見えてくるもの / 失うものと得られるもの / 肉体の衰えの中に生の本質を発見する / 中年からの時間の質 / 中年は体験と時間を実らせる / 世の中や人間がわかるようになる? / 中年からは知恵と技が勝負の切り札 /  (3) 本当の大人になる /  私が「自分は大人になりきれてない?」と懐疑的になるとき / 私を懐疑的にさせる理由 / 迷えるオトナ/  大人になんかなりたくない 

  第3章 私の中の中年もよう (1)中年になったことに誇りをもてるだろうか / 中年の私は二つの間(はざま)で生きている / オヤジの魅力はホットするところと哀愁感”/ 中年を誇ろう!中年と同窓会 /過去は宝物 / 内なる少年性 / 父親の心を知る / 親から子へ・・・/(2)中年になったればこそゆったりと アルコールとのつきあい / 酒と私  / ゴロゴロしててもいい / 中年と趣味 / 庭いじりを好むようになる理由(わけ)/中年と家事 /中年とお金 / 貯まる人と失う人 (3)中年における不安危機も人生の通過点 熟年離婚の増加は本当? / 夫婦・・その理想と現実” / 長寿社会と中年夫婦” /   第4章 中年の危機をのりきる  (1)中年の危機とは何か ピントこない?中年の危機私も中年の危機のただ中にいた・・・/それはアメリカ発だった/レビンソンがとらえた中年の危機における危機/ ”中年の危機は誰にもやってくるという〈2〉危機は成長過程の一部? 8つの危機 /8つの危機の意味するもの/危機は成長の可能性を孕(はら)んでいる/「中年の過渡期」(=危機)の3課題 を考えるエリクソンによる発展的危機説 / アメリカで中年の問題が始まった理由(わけ)/(3)危機は変化と可能性への糧である 人生を段階的なものとみる東洋的な特徴 / 昇りの梯子を見失う日本における中年の危機”/元祖!?中年の危機への対処人ーカール・ユング / ユング自身が体験した中年の危機 / 「創造の病(クリエイティブ・イルネス)」と危機の克服 /

   第5章 中年からを生きる (1)自分らしく生きる  四十になったら惑わない? / 今を楽しむためと将来に備えて“好きなこと”をする / 人と余計な競争をしない / 自分らしく行く(生きる) / 内なる声や内で燃えるものに従う / 五十歳でギア・チェンジする / 自分らしく生きる贅沢 /(2)中年だからこそ夢を持つ 中年になって夢にめざめた私 / 夢の力を見直す/

         第5章 中年からを生きる

          

 (2)中年だからこそ夢を持つ

           Ⅰ~Ⅵ

Ⅵ-Ⅲ中年からの ”夢の力”

 “夢の力”という点で思い浮かべる例がある。トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者シュリーマンのことだ。シュリーマンは子供のころ父がいつも読んで聞かせていたギリシャの詩人ホメロスの叙事詩『イリアス』を史実と信じていた。そしてその中に出てくるトロイの都の遺跡は必ずどこかにあると信じいつか必ず掘り当てようと夢見ていた。

 大人になり実業家として成功したのち1870年小アジアのヒッサルリクの丘を発掘してトロイの実在を証明。さらにミケーネやイタカなどを発掘しエーゲ文明研究の端緒を開いている。

 

 伝記によれば少年時代や青年時代はかなり苦労したようだ。9歳の時に母を亡くし、その後、牧師をしていた父が教会の金を使いこんだと疑いをかけられたため兄妹たちはバラバラになって親戚のもとにあずけられている。

 

 そんななか、14、5歳で働きに出たが病気がもとで何度かクビになり、仕事をもとめて南アメリカ行きの帆船に乗る。だが嵐で船が沈み9時間余りも海に投げ出され九死に一生を得る。——ーとそんなこんなの波瀾万丈な人生を送っている。

 

 しかしそうした中にあっても彼は少年の日に夢みた「いつかトロイを発掘してみせる」という思いを決して忘れることはなかった。やがて商売を成功させ財を築き上げる。そして41歳で仕事をリタイアしトロイ発掘へ向けて動き出す。

 

 さまざまな困難の末に、ついにトロイの遺跡プリァモスの宮殿や宝物を掘り当てたのはシュリーマンが51歳のときだったという。

 

 さて、このようなシュリーマンの物語は、“夢の力” の確かさを示してくれているが、しかしそんな偉人の話に限らず、将来○○になりたいと夢を持ちその夢を叶えた人びとの話を多分あなたも聞いたり読んだりしたことがおありかもしれない。

