DATA:➀『お引越し』劇場公開日 /1993年3月20日 /1993年製作 / 日本 / 配給 日本ヘラルド映画=アルゴプロジェクト / 監督 相米慎二 / 離婚のため別居する両親を持つ少女の心の揺れと葛藤・成長を描く。キネマ旬報ベストテン2位 / 出演 中井貴一 桜田淳子 田畑智子 / 

 

②『めぐり逢う朝』劇場公開日 / 1993年2月11日 / 1991年製作 / フランス /配給 ヘラルド・エース=日本ヘラルドエース / 監督 アラン・コルノー /17世紀の音楽家マラン・マレとその師サント・コロンブの葛藤と愛を描いた人間ドラマ / 出演 ジャン=ビエール・マリエル ジェラール・ドバルデュー他 /

  

  ■ゆれ動く少女の心描く

   『お引越し』

 △月×日ニコニコ

 テアトル新宿で相米慎二監督の『お引越し』を見る。『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』『台風クラブ』など子供が主人公の映画を多く撮っている監督だがこれもそうである。

 

 レンコ(新人・田畑智子)は小学6年生の女の子。父(中井貴一)と母(桜田淳子)が、仲が悪いため離婚しそうになる。

 

 そんな両親のもとで心をいためるレンコだが、いろいろあったすえに、えーい、あたいは早く大人になって強く生きてみせるとふっきっていく。両親の不和にさらされてゆれ動く少女の心の旅路とでもいったらよいだろうか。 

 

 別居するため父が家を出ていくので “お引越し” というわけだが、父と母の対立があらわになったあたりから俄然おもしろくなりドラマはやはり葛藤なのだと思わせる。

 

 相米監督は1つのシーンをワンカットの長回しで撮るのが得意らしくこの作品の中でも父親とレンコが土手をはさんで「対峙」するシーンが長回しになっていて、思わず〈オオッ・・・〉と目を見張る。

 

 ところで両親がモメテいても、健気にシャキッとしている子供・・・。そんな日本映画がほかにあったかなぁと思いめぐらし、ふと思い出されたのは『ウホッホ探検隊』(干刈あがた原作・根岸吉太郎監督)であった。

 

 やはり両親の不和にあう子供がでてくる。こちらは男の子二人だったが、両作品とも子供たちが、「わたし(ぼくら)もがまんしてきたのに」(大人はがまんできないで・・・)と言っていた(ビデオで確認)。

 

 そんななか、子供たちは哀しみをはねのけて明るくたくましいのである。

 

 △月×日口笛

 渋谷。ル・シネマ1で『めぐり逢う朝』(フランス)。地味だが、心にのこる。

 愛する妻をなくし二人の娘たちとひっそりくらす厳格な音楽家を師とし、その師とは対照的な才気ばしった弟子。その間におきる対立と葛藤。娘の悲運・・・・・。

 

 そんな物語にヴィオールというらしい古楽器の低い調べが静かに流れる。17世紀の話ということだが、当時のヨーロッパ文化の香りがまるで絵のような画面とともに匂い立たち、楽しめる。

 

 それと、妻の亡霊がでてくるシーンに溝口健二の『雨月物語』を感じたが、プログラムにその溝口や、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』の影響があるとあって納得。

 

 亡霊といえば、『お引越し』の中にも少女レンコが自分のそれと抱き合うという場面があった。日本映画とフランス映画の中に似たようなものがあり、偶然とはいえ

 面白く思った。

          ピンク薔薇嬉しいnews:第80回ベネチア国際映画祭(イタリア)で故相米慎二監督作品

      『お引越し』の4Kデジタルリマスター版が、同監督の命日にあたる9月9日、

      クラシック部門で最優秀復元映画賞を受賞し改めて作品が評価されましたピンク薔薇

 差別について考える

 ●深く考えたことがなかった4つのワケ鳥

 私が差別についてあまり考えたことがなかったワケを考えてみると次の4つがあげられそうです。1つ目は差別はいけないことだと思っていた(いる)ことです。それゆえに人を差別する人はいけない人であり、差別される側は被害者であるという以外に差別について他に考えることがなかったのです。

 

 つぎに2つ目は、自分自身が差別の被害者になったことがなかったことです。かりに私が誰かから差別を受けて嫌な思いをして苦しんだことがあれば「なぜ差別されなくてはいけないんだ」と考えたに違いありません。

 

 もっとも、あるとき50年以上も付き合いのあった人物から「キミに差別的な気持を持っている」と言われて嫌な気分になったことがありました。しかし考えてみたら、それはその人物の “私情” にすぎず、実際に差別を受けたわけではないので今後はその人物とは「フン ば~か」ニコニコと付き合わないことにしました。

