第1章 ようこそ中年へ

    

   (1)中年はいつ始まり、いつ終わるのか

       (前項まで:①私が中年を意識した頃②中年の始まりは40前後とは限らない

                   ③35歳が中年の始まり?④25歳の娘の眼からは、52歳の私は高年!)

 

   ⑤苦肉の言葉? 中高年

 

   ともかく、中年の始まりはハッキリした。一応、35歳から、と感じられているようだ。

 

 では、終わりは何歳なのだろう。娘の意見だと45歳である。それとも55歳? あるいは60歳? はたまた70歳?

 

 どうもハッキリしない。

 

 ふだん英語の辞書はあまり縁がないが、私は本棚の隅から『ジーニアス英和辞典』(大修館書店)を引っぱり出して来て、ミドルエイジの項を引いてみた。

 

 すると、[middle age]は、中高年(40-60歳程度)とあった。残念! 中に高がくっついて、見慣れている中高年の文字。

 

 うっちゃられた感じだ。

 

 では、高年とは何歳からをさすのだろう、今度もまた『日本語大辞典』で引くと、[高年]は年齢の高い人、とある(まんま、じゃん・・)。

 

 中高年が40歳から60歳程度だとすれば、いつまでが中年でいつからが高年か、けっきょく、辞書からだけではわからない。

 

 無理もないことにちがいない。年寄り呼ばわりされるのが嫌だったり、自分はまだ中年だと思っているのに、自分の年齢より下の年齢が高年と辞書に定義されていると、それに疑問や不満を持った人々が「 これはどういうわけなんですか?!」

 

 と抗議の電話や手紙を寄せてきたりして、辞典やさんが大騒ぎになってしまうかもしれないからである。

 

 ある年齢を中年とみなすべきか、老年とみなすべきか。どうも中年とはみなしにくい、しかし老年に組み入れるのは失礼かもしれない、だったらそうしたグレーゾーン、つまり中年と老年の間と、中年を含めて中高年としたらどうか、そうやって〈中高年〉という言葉が生まれてきたのかもしれない。

 

 かりにそうだとしたら、先のジーニアス英和辞典の、60歳までが、中高年という定義は、ほぼ妥当な線かもしれない。

 

 日本のお役所は65歳以上を老年とみなしているとのことであるが、(60歳程度)は65歳ぐらいまでをさすとも考えられるからだ。

 

 それにしても、けっきょく中年が何歳から何歳までかとキチっと定義するのは不可能なようだ。

 

 そのためというわけではないが、先の海老坂氏は、「中年とは伸縮自在の年齢」と、先の本に書いている。

 

 「 〈中年〉とは一応のメドがあるものの、伸縮自在な概念なのだ。四十歳で中年を終えてしまう人もいれば、

七十歳になっても中年をやっている人もいる。そんなふうに言うことを可能にする概念なのである」―と。

 

 蛇足かとは思うが、伸縮自在とは、のびちぢみは思いのまま、ということである。

 

 ということは、これまで紹介してきたような、中年は、それを意識したときに始まるという考えも、70歳でも中年といえる人もいるという考えも、すべて本当のことだったようだ。

 

  ⑥「中年は伸縮自在な年齢」その理由は?

 

 では、なぜ、中年は伸縮自在な年齢なのだろうか。まるでどんな中年腹にものびちぢみ自由なパンツのゴムのようなイメージではあるが、冗談はさておき、

 

 海老坂教授は、中年が伸縮自在な年齢となっている理由を、かつてはよく使われていた〈壮年〉という言葉が今では死語になり、

代わりに〈中年〉という言葉が、〈青年〉の次に来るようになった背景と関連があるのではないかと推論を立てている。

 

 つまり、かつては、少年ー青年ー壮年ー老年、となっていたのが、少年ー青年ー中年ー老年、と今はなっていて、そのように〈壮年〉が〈中年〉に置き換わってきたのには二つの社会的背景があるという。

 

 一つは、女性の社会的進出である。少年ー青年ー壮年だと、女性が排除される。それでは現実を正確に表現することができない。

〈中年〉だと、女性を含むというわけである。

 

 〈壮年〉のイメージは、壮士とか壮夫という言葉からも連想されるように、「男が職業的にも精神的にもすっくりと立ち、妻子をきちんと養っている」、といったことである。

 

 しかし、女性が社会進出している中にあっては、

 

 「四十代、五十代の女性が、仮にキャリア・ウーマンであっても、〈壮年〉という言葉の中にすべりこむことは不可能だろう」

 

というわけだ。

 

 そして、もう一つの背景は、人々の寿命がのびたことだという。

 

 長寿社会になることにより、人生全体のライフスタイルの変更が、各人にも社会にも必要となり、

 

 それに見合う形で、〈中年〉という言葉が台頭してきたのでは? というのである。

 

 そして、そうした結果、かつては30歳は壮年と呼ばれたであろうが、今では若者と呼ばれても不思議ではなくなった。

 

 またかつては、55歳はもう壮年ではなく老年と呼ばれたかもしれないが、今では中年の部類。

 

 「 つまり、〈中年〉という言葉の導入によって、かつての青年ー壮年の幅がぐっと広げられ、老年の始まりが高くひきあげられた」。

 

 そうしたことが、「中年は伸縮自在な年齢」と海老坂氏が結論づけた理由だった。

 

 かなり的を得た議論だと思った。

 

 1963年(昭和38年)、日本老年医学会ができたころは、55歳からは向老期、60歳からはもはや老人と考えられていたらしい。

 

 しかし、平均寿命が延び、55歳が向老期どころか、60歳を過ぎても若々しく社会で活躍する人がふえるにつれ、

昭和40年代の終わりには老年医学会も老年期のはじまりを65歳に改めたのだそうだ。

 

 今では、その65歳でも早すぎるから75歳からにすべきという意見もあるほである(※近年そのように提言されたと思う)。

 

 中年の年齢幅が伸縮自在であるという定義は、そうした社会の動きの中、

 

つまり老年期のはじまりの年齢が、グンと引き上げられていることによっても裏付けられているといえようか。