 

 私が聞いたものでは、たとえば、“歌の女王” と呼ばれた美空ひばりの歌を子どもの頃に聴いて感動し自分も将来歌手になりたいと夢見て演歌歌手になったという人の話や、ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄に憧れてプロ野球選手になった人、さらにテレビアニメの「アタックNo1」を見て自らもバレーボールを始め全日本のチームに選ばれた人の話などがある。

 

 しかしながら、多くの人はそのような話を、“特別な人” の話で自分には関係ないと思って聞きがちではないだろうか。私自身はそうだった。また、すでに中年になっている自分がかりに何らかの夢を抱いたとしても、これから先は人生残り少ないので、夢が叶うことなど無理だろうと思う人が少なくないのではなかろうか。

 

 だが決してあきらめる必要はないだろう。だいいち夢を持つことにお金は1円もかからない。頭の中であるいは紙の上で夢はいくつでも大小さまざまなものを描くことが可能である。それに、かりに40歳で夢を抱いたとしても、人生80年、今や百年ともいわれる時代だからそうした長い時間の間で夢が叶う可能性は十分に高い。

 

 中年にもなって「今さら夢なんて・・・」ということはまったくないであろう。

              照れ

   セキセイインコ青差別について考える⑭

 ハンセン病強制隔離に抗した小笠原登(Ⅳ)

  国のハンセン病強制隔離政策に抵抗し1941年の日本らい学会では袋叩きにあいながらも外来治療の孤塁を守っていた小笠原登ーーー。 

 終戦から3年経った1948年(昭和23年)12月、京大を退官。厚生技官になり国立豊橋病院に転勤しました。

 

 登はそこで皮膚泌尿器科医長として1955年(昭和30年)まで7年間務めています。豊橋の官舎から実家の圓周寺に帰った際には僧侶としての務めもしていたそうです。

 敗戦によって軍国主義に基づく幾多の法令は効力を失い、憲法を筆頭にして新たな法体系が成立したはずでしたが、1931年に制定された「らい予防法」は残ったままで、1953年(昭和28年)にはかえって改正強化されました。

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 そうした中で、京都時代に登の外来治療を患者たちが登の治療を受けるために豊橋までくることがありました。また、驚いたことに、豊橋の病院だけでなく小笠原の自宅・圓周寺まで訪ねてきて診察を受ける者もいました。

 

 遠方からきた患者は、登が豊橋病院から帰宅するのを圓周寺で待って夜に診察を受け、一晩園周寺で宿泊し、翌朝、家人と一緒に食事をしてから帰ったそうです。

 

 「らい予防法」によって、人々に植え付けられた「ハンセン病は怖い」という偏見が蔓延している中でのことです。

 

 ●ハンセン病強制隔離に抗した小笠原登(終)

  豊橋病院を退職した登は請われて1957年(昭和32年)9月、ハンセン病国立療養所奄美和公園(あまみわこうえん)に69歳の時に赴任します。

 その療養所はすでにふれたように私の父が事務職員として勤めていた関係で、私が小学1年生の時から高校3年の卒業まで12年間(昭和31年~昭和43年)官舎で過ごしていた所です。

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 登が赴任した昭和32年は私が家族と共に官舎に住むようになった次の年にあたります。しかし当時私は小学2年生で7歳か8歳と幼く、記憶力が弱いせいもありその頃のことはほとんど記憶にありません。

 

 それはともかく、登は請われて南の島の奄美大島までやってきたとはいえ、これまでずっと国の隔離政策に反対してきた身としては、隔離施設であるハンセン病療養所へ赴任することに迷いがあったかもしれません。

 

 しかし治療を待つ患者のことを第1に考えて、赴任の要請を引き受けたものと思われます。父の同僚が記していたものによると、当時の奄美和公園は300人あまりの入所者を抱えながら、医師は園長ただ1人だったようです。

 

 そのため、医師充足の悲願を叶えるため、園長がハンセン病学界では有名だった登が豊橋病院を退職したことを知り、礼を尽くして和公園に迎えることにしたのだそうです。

 登の赴任と同時に、幸いなことに新たに2名の医師が着任して一気に医師不足は解消されたとのことです。当時の登の肩書は69歳という年齢からいって国立の施設の園長ということではなく、医師(漢方医)としての責任者であったようです。

 

