映画 『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』

   劇場公開 1981年11月 配給:松竹

    【解説】 JRの前身である旧・国鉄の初代総裁 下山貞則氏が昭和24年(1949年)7月、列車の線路上に

                    轢断死体で発見された 「戦後最大のミステリー」ともいわれた下山事件を、矢田喜美雄の原作

                    「謀殺・下山事件」を基に映画化。脚本は黒澤明とコンビを組み、橋本忍らとともに黒澤作品の

                    脚本を数多く 執筆してきた菊島隆三。監督は『帝銀事件 死刑囚』『日本列島』などの社会派の

                    巨匠・熊井啓。出演は仲代達矢・山本圭・浅茅陽子ほか。

 

                  得意の題材でとる戦後史の深部

       日本の熱い日々 謀殺・下山事件

 

  菊島隆三脚本、熊井啓監督の『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』は、矢田喜美雄による原作小説の映画化である。

 

 俳優座が十年ほど前から企画、準備していたものだそうであるが、『帝銀事件・死刑囚』や、『日本列島』で敗戦直後のアメリカ占領軍にからむ謀略事件を描いてきた熊井啓の、いわばお得意の題材である。

 

 周知のとおり下山事件とは、戦後間もない一九四九年(昭和二十四年)七月五日朝、国鉄初代総裁下山貞則氏が本社に出勤する途中たち寄った三越で消息を断ったまま、翌六日未明、常磐線・綾瀬付近の線路上で轢断死体となって発見された怪事件である。

 

 それがはたして自殺なのか、他殺なのか、当時大きな社会的関心を呼び、その後たて続けに起きた三鷹事件・松川事件と並んで、歴史的にばかりでなく、いろいろな創作物の材料にされてきた。

 

 自殺説の立場からつくられたものと聞く、映画『黒い潮』。

 

 対して、他殺説、

 

 しかも当時日本を全面的に占領していたアメリカのその謀略機関が、占領軍内部におけるG2とGSという機関の対立を背景にもちつつも、全体として、国外的には社会主義国との対決、国内的にはその年1月の総選挙で35名の国会議員を当選させた共産党と階級的労働運動の破壊、それらをつうじて日本におけるアメリカの反動的な支配を構築していくことをねらった政治的謀略事件として推理を展開させ

た松本清張の「下山国鉄総裁謀殺論」(「日本の黒い霧」に所収)は有名である。

 

 そこで、今回映画化された作品は、題名からして謀殺ということだから、むろん自殺ではなく、やはりアメリカ占領軍によるところの、日本を「反共の砦」に仕立てるために仕組まれた戦略的・謀略的事件としての枠組みの中で話が組み立てられている。

 

 映画は、新聞記者・矢代(仲代達矢)が遺体解剖による「死後轢断」という鑑定結果や、他殺を裏付ける血痕の発見、血液型の一致などによって他殺の線に確信をもち、執念深く事件を追うのを軸に、ワイシャツについていた油や色素の出所究明に奔走する捜査陣の動きを中心に描かれる。

 

 そして、その後の三鷹・松山事件をも背景に据えながら、事件の政治的本質が、国鉄の大量解雇を成功させ、当時激しく高揚していた革新陣営全体の動きにブレーキをかけて鎮静化させ、事件の翌年にひきおこされた朝鮮戦争への地ならしにあったことを明らかにする。

 

 また、下山氏が殺害された場所を朝鮮戦争を契機に大きな「発展」を遂げた米軍の特需工場内とし、その「発展」の影で殺された下山氏をキナ臭い戦争政策の生贄として描きつつ、ラストは、謀略の片棒をかつがされ、黒い犯罪に手を染めつつも、しかし今はまっとうな生活を送っている青年(隆大介)が開通間もない新幹線によってひき殺されるところで終わっている。

 

 つまり、映画は下山事件を描きながら、それを通して戦後日本の姿、とりわけそのことを鉄道の発達に象徴させることにより、それとふかく深部でかかわって暗躍してきた占領軍の謀略とそれによる犠牲を描くことをねらう。

 

 一般には迷宮入りになっている事件の核心部分を思いきったフィクション、つまり犯罪の手口をサスペンスタッチで見せるところ。

 

 豊富な内容を時間内にさばく構成力。俳優陣の熱演など、たしかに映画的力感はあった。

 

 ただ残念なのは、矢代が何故執拗に事件を追いかけるのか不明なこと、彼の人生に真実味が感じられないこと。たんにリード役としてばかりでなく、戦後の時代を生きていった主権者でもあるはずだから、もっと深みのある人間として、その痛みまでも描いてほしかった。

 

 そのような点と多分かかわっているのだろうが、ラストの青年の死が生きていない。

むしろ、何故今頃になって彼が殺されねばならなかったのか疑問が残った。

 

 所々十六ミリフィルムで撮った映像効果を駆使しつつ、戦後初期の荒々しい社会情勢や雰囲気が画面を盛り上げていただけに、

それらの点が惜しまれた。

                            ―「シネ・フロント」1981年11月号よりー

 

           ※一部改訂して再録しました