映画 『刑事物語』
劇場公開 1982年4月 配給:東宝
【解説】 一見刑事には見えない蟷螂(とうろう)拳の名手である異色刑事と 聾啞者の娘の
人間的な絆を通して男のやさしさを描く。片山蒼(武田鉄矢のペンネーム)の原作
を『新宿馬鹿物語』などの渡辺祐介と武田自身が脚本化、監督は渡辺祐介。
出演は武田鉄矢、樹木希林、西田敏行、高倉健、田中邦衛など豪華陣。
人間性をむしばむものへ
のまっとうな怒りがある
刑事物語
眼光鋭く、敏腕、という刑事のイメージがある。テレビドラマでよく出てくるパターンだ。そういう既成のイメージを打破した演技に今はなき伴淳三郎の『飢餓海峡』での刑事役がある。
名演技だと思う。いかにも風采が上がらぬというなりはしているが、人間臭く、じっくりとものを見つめていって的確に獲物をねらっていくという、抑制のきいたしぶい演技が印象的であった。
あの武田鉄矢が刑事に扮すると聞いて、映画を見るまでは、ハテな?と、思い続けていた。どこをどう見ても、よもや刑事には結びつかなかったからだ。ところが、見ると、そうでもない。
確かにあの風貌だから、他の刑事仲間がいかにも刑事然としている中で、一風も二風も変わってはいる。けれども巧みなストーリー展開と相俟って、悪にたち向かう熱血刑事としてけっこう画面に馴染んでいるから不思議である。
その意外性が、刑事役の既成の殻を破って意外な新境地を開いて見せた、冒頭の、”伴淳”を、ふと思い起こしたのだった。
博多署はトルコ(ママ)「淀君」を管理売春の容疑で不意うち捜査した。というところから始まるこの映画の原作者は片山蒼、これは武田のペンネームだそうであるが、武田は脚本にも名を連ねているから、正に八面六臂の活躍だ。
で、話しはその捜査陣の中にとても刑事には見えない片山刑事(武田)がいて、彼はそこで重度のろう啞者、三沢ひさ子(有賀久代=新人)に出会う。
沼津署への転勤を命ぜられた片山は身寄りのないひさ子の身元引き受け人となって彼女を連れて行き、そこで二人はアパートで寝起きを共にする。といっても、彼は彼女はプラトニックに見守っているだけだ。
沼津での仕事は売春組織と関係のある連続殺人事件。やがてひさ子にもその組織の手が伸びるが、片山らは一味の正体を突きとめ、すんでのところで事件は解決。
しかし片山は、その奮闘もむなしく、青森署行きを命ぜられ、一方ひさ子にも結婚の相手、村上(田中邦衛)ができていて、事態を呑みこんだ片山は二人の前途を涙で祝福する。
というのが大筋だが、この映画、主人公・片山が薄倖の女性に思いをかけ、庇護、やがてはその女性が自立の道を選択していくというその運び方の限りでは、武田・刑事物語版『男はつらいよ』である。
松竹映画のソフトタッチなかんじとはまた別の、メリハリの利いた小気味良さが捨て難い魅力を放っている、と言えようか。
しかし、例えば銀行に押し入って人質を楯に籠城した、組織の手先の男の構えるピストルの前に片山が堂々と立ち向かって、ジリジリと歩み寄り、あっさりと成敗するところや、また組織のアジトへのりこんで鉄拳をふるった後、逆に片山がピストルを六発もぶっ放すなど、いささかリアリティーを欠く場面が気にならないでもない。むろん、娯楽作品として見れば無視できるところではある。
だが、娯楽作品として以上に、この作品が社会的主張をケレン味なく押し出していたところに注目させられる点があった。
それは、一口で言えば、女性を食いものにしてその人間性をボロボロにしていく売春組織に対する怒りである。
悪に挑む武田の肉体がアクションを起こす時、それは彼の本領であり武器である滑稽さや饒舌を凌駕して、激しい主張を帯びている。
そして、その動きのある技闘シーンと対照をなした、静的で、素晴らしい場面は、ひさ子が街工場で油にまみれながら真剣な表情で働く村上の姿を、立ち停まってじっと見つめるところである。
働く姿の美しさとそれに感動して心をとめる人間のまっとうさがワンショットの中にかっちりと描かれていて秀逸な場面だ。
同時に、それは武田が打ちおろす拳の強さと並んで、またはそれにも増して、人間性をむしばむ悪業とその担い手たちに対する鋭い対置をなしている。
その場面の効果こそが、ラストの感動的な場面の盛り上がりを保証していたように思う。
監督は渡邊祐介。
―「シネ・フロント」1982年4月号よりー
※一部改訂して掲載させていただきました