 そんな登のために、園長は施設内の1部屋を研究所として提供し自由に診察ができるように計らいました。患者を投薬の対象としてしか見ない医師が多い中で、登の医療は常に患者に対して人格を尊重し礼儀正しいものでした。

               愛

 また、患者1人につき1時間半もの時間をかけたものだったらしく、僧でもあったため、法話を語り、ゆっくりと患者に納得のいくような接し方であったという。

 

 登は、患者が「どうせこの病気は治らないんだ」と自暴自棄になるのに対して、松の老木を指差してこう諭していたとのことです。

 

 「あの松の枝は一本落ちている。その枝はもとに戻らないが、木全体は青々と茂っているだろう。木全体は病んでいない。この病も、きっとそのように治ります」。

 

 また、登は患者に不安を与えぬよう、ていねいなケアを行い、患者に無用の恐怖を与えないために患者の目の前では消毒することを禁じていたという。

               ちょうちょ

  ■漫画『はだしのゲン』ラブラブを読むふたご座 

            <46>

     麦よ出よ

 ちょうちょ2023年は『はだしのゲン』が「週刊少年ジャンプ」に掲載されて50周年を迎えた記念すべき年でした。「ゲン」は50年経った今も読み継がれているだけでなく、24の言語に翻訳されているとのことですが、先日、思いがけないところで「ゲン」の名を目にしました。それは他でもなく、現在イスラエルによる激しい軍事的攻撃を受けているガザを、元外交官だった時に訪問したことのある中川浩一氏が昨年十二月に上梓した『ガザ ー日本人外交官が見たイスラエルとパレスチナ』(幻冬舎新書)の文中でした。

 ちょうちょそれによれば、氏は、ガザ日本政府代表事務所で勤務していた2000年の夏に、過酷な状況の難民キャンプの人々、特に子供たちに娯楽をと思い、日本映画祭の開催を企画したそうです。ガザには映画館は一つもなく、そんななかアラビア語の字幕付きの日本映画で、映画と言うものをほとんど知らない子供たちに受け入れられる作品を探すのは大変であったが、氏は戦争の悲惨さをパレスチナの子供たちに分ってもらおうと、「はだしのゲン」を選んだとのこと。

 ちょうちょ舗装された道のない難民キャンプそれぞれに、上映するためのプロジェクターと自家発動機を運ぶのには苦労したそうですが、それでもめげずにガザにある全8つの難民キャンプを回りきり、各キャンプの責任者から、「来年もぜひ日本映画祭をやってほしい」と言われたときは嬉しかったそうです。

 ちょうちょ現在、イスラエルの攻撃によってガザでは2万人以上の人が殺されていて、その多くが子供たちだというニュースを聞くと胸が痛みます。一日も早い停戦を願わずにはおれません。そうした中、今も世界で起こっている戦争が終わることを祈って、原爆と戦争に対する怒りが込められた漫画『はだしのゲン』をこれからも読み続けていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い致します。

                      ちょうちょ

 ●医師に匙を投げられた政二の病状えー

 ピカのことを知らない町の人に自分のみにくい姿を見せるんじゃとキズだらけの上半身をあらわにし、リヤカーの中で両手を広げて立って、ウオー、ガウーと奇声を上げていた政二。しかし、その様子を政二の兄の妻・ハナと姪の秋子に見られた政二はその後、口から血を吐き、ゲンと隆太によってリヤカーで家(兄の屋敷)に運ばれてきました。

 

 「先生 おねがいじゃ 政二さんを たすけて やってくれよ」と言うゲンに、医師は、「もう 手おくれじゃのう 内臓が全部 いかれとる・・・」「ふしぎじゃ ピカをうけた患者を たくさんみてきたが みんな内臓を メチャメチャにされて 死んでいく・・・」

 

 (どうしてなのか原因は)「わからん ピカに毒が あるんじゃろう・・・おそろしいのう 広島に おとされた 新型爆弾は・・・」と言った後、ゲンにこう言い放って部屋を後にします。「かわいそうじゃが いまの医学じゃ どうすることもできん あきらめるんじゃ」

 

 ●政二を助けるためのあの方法!はてなマーク

 〈く くそっ やぶ医者!〉

 ゲンは心の中で口にしましたがどうも仕方がありません。そこで、ゲンは布団に横たわる政二に、「政二さん 死ぬなよ まだ やることは いっぱいあるんだぞ この作品を 完成させるん だろう 目をあけて 元気をだせよ」と、政二が、さっきまで陸軍の射撃演習場跡地に積み上げられたたくさんの死体の前で「ひとりひとりの 苦しみの顔」を「わしは 最後の作品として かきのこしてやるんじゃ!」と心に決めて描きかけていたキャンバスを政二に見せます。

