「私の定年前後」は依然として「定年前」のままで、この調子だとこの先「定年への道」を進んで「定年後」にたどり着くにはまだしばらく時間がかかりそうです。へたをすると道半ばで倒れてしまい、たどり着けないかもしれません。諦めることなく続けてはいきますが、しかし、もちろん本人はすでに定年になっていて、いまのところ元気でやっております。そこで、年月を強引に早送りして、これからは時々、「定年後」のいまの様子や心もちを、来し方の回想をとり入れながら、表題のもとに、エッセー(似ッ非イ)の形で挿しいれさせていただきたいとおもいます。よろしくお願いします。

 

 ♪ ピアノと私

 

  定年になってピアノを始めた。といってもまったくのビギナーではない。

 手始めは結婚して間もない25歳の頃だった。6畳と3畳のアパートの2階に電子ピアノを買い、近所の初老の男性教師のもとへ習いに行った。しかし仕事やなにやらで忙しくなり、ほどなくしてやめてしまった。

 

 それから10年余りの月日が過ぎた。再び、「ピアノが弾けるようになりたい!」と思い立ったのは37歳の時である。20代の頃、線香花火のようにしぼんでしまったピアノへの夢が復活したのである。アパ―トから越し、住まいも少し広くなり、今度は重いピアノも置けるようになっていた。

 

 はじめは小学生の子供に習わせるつもりで買ったピアノだったが、いつの間にか子供は通うのを嫌がってしまい、代わりに私がたまにポロン、ポロンと鍵盤で遊ぶようになったのだ。

 

 最初は教則本を見ながら、音符の鍵盤の位置を確かめているという感じであった。しかしそんなある日、教本のある「図」を見、目からうろこが落ちた。ピアノの前に座るたびにたちこめていた霧―右手と左手の弾き方はどんな関係にある?―が晴れた気になったのである。

 

 その図は、鍵盤と譜表上の音との関係が示されたものだった。図の上の部分には鍵盤の絵。その下に、ト音記号(🎼)の高音部譜表、さらにその下にはヘ音記号の低音部譜表。そして鍵盤(白鍵)の各音が、下の二つの譜表上の音符のどれに該当するかが線で囲まれてわかるようになっている。

 

 それまでは、ピアノの真ん中のドの音は、ト音記号の線上にしかないと思っていた。しかし、同じそのドは、ヘ音記号の五線上にも位置していることがわかったのだ。

 

 つまり、鍵盤のすべての音はト音記号の譜表とヘ音記号の譜表を結んだ「大譜表」と呼ばれるもので示されていることが呑み込めたのである。その結果、譜面のト音記号とヘ音記号の五線上にあるそれぞれの音符を見て、前者は右手で、後者は左手で弾くことができるようになり、じきに両手で「はにゅうの宿」が弾けるまでになっていた。

 

 両手で弾けるようになったことでモチベーションが上がった私は、先生について習うことにした。電車とバスにのり、月に4回、1回のレッスン時間は20分。当時の月謝は4千円だった。

 

 先生(女性)についた効果は大きく、教則本「バイエル」がある程度進んだところで、それと並行して映画音楽などが載った曲集のものも弾けるようになった。弾きやすくアレンジされた楽譜なので、―「シェルブールの雨傘」「シバの女王」「追憶」「雨音はショパンの調べ」「ロミオとジュリエット」「ある愛の詩」「ゴッドファーザー、愛のテーマ」―などがレパートリーになった。

 

 しかし、もう30年以上も前の昔のことなので理由は覚えていないが、1年程で「バイエル」をほぼ終了させたところで、レッスンに通うのをやめてしまった。そしてその後は、弾けるようになった曲をたまに弾いて楽しんでいた。

 

 だが、時が経つにつれて、年々とピアノから遠ざかってしまった。同じ曲を同じ演奏レベルでしか弾けないので、そんな自分に飽きてしまったのだ。そうこうしているうちにまたたく間に四半世紀もの時が流れ、いつしか、指はすっかりさびついてしまっていた。

 

 ・・・・・と、そんな長い空白を経て、冒頭のように再び、定年になってピアノを始めたというわけである。

 

  「本格的に弾けるようになりたい・・」

 

 そんな思いを胸に定年後の63歳から教室に通いだして丸7年の時が流れた。最初の2年間は、ピアノの他にあれもしたいこれもしたいと考えていたので、月に2回だけのレッスンを受けた。しかし、上達がはかばかしくない。そこで、回数を、月に3~4回に変更した。

 

 レッスンの回数が増えればその分、けいこをしなくてはいけない。さいわい、そのうちに少しずつ上達してきたので、このぶんだとこの先も続けていけそうだと思えて、60歳以上は10パーセントの割引だというので、思い切って夢だったグランド‐ピアノを購入した。 

 

 しかし、だからといって腕があがるとは限らない。先生は「うまくなっています」と言ってくれるが、自分ではそうは思えない(やめさせないためにいっているのだろうと、人を疑うわるい癖は定年になっても抜けていない・・)。

 

 一方で、教室の小学生たちは、小さいながらも柔らかな指を軽やかに鍵盤に舞わせている。しかも、あまり譜面に頼っているふうではない。私にはとてもできる芸当ではない(・・私には暗譜はぜったいにできない)。

 

 ピアノを始めたころより憧れの曲があった。

 

 「乙女の祈り」である。「死ぬまでには弾けるようになりたい」。

 

 そう思っていたが、レッスンに通ったおかげで、とうとう弾けるようになった(先生を疑ったりしてわるかった)。

 

 そしたら現金なもので、さらに意欲がでて、「月光」に挑戦。それも、第1楽章を弾けるようになった。

 

 しかし、「本格的に弾けるようになりたい・・」という思いはこの先、叶いそうにない。腕の筋肉が年々衰えてきていて、無理にがんばると手を痛めてしまいそうだからだ。つまり、この先一日に何時間もピアノに向かうなどということはやろうとしても肉体的にはできないからだ。

 

 しかしそのため、今は、時々テレビで見る「駅ピアノ」や「空港ピアノ」で弾いている人々のように、

 

音楽を心の底から楽しみたいと思っている。