謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

       本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 またこの度の能登半島地震による被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 皆様の安全と1日も早い日常生活の回復をお祈りいたします。

 

    ●2024年 龍年の初めに思うこと

      ~戦争は一旦始まると容易に止められない

          だから絶対に戦争を起こさせないことだ~

 

 去年、テレビのニュースでゾッとしたのがあった。自衛隊の戦闘機が民間の空港を使って、着地してすぐ離陸するタッチ・アンド・ゴーの訓練をしたというものだ。

 

 日本が敵基地を攻撃したのに対して敵国から反撃を受け、自衛隊基地が使えなくなった代わりに民間空港を「活用」するためだという。私はそのニュースを見てすぐに思い浮かんだ言葉があった。「新しい戦前」・・・である。

 

 1昨年暮れの「徹子の部屋」で、タレントのタモリが発言して以来、にわかに人々の口の端に上がるようになった言葉だ。

 

 私は最初その言葉を聞き《確かに・・・》と思う一方で、しかし《まだ「新しい戦前」にはなってないのでは?》と、たかを括っていた。しかしそのニュースは私の考えが甘かったことを思い知らされた。やはり「新しい戦前」はすでに始まっている・・・と思わざるをえなかった。

              三毛猫

 テレビと新聞は日々ニュースを伝える。

 そんなニュースそのものを、もう聞きたくも知りたくないという人たちもいる。

 

 確かにそんな気になるのも解からなくはない。自民党の安倍派や二階派などがパーテイー券を売って多額の裏金を作っていたという疑惑で、岸田政権の中枢にいた安倍派の連中が検察の事情聴取を受けたなどというニュースを毎日聞かされているとうんざりする。

 いったいいつまで政治とカネがらみの話は続くのだ! 政党は税金で莫大な政党助成金を受け取った上でなお金権政治をやっているのか! といいかげんくそイヤな気になる。

 しかし、ニュースに眼を閉じ、耳に栓をして知らないまま、不正がまかり通るのを黙過するわけにはいかない。腐敗まみれの連中が好き勝手に政治を牛耳って、住みにくい世の中になるのは困るからだ。

 

 だがそうした黙過できないものの中でも、いま私が最も憂慮するのは、憲法改正の動きと戦争準備への動き、すなわち「新しい戦前」の動きである。

               オカメインコ

 さきの「新しい戦前」はすでに始まっているという話しに戻ると、その動きは、ふだんできるだけ触手(アンテナ)を広げ、日々のニュースに注意していないと、ともすれば見落としがちである。その結果、日本はまだこのまま平和で安全な世の中が続くだろうと楽観する。

 

 なぜそうなりがちかと我が身をふり返ってみるに、日々どうしても殺人や交通事故や火事や災害のニュースがひきも切らずに流れるために、そちらのニュースに耳目を奪われがちになるからだ(目下、パー券・裏金疑惑はその最たるもの)。

 

 だからその間にキケンな「新しい戦前」の動きが忘れられてしまうのである。

 

 だが本当はそうしたニュースの洪水の中にあっても、「新しい戦前」の動きは止ることなく続いているのである。

 

 たとえば、冒頭のニュースのような民間空港での自衛隊の訓練だけでなく、港湾においても釧路港から大分港へ陸上自衛隊の装甲車を運んでいる。

 

 沖縄の中城湾港では民間船から軍事車両などが陸揚げされた。

 

 また、沖縄県の石垣島では、海洋進出を強めている中国を念頭に敵基地攻撃も可能となるミサイル基地が建設されていて、島民の不安が高まっている。

 

 さらに鹿児島県の無人島・馬毛島(まげしま)でも軍事要塞化の拠点として米軍と自衛隊の訓練が一体化できる基地が建設中である。

 

 もう1つだけ例をあげると、少子化等で応募者が減り、慢性的な定員不足に直面しているという自衛隊は、防衛省が隊員募集のため自治体に若者の個人情報の提供を迫り、各地で、学校や自治体を「戦場の窓口」にするなという抗議や批判が広がっているというニュースもあった。

               牛

 日本は終戦の昭和20年(1945年)から平和国家の道を歩んできた。

 平和国家建設の “守護神” は、日本はもう2度と戦争はしないと内外に宣言した

日本国憲法であった。しかし、日本はふたたび戦争を準備している。

 

 岸田文雄首相は5年間で43兆円もの軍事費を増税によって調達しようとしている。また、岸田政権は憲法の平和主義に背を向け、殺傷武器も輸出可能にし、「死の商人国家」へも踏みだそうとしている。

 

 しかし戦争を決して許してはならない。

 

 戦争を拒み、「戦争の時代」でなく、「平和の選択」をしなくてはいけない。

 

 そのためにはアンテナを張ってキケンな動きには注意し、戦争反対の声をあげなくてはいけない。

 

 私は戦後生まれのため、戦争を体験したことはない。だが、体験者のいろいろな話を聞いたり、悲惨な戦争を描いた映画やドラマをたくさん見たり、そして何よりも、2年前から始まったロシアのウクライナへの侵略、昨年10月から続いているイスラエルによるガザ地区住民への集団虐殺の模様を毎日テレビで見ていると、戦争の恐ろしさ残酷さがわかる。

 

 そうした中で、年の初めに私がいまいちばん伝えたいことがある。

 

 それは何人もの戦争体験者が語っていたもので、「戦争がいったん始まったら、どんなに止めようとしても止めようがない」というものだ。

 

 そうであるならば、やることは1つである。

 

 それは、戦争が始まる前に、戦争を絶対に起こさせないことだ。

 

 いまこの日本で、この瞬間にも起こっている「戦争の準備」に反対し、「新しい戦前」の流れをくい止めるために「戦争はイヤだ」「平和がいい」という大勢の声と力を合わせることだ。

 

 雷ウクライナとパレスチナのガザに1日も早く平和が来るように祈っています。

   雷またこの度の能登半島地震による被災者の皆様に

   重ねて心よりお見舞い申し上げます。

              ハイハイ

                2024年1月2日(火)