 

 そして、「わしは まだ 絵のかきかたを おしえてもらわないと いけんのじゃ 生きてくれよ政二さん・・・」と言うのです。絵のかきかたを教えてもらうというのは、政二をリヤカーに乗せ、ゲンと隆太と3人で「写生に行こう」と出かける前に、ゲンが、「わしも ええ絵かきになりたい」から「政二さん わしに 絵をおしえてくれよ・・・」と言ったことに対し、「おまえが やるき気が あるなら おしえてやるぞ」と、ふたりの間には約束があったからです。

 

 「く くそっ なんとか たすける 方法はないのかのう」。そう言って、ゲンは、隆太のそばに置いてある2つの頭蓋骨を見て次のように言います(頭蓋骨は、射撃練習場跡地に置かれていた頭蓋骨群の中から適当にお父ちゃんとお母ちゃんの骨として隆太が持ち帰って来て置いてあるものです)。

               お願い 

 「そうじゃ 隆太 そのガイコツを すこし 政二さんに わけてやれ」。

 

 なぜそう言ったかというと、第2巻にあったように、ゲンはあるとき見知らぬおばさんが人間のガイコツをトントンくだいてさらさらにし、その骨の粉を、原爆でヤケドを負った自分の子どもに飲ませていたのを見ていたからです。

 

 おばさんはそれを飲ませるとヤケドが治ると信じていたのです。隆太は、はじめ「いやだよ わしのとうちゃんを・・・」と断りましたが、やがて「しょうがないのう すこしだぞ」とゲンが骨を粉にするのを許します。

 

 ●家の名誉にキズをつけたと怒るハナムキー

 「政二さんを たすけるんじゃ このまま死なせては あんまりにも かわいそう すぎるわい」。ゲンがそう言いながら頭蓋骨を削ろうとしていたその時です。ゲンと隆太の目の前にハナと秋子が立っていました。「な・・・なんじゃ」とゲンが言った次の瞬間、ハナがバシッ、バシッ、とゲンと隆太の頬を叩きました。

 

 ゲンは「な なにを するんじゃ くそ ばばあ」とビックリ。するとハナは、「おまえたちは よくも あたしらに はじを かかせたね おばけの政二さんが いることを かくしているのに わざわざ 町中にみせてあるいて あたしらは どんなに はずかしい思いを したか しれないよ おまえたちは この吉田の家の 名誉にキズをつけて わらいものにしたんだ もうあんたたちは この家から でていきんさい」、バチン、とゲンをさらに叩きました。

              オエー

 「く くそ—— なにが はじじゃ なにが名誉じゃ おどれら政二さんの かなしい気持ちが わからんのか おどれら かっこうばっかり 気にする 鬼じゃなんで 長く 生きてられん 政二さんに やさしく してやれんのじゃ」「うるさい もんくをいわず かえりんさい」。

 「わしゃ 政二さんを たすけるんじゃ ぜったいに かえらんぞ」「かえらんと 三円 あげないわよ」。(三円とはゲンが政二の世話をする報酬としてもらうお金ですよね)

 「いるもんか 政二さんの 命のほうが だいじじゃ」「まったく ずうずうしい 子だよ 政二さんが 死ねばいいと ねがっているのに かってに医者を よんだりして たすけられたら あたしらは こまるんよ さっさと かえりんさい」

              ガーン

 「お おどりゃ むごいことを いうのう わ わしゃ おこったぞ この くそばばあ」「な なにをするの」。「あん ちゃーん やれ やれ」と隆太。

 

 と、そこへ、「やめろっ」と政二の兄・英造が止めに入り、妻に向かって「ハナ 元の いうとおりじゃ 政二の 最後ぐらい やさしくして やろうじゃないか」「ハナ  政二は わしの たったひとりの 弟じゃ  やさしくして やってくれぇ たのむ・・・」と諭しつつ懇願します。

 

 しかしハナは「あ あたしゃ いやですよ」「フン」「あんただって 政二さんが 死ねばいいと ねがっているのに 自分だけええかっこ しないで くださいよ」と聞き入れません。

 英造は額から汗を流しながらゲンに言います。「元 すまん 政二をたのむ」。

 

 ゲンは、拳をつくり、「わ わかって いらあ」と返します。

 