 

 さて3つ目は、私が差別に関わる問題を無意識のうちに敬遠していたからではなかったか? ということです。差別は、“忌まわしい” ものです。なので、そうしたものはできれば見たくないし関わりたくない。どうせなら社会と人生の、もっと “明るく前向き” なものを見たいという気持ちが、差別の問題を深掘りするのを避けてきたのかもしれません。

 

 最後に4つ目は私が日本国内から国外に出たことが1度もないことです。そのために外国人とりわけ白人から人種差別・アジア人差別を受けることで劣等感や屈辱感を持ったことがなく、タコ畢竟、差別について考えたり悩んだりしなかったことです。

 

 余談になりますが、連続テレビ小説「らんまん」で主人公の槙野万太郎(神木隆之介)の友人がアメリカから帰国し、万太郎にアメリカで見てきた白人によるアジア人差別、人間が対等に扱われていない実態を話す場面がありました。

 

 それを見ながら、私の場合は外国に出かけたことないので、そうした人種差別は受けたことがなく、したがって人種差別については本やドラマや映画などで想像するほかないと思ったものでした。

 

 ●私は差別をしたことがありやなきやニコニコ

 私が差別について深く考えたことがなかった以上4つのワケは私の過去をふり返ってみたうえで「多分そうかもしれない」と考えついたものです。ですから、もっともらしく “こじつけた” ものがわざとそうしたわけではないにしろ含まれているかもしれません。

 

 けどいずれにしろ、私がこれまで差別についてあまり考えたことはなかったことに変わりはありません。そこでつぎに私が自分に問いかけたことは「私はこれまで人を差別したことがあっただろうか?」ということです。

 

 あったとすれば、アセアセいつ、誰に対して差別を行ったのか。

 

 なぜそう問い詰めたかと言うと「差別はいけない」と思っていた(いる)私がこれまでに人を差別したことがあったということになれば「えぇっ!? 差別はいけないと思っていたんじゃないの? 」となるからです。つまりもし「差別したことがあった」ということになれば、「差別はいけない」という観念とは違うことをしていたということになります。

 

 そしてこれまで人を差別したことがあるかどうかを自分に問いかけたもう1つの理由は、人が、人を差別するという関係の中で、差別をする人の心の中はわからないが、もし私が差別をしていたとするならばその心の中は思い出せばわかるかもしれないし、そうなれば差別について考える糸口の1つになるかもしれないと思ったからでした。

               ふたご座

   ■漫画『はだしのゲン』ラブラブを読む三毛猫 

             <35>

   死ぬも地獄 生きるも地獄

 ●「行って帰る」中の「生と死」や「死と再生」イエローハーツ

『はだしのゲン』第2巻 “麦はふまれるの巻” は、原爆が投下された日からのゲンと母・民江の苦闘の物語です。ショックで 路上で赤ん坊を産んだ母・民江。

 

 ゲンは栄養不足のためお乳がでない母の頼みで田舎にお米を手に入れに行き、道中で原爆の悲惨な実態を眼にし自らも原爆症で頭が丸ハゲになるなどの難儀の末、お米を持って母と赤ん坊(ゲンの妹)のもとに帰り着きます。

 

 主人公ゲンのこうした行動の話は、前にも書いたように物語の基本といわれる「行って帰る」物語と言えます。主人公が「こちら側」から「むこう側」に「行って帰る」というものです馬。昔話の『桃太郎』で言えば桃太郎が鬼ヶ島に「行って」宝物を持って「帰る」話です。

 

 しかもその「行って帰る」物語の主人公は誰かに「依頼」されて「宝」探しの旅に「行って帰る」という話しになっているのが多いといいます。その点でも、お米を手に入れてくるように母が「依頼」した末に宝物のお米を持ち帰っているから、ゲンの行動はまさしく「行って帰る」物語そのものです。

 

 その、ゲンが「行って帰る」話の底を流れていて、読者に印象づけているものがあるとすれば、これも前にふれたようにそれは「生と死」や「死と再生」といったようなものではないかと思われます。

 

 母・民江が産んだ赤ん坊は、原爆の犠牲になって死んでいった父・姉・弟の命を受け継いだ新しい「生」ハイハイです。かたやゲンが田舎に行く途中で眼にする原爆による数々の死体は「死」そのものです。

 

 また、ゲンが田舎に出かける前に見ていた、原爆で死んだ父・姉・弟たちが赤ん坊が生まれたお祝いに「みやげを持って帰ってくる」という夢も、死んだ者たちが復活し再生する、つまり「死と再生」を印象づけています。