 ●政二の様子に異変が起きるびっくり

 「さあ 骨を 粉にして はよう 政二さんに のませるんじゃ」。ゲンはそう言って、ハナと英造がその場を立ち去ったあと再び骨をガッ、ッ、ガッと削って粉にします。

「さあ できたぞ 政二さん のめよ 元気に なるかもしれんぞ」とゲンは仰向けに寝ている政二の口の中にできたばかりのその粉を入れ、ゴクリ、ゴクリ、ゴクリと飲ませます。「ほんとうに 薬が きいて くれれば ええがのう」。

 

 すると政二が、ムクリと布団から上半身を起こします。「うわ——いい 政二さんが 目を さましたぞ 政二さん だいじょうぶか しっかりせえよ」「あんちゃん 骨の粉は よう きくんじゃんのう」

 

 しかし布団から出た政二はヨロヨロと歩きだします。「政二さん どこへ いくんじゃ うわ——い 政二さん まてよ——」

 

 政二はヨロヨロ歩いてとうとう庭に出ました。そして息をハアハアさせながら木の大きな樽の中に入り座りこみます。「な なにを するんじゃ 政二さん」

 

 「わ わしは これから ピカの毒を とりさる 実験を 開始する」。「実験・・・?」

              グラサン

 すると政二は、ヒヒヒヒと笑い、「元 ここに 砂と葉っぱを いれろ」と命じて、ゲンと隆太に、自分がその底で座っている樽の中に砂と葉っぱを入れさせます。

「おかしな ことを するのう」「エへへへ おもしろいのう」と2人は不思議がりながらザラザラと入れます。

 

 「ようし それまで」「みんな うしろに さがれ 爆発を するかもしれん 危険だぞ はよう さがらんか」「わ わかった」。やがて政二は「実験開始!」と手と腕に包帯が巻かれた右手を上げます。そしてブツブツブツ、何かつぶやき、ドカーンと大声を発します。

 ゲンと隆太は、「ヒッ」「わっ」とおもわず抱き合うようにしてビックリ。「ガハハハ 成功じゃ 成功じゃ ピカの毒が みんなきえたぞ わしは 元気になったぞ」と政二は両手を上げて樽の中で立ち、樽から出て「どうじゃ わしのキズは すっかり きえて きれいな姿に なったじゃろう ばんざ——い ばんざ——い」と大喜びです。

              はてなマーク

 しかしゲンと隆太を指さし「こらっ そこにいるのは だれじゃ」と様子が変です。

 

 「な なにを いうんじゃ わしらを わすれたんか 政二さん」と驚くゲン。

 「まさしく おまえらは 敵のスパイじゃ」

 「せ・・・ 政二さん わしだよ 元だよ」「わしゃ 隆太じゃ わからんのか」

 

 もはや今までの政二ではありません。

 「お おどれは よくも わしを ごうもんにかけて さんざん 苦しめ やがったのう」「な なにを いうんじゃ」。「殺してやる かくごせい」。政二は丸太棒を手に取ります。

 

 ●政二がゲンと隆太に丸太棒を振り回すガーン

 「ヒ——」「うわ—— な なにを するんじゃ」。政二はゲンと隆太に丸太棒を振り下ろし「おどれらの ために どんなに わしは苦しくて 悲しい思いを してきたかおもいしらせてやるぞ 死ね――」と追いかけます。

 

 「うわー やめろ 政二さん わしを わすれたんか 元じゃ 元だよ」「やかましい おまえら みな殺しに してやるぞ ウオ―—にげるか スパイども」

 

 「隆太にげろ」「うわ——い」「く くるっとる せ 政二さんは 気がくるっとる」

ダッダッダ、「まてー」「ギャ」。「死ね~っ」と隆太のケツに丸太がビターンと打ちおろされます。「ギェッ」

              ニヒヒ

 隆太は「隆太 はよう こいっ」と言いながら木によじ登っているゲンに、下から「あんちゃ——ん」と泣きべそで声をかけます。「ガオー ガウウ」と奇声をあげる政二。

 

 「隆太 はよう 木にのぼれ」というゲンの足元から、隆太は「うわ——」と言いながら木に登っています。そして二人とも木の上で息を「ハア ハア」させています。

 

 「おのれ スパイども おりてこい にげても むだじゃ」。「あ・・・ あんちゃん 骨の粉を のませたから くるったん かのう」「ピカの毒が 政二さんの 頭の中まで くいつぶして しもうたんじゃ」

 