 

 そうしたなか、ゲンがハエの大群にたかられた後、死んだ息子の亡骸の周りを飛び回るハエを「息子の生まれ変わり」と信じて、ハエを追い払わずにかわいがるおばさんにゲンが出会う話しは、もろに「死と再生」をイメージさせます。

 

 そして「生と死」や「死と再生」イメージさせる極めつきは、ゲンが姉・英子に似た夏江に、その後、弟・進次にそっくりの隆太に出会うことです口笛

 

 ゲンは夏江を見て「あれは ねえちゃんだ」(夢でみたように)「やっぱり 生きていたんだ」と言います。その夏江は、原爆で負った顔のケガと原爆症を苦にして「生きるか死ぬか」で悩みます。まさに「生と死」です。

 

 またゲンは隆太を見て「 やっぱり生きていたんだ!」と喜び、隆太がどんなに「わしゃ 進次じゃないぞ もう いつまでも つきまとうな」と言っても「うそだ! うそだ!」(おまえは)「進次なんじゃ~~っ」と、進次は「生きている」と信じているのです。

 

 ●「生きて」帰りたかった朴さんの父十字架

 「元 ざんねんだけど 進次は ほんとうにしんだんだよ もう あきらめて 元気をだしんさい」。母・君江はゲンにそう言って慰めますが、ゲンは、「いやだ わしゃ あきらめんぞ あいつは ぜったいに進次じゃ いまに進次だと 白状させてやるわい・・・」と言い張ります。

 

 そんななか、母は、もういつまでも路上での生活はできないから親類のいる「江波」に行こうと言い、ゲンは、原爆が落ちてからまだ家に帰って来ていない兄たち(浩二と昭)に伝えるための立て札(「浩二あんちゃん 昭あんちゃん 元と おかあちゃんは江波にいる」と書いたもの)を立てに、家の焼け跡に向かいます。

 

 すると近くでトントン タンタンと金づちを叩く音がし、見るとゲンたちの家の近所に住んでいた朝鮮人の朴さんです。朴さんはゲンの一家が「非国民」といじめられていたなかにあって味方になって、何かと助けてくれた人です。

 

 「 ぼ・・・ 朴さんだ わーーい 朴さーーん」イエローハーツ

 

 しかし、朴さんはギラッとした目を向けて「 くるなっ わしに ちかづくなっ!」「わ わしは きらいじゃ 日本人は きらいじゃ」と言ったのです。味方だった朴さんがなぜ? と驚かされます。

 

 朴さんは「わしの おやじは 朝鮮人だから 殺されたんじゃ!」と怒っていました。原爆のその日、生きていた父のキズの手当てを受けようと、朴さんは父をおぶって「おやじ しぬな たのむから しなんでくれよ!」と救護所へ行きました。

 

 しかし5時間も待ったあとに軍医は「 朝鮮人か・・・ 朝鮮人を みている ひまはない あとじゃ あと!」「朝鮮人より 日本人を たすけるのが さきじゃ」と差別したのです。「くそっ べつの救護所へいこう」。

 

 しかしそこでも「あとでみてやる」「朝鮮人まで手がまわるか」とあしらわれ、とうとう朴さんの父は亡くなります。グー朴さんはくやしくてたまりません。

 

 「わしらは 朝鮮から むりやり 日本へつれてこられて 日本のために いっしょに戦場でたたかった・・・」。(それなのに)「わしらは キズの手当てにまで 差別されるのか・・・・・」「アボジ~~(おとうさん)」。

 

 「わ わしは どうせ たすからなくても キズの手あてぐらい させて人間らしく おやじを しなせて やりたかったよ・・・」と朴さんは悔やみます。

 

 そして、「朝鮮人の死体は いつまでも みむきもされず すてられているんだ・・・」「わ・・・わしらは 人間じゃないんだ わしは わすれんぞ こんな しうちをした 日本人を・・・」と言って「おやじの 死体だけは 人間らしく カンおけに いれて やいてやるんだ・・・」とドンドン ガンガン 金づちを叩いてカンおけを作るのです。

 

 朴さんの悲しみを知り、イルカゲンは手伝います。ギー ギー カン カン トントン。

「元 すまんのう つい カーッとなって おまえに どなったりして・・・おまえにはなんの罪も ないんじゃ」と朴さんはゲンに謝ります。

 

「お・・・おやじ 朝鮮のふる里へ かえって ゆっくりねむれよ」と朴さんは父が入ったカンおけに火をつけます。パチッ パチッと燃え盛るカンおけ。

 

  しかし、中の空気が熱で膨れ、パン! と突然破け、グググ・・と中の死体が起き上がりました。朴さんはそれをゲンとともに見ながらこうつぶやきます。 

 

 「お おやじ・・・この世にみれんが のこるのか・・・むりもない いきて 朝鮮に かえれる日を たのしみに していたん だからな・・・」。

 

 ここにも「生と死」の相克が・・・うずまき

 

  朝鮮人をバカにした隆太を諫めるゲングー

 「隆太 あいつじゃ」「朝鮮人と いっしょに なにを しとるんじゃ ひとつ からかってやるか・・・!」「朝鮮 朝鮮 ばかに するな おなじメシくって ぬくいクソでる どこちがう クツの先が ちょっとちがう・・・」

 

 ――カンおけを燃やしていた朴さんとゲンを見た隆太と子分が朝鮮人をバカにした言葉で囃し立てた後、隆太が飛び跳ねて笑いながら言います。「おーい なにを やいとるんじゃ イモでも やいとるのか わしにも くれよ」。

 

 ナンテいうことを・・・という思いで聴いていた朴さんとゲン。

 

 ゲンは「あ・・・あのやろう」ダッダッと駆け寄り「この ばかたれっ」と隆太を思い切り殴り飛ばします。宇宙人あたまギェッ ゴン。「お おどりゃ なにを しやがるん じゃ」と言う隆太に、ゲンは言います。「 進次 とうちゃんが いったことを わすれたのか」

 (本当に・・隆太を進次と思っています)。

 

 そして、横一杯の画面の中、ゲンと隆太の顔の絵の間に、かつて父・大吉がゲンと進次を前にしてコンコンと諭している絵と大吉の言葉が、映画のフラッシュ‐バック(場面の瞬間的な転換。緊張した雰囲気や感情の高潮などの表現)を思わせる形で描かれています。

 

 第1巻を読む中でも取り上げた大吉がゲンと進次を前にして諭した、画面の中の言葉は次のようなものです。 

 

 「朝鮮人を ばかにする ような ことをいうなっ 日本の 戦争指導者が 日本人に 戦争させる ために朝鮮人や 中国人は ばかだから 戦争に かてると ウソを おしえたのだ おまえたちは どこの国の人とも なかよく するんだ だまされんな」ハイビスカス

 

(—そういうことだから)「 進次 もう朝鮮の人を ばかに するな このばかたれ」「わかったか 進次!」とゲンは、隆太は叩きます。イテテ。「 くそっ わしゃ 進次じゃ ないわい 隆太じゃ ねごとを いうなっ」

 

 隆太は後ろ向きでゲンに頭突きで反撃して「おぼえとれっ」「ションベンタレー」「ハゲのばかたれー」と悪態恐竜くんをつきながら子分と飛んで逃げます。

 

 このあと朴さんが逃げ去る隆太を、ゲンに「あ あの子は 進次くんじゃ ないか いきていたのか」と言うと、ゲンは「あいつは 進次じゃないと いうけど わしは 進次だと おもっているんじゃ」と言い、

 

 それを聞いた朴さんは、原爆で家の下敷きになり、業火に焼かれていく進次と英子のその時の場面を思い浮かべながら、(隆太と進次について)「まったく よく にてるのう たしか あのとき しんだ はずだから びっくりしたよ」と、瓜二つの隆太と進次に驚きます。

 

 ●中沢さんがふり返る “朝鮮人差別”ハートブレイク

 ゲンが母のためにお米を田舎から持ち帰ったその日疾風のごとく登場した進次とそっくりの少年・隆太。前の〈34〉でふれたようにそのモデルは原爆で親や身寄りを亡くした原爆孤児でした。

 

 作者の中沢さんは、当時の焼け野原にはおよそ六千名の原爆孤児がさ迷っていたという世情をふまえ、物語中に〈隆太〉を創出。ゲンの弟・進次に重ねたのです。

 

 物語は隆太が進次に重ねられることで、「進次は生きている」というゲンの「進次・再生」を担いますイエローハーツ

 

 また、朝鮮人をバカにした当時の子どもたちが歌っていたという歌を隆太らに歌わせることで、「朝鮮人をばかにするようなことをいうなっ」と日ごろ父・大吉が言っていた教えを身に着けたゲンの成長雷ぶりを描きます。

 

 ではそうしたなかで、隆太のモデルが原爆孤児とあったとするなら、一方その隆太にバカにされ、原爆投下後の救護所でも「朝鮮人より 日本人を たすけるのが さきじゃ」と差別された朴さんたち朝鮮人は、当時どんな差別を受けていたのだろうか。