 そんな2人を見上げながら、政二はウオーウオーとなおも奇声を上げて、ゲラゲラ笑いながら口からよだれを垂らしています。

 

 「せ 政二さん おねがいじゃ 正気に かえってくれよ しっかり してくれよー」「あんちゃん たいへんなことに なったのう」

 二人は木の上で言います。

 

 ●丸太棒でハナを叩き 英造を突く政二びっくり

  「うるさいね なにを さわいで いるんかしら」。・・・庭の木の所で、政二が木の上に逃げるゲンと隆太を追いかけきて「おりてこい にげても むだじゃ」ウオーガオーと叫んでいるのを、屋敷の部屋で何ごとかと聴いていたハナが(秋子も冬子も英造も一緒)、障子を開けて庭の方を見ます。

 

 「むっ」、と木の所に目をやると、政二が、「ガハハハハ 殺してやる みんな殺してやるぞ~」と丸太棒で、ゲンと隆太が逃げて登っている木をガン!と叩きます。

 

 ゲンと隆太は恐怖のあまり「うわ——い 政二さんやめろ」「たすけてー」と声をあげています。「こら—— おまえら なにを しとるんじゃ」。英造(政二の兄)がそう叫ぶと、政二は目をギラッと光らせ、「イヒヒヒ スパイども でてきたな おまえら みな殺しに してやるぞ ヒヒヒヒヒ」と不気味な顔で睨みます。「うわ——」「ヒ——」

              ニヒヒ

 「イヒヒヒヒ スパイども おまえら みな殺しに してやるぞ ヒヒヒヒヒ」「キャ——」「うわ~~」「ヒ~~」。木の上のゲンは「た たいへんじゃ 政二さんが くるった きちがいに なった~~」と震えます。

 

 「うお~~っ おどれら よくも わしをごうもんにかけて苦しめたのう殺してやる~~」。「キャ——」「あんた——」「に にげろ——」とビビッているハナ・英造らに政二は、丸太棒をブーンと振り回して、バキッ、バリバリ、と部屋の障子を叩き壊します。

 そしてウオ——という叫び声とともにハナを丸太棒で叩きます。「ギャッ ぐぐぐぐ」。冬子は「お おかあちゃーん」とハナを心配します。「イヒヒヒヒ・・・」

              ガーン

 政二は映造を見て笑います。「や やめろ政二! わ わしじゃ おまえの兄貴じゃわすれたんか!」と映造は必死に止めようとします。しかしゲンが言っていたように、狂って気違いのようになった政二は、ウオーと声をあげドガッと丸太棒で英造を突きます。

 「ゲエッ うううう・・・」と、くずれそうになる英造の傍らでは、ハナが「ぐぐぐぐ・・・」と首をかしげ、テーブルに片肘をつきながら両膝を曲げて倒れています。

 

 「うわ~~ん おとうちゃん おかあちゃ~ん」。「イヒヒヒ」「ギャ——」「こわい~~」。「ううう や やめろ政二~~ こ こどもに ケガをさせたら しょうちせんぞ」。映造が政二の足を掴んでそう言います。

            ニヒヒ

 「ヒヒヒヒ みんな死ぬんじゃ わしを さんざん苦しめた やつら はみんな 死ぬんじゃ」。「せ 政二・・・ すまん ゆるしてくれ~~っ」と英造は暴れる政二の背後から止めようと抱えます。しかし、「ヒヒヒヒヒ」と笑い声をあげた政二は、ドガッと英造を丸太棒で激しく突き倒します。

 

 「ぐぐぐ せ 政二~」と英造は崩れ折れます。「きゃ——政二おじさん ゆるして」「うわ—— ごめんよ ごめんよ」。冬子と秋子は涙ながらに訴えます。

 

 「おかあちゃーん うわ~~ん こわいよー こわいよー」。母親のハナは冬子と秋子が怖がって泣き叫んでいるのを見て、そばにあった陶器を政二の頭に「このきちがいのばけものっ」、ゴ~~ンと叩きつけます。

 

 しかし政二は、ゲラ ゲラ ゲラ ゲラと笑います。「ヒ~~っ 秋子 冬子 はよう にげんさい」。「キャ—— だれかきてー おとうちゃんと おかあちゃんが 殺される~~」。秋子と冬子はゲンと隆太がいる庭に飛び降り、助けを求めました。

ー続く

           チューリップ赤ふたご座ちょうちょパンダチューリップ黄

          2024年1月12日(金)

               おばけくん