 

 中沢さんは『はだしのゲン わたしの遺書』で次のように書き残しています。

 

 「 頑固一徹だったおやじの思い出が、次から次へと浮かんできます。おやじから、こっぴどく怒られたことがありました。ぼくの家の裏にボクさんという朝鮮人の一家が住んでいました。ぼくは、同い年のチュンチャナという男の子とよく遊んでいました。ぼくが遊びに行くと、ボクさんが、うどん粉をといたおやきをよく焼いてくれました。ちょっぴり甘くて、すごくおいしかったのを覚えています。

 

 日本人と朝鮮人のちがいというのを初めて感じたのは、洗濯のときでした。日本人は、洗濯板にごりごりこすりつけて洗いますが、朝鮮人は、棒のようなもので、服をぽんぽんたたいて洗うのです。変わった洗濯の仕方をするもんだなと、強烈に印象に残りました。

 

 当時、広島にはボクさん以外にも朝鮮人の方がいて、子どもの間では、朝鮮人をばかにする歌がはやっていました。『朝鮮、朝鮮とバカにするな。おなじ飯くって、ぬくいクソ出る。日本人とどこがちがう。靴の先がちょっとちがう』という歌です。朝鮮人の人は先がそった朝鮮靴をはいていました。

 

 朝鮮人がしゃべる日本語は片言なので、それをバカにしてからかいながらこんな歌を歌って笑っていたのです。ひどいことです。ぼくも一緒になってはやしたてているのをきいて、おやじは非常に怒りました炎

 

 日本が朝鮮に侵略してどれだけひどいことをやったのか。強制的に朝鮮人を日本に連れてきていること、安い労働力としてこきつかっていることをこんこんと説教されました。ボクさんも強制的に日本に連れてこられたそうで、ぼくはわけもわからずに朝鮮人をバカにする歌を歌っていたことを恥ずかしく思ったものです」

 

 ●意を決し進次らの骨を掘りに行くゲンゲッソリ

 作者がそのようにふり返っている朝鮮人や、原爆孤児たちがモデルとなって重要なキャラクターとして登場している『はだしのゲン』ですが、

 

 さて漫画に戻り、隆太がゲンに「おぼえとれっ」と言って去ったあと、朴さんはゲンに父・大吉たちの骨を掘り出したかどうかと訊ね、はやく掘り出してあげないと「土の中で いつまでも おしつぶされて いたい いたいと ないているぞ」と言います。

 

 朴さんは大吉と英子と進次が火に焼かれて死んでいく瞬間を目撃しています。

 

 しかしゲンは「朴さん やめてくれ~ 進次も 英子ねえちゃんも とうちゃんも いきているんだ」「生きているんじゃ~」「朴さんの ばか~~っ」と走り去ります。・・・・・馬

 

 だが、やがて「朴さんの いうとおりじゃ・・・」「骨が でてくれば 進次が しんだことも はっきりするんだ」と考え直して家の焼け跡に骨を掘り出しに行くことにします。骨が出てくれば隆太は進次じゃないこともハッキリします。

 

 ところが、母・民江は「とうさん たちの骨はないよ 進次たちは生きているんだよ そうだろう 元・・・・」と言って反対します。骨が出てきて本当に死んだとわかったら「生きている のぞみが きえてしまうのは こわいよ」と言うのです。

 

 先の〈30〉でふれたように、母・民江は、ゲンが夢を見たあと父も姉も弟もみやげを持って帰ってくるという話しをしたとき最初は「つらいけど とうさんたちのことはあきらめよう 火にやられるところをみたんだし、ショボーンもう死んだんだよ・・・」と言って、ゲンと悶着し葛藤します。

 

 しかしゲンが悲しむのをみて、ゲンの夢を壊すまいと自分も「みんなはまだ生きている」と信じるようになり、みんなの「再生」の夢をゲンとともの抱きます。

 

 そうやって過ごしてきたからこそ、ゲンが骨を掘りに行き、骨が実際に出てきたらその夢が壊れ、生きているのが怖いというのです。

 

 だから、「げ・・・元やめてよ」とふたたび民江とゲンは悶着・葛藤します。

 ドラマのように劇的なくだりです。しかしゲンはそれを振り切り「わしは あの隆太が 進次か 進次じゃないか はっきり させたいんだ もう にせの希望をもつのは いやじゃ!」と、スコップを肩に、左でバケツを持って家の焼け跡に行くのです。

―続く

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             2023年9月12日(火)

          輝く太陽があってこそ穀物も実る晴れー日めくり暦より