§1 自己愛はあるが”自己チュー”ではない私?

 

➌「ひとり」でいるのが好きになった私だが・・

 

 「自分」について最初に考えてみてわかったことは、私は「ひとり」でいることが好きである、ということだ。

 

 ひとりでいるという状態は、たとえば、部屋で新聞や本を読んだり、書きモノをしたり、あるいはテレビを見たり、ゴロゴロしているという状態である。また、外出するにしても、ひとりで映画を観る、街や、里山をひとりで歩くというときだ。

 

 ただ、「ひとりでいるのが好き」だとはいっても、どんなときでも、何をするのも「ひとりでないと困る」というわけでは(もちろん)ない。

 会社で昼メシを食べるときは仲のいい同僚と一緒である。居酒屋で”飲みにケーション”するときも同僚(ら)と一緒だ。

 

 昔を振り返ってみても、多くの「他者」と、(改まって”他者”などと意識することなく友だちや級友や親兄弟たち)つねに一緒だった。

 小学生や中学生だったとき、毎日のように「自分」と「他者」が集まり、交流する場所だった学校が嫌だと思ったことはなかった。

 (何回か、「今日は学校いくのイヤだなぁ・・」という気分の日があったかもしれないが、、)

 

 遠足や運動会、修学旅行などの集団行動・行事にも私は無理なく溶け込んでいた。遊び盛り、伸び盛りのその時期、「他者」を交えた集団でしか成り立たない野球やバレーボールやサッカーなどのスポーツにも夢中になっていた。

 

 そして、10代後半から20代にかけ社会の矛盾に目覚めた私は同じような仲間たちと積極的に関わった。

 

 つまり、若い時は、「ひとりでいるのが好き」と、ことさら(わざわざ)そう自分を意識することなどまったくなかったのである。

 

 しかしいつしか時は過ぎ去り、波乱万丈とはいえないまでもそれなりの曲折のあった人生も五十代の半ばにさしかかった今、私は人とのかかわりを極力最小限にし、「ひとりの時間」にどっぷりと浸り、活字(本・新聞・雑誌)と映像(テレビ・映画・DVD)と音楽(CD・コンポ)、あとはラジオがあれば一日の大半は心穏やかに過ごせる”人嫌い”なひとになってしまった。

 

 四十代のころの私の趣味は映画や絵を見ることと、社交ダンスだった。

 映画は暗がりのなかで「ひとりの時間」を過ごすにはもってこいだった。(ひとりになりたくて映画館に入ったわけではなかったが、いまふりかえると、そうだったということだ)

 

 いっぽう、社交ダンスは「ひとり」では踊れない(ひとりでステップを踏むシャドーは別にして)。組む「パートナー」、相手がいる。

 それにサークルに入っていたから「仲間」がいた。もともと集団に入ることは平気だったし、物おじしないたちだった。

 

 しかし、どういうわけだかひとつのサークルに長くとどまることがなかった(できなかった)。入会してしばらくたつとそこを抜けて、

また別のところに入っていた。いま思うと、まるで、定住せず、移動生活をしていたというジプシーのようだった。

 

 なぜだったのか。これだという原因はいまもはっきりとはわからない。しかし、ひょっとしたら、というのがある。

 それは、サークルの「仲間」と打ち解けることがなかった(できなかった)ことだ。

 

 「あいつは嫌だ」「この人とは合わない」というひとは一人もいなかった。しかし、「心の隔て」がなくなることはなかった。

 誰とでも「仲良く」なれそうだったが、誰とも心をうちあけて親しむことはなかったのだ。そのため、ユウウツだったことは「みんなで旅行にいきましょう」という話がでるときだった(ワレながら笑うしかない)。

  

 だから、そんな非社交的な私が”社交”ダンスの場にいるのは、下戸(げこ:酒が飲めない人)がどんちゃん騒ぎの酒宴の席にいるようなものだった。(お酒が飲めなくてもその場は好きな人もいるが、、)

 

 修行者でもあるまいし、どうしてそんな苦行めいたことを趣味にしたかといえば、単純に、「踊れたらカッコいい」と思ったからだ。

 しかし、この日本で、「じつはちょっとだけですがワルツが踊れます」などと”カッコつけて””披露”しようとしても、そんな場面はまず出現することはない(ということがわかった)。

 

 それはともかく、そんなこんなで、五十代になり、社交ダンスに憧れたものの、肝心かなめな「社交性のなさを思い知った」私は、

いったん、ダンスからは撤退することにした。

 

 そういうわけで、次第に、人の中に入っていく気力がしぼんでしまい、その代わり「ひとりの時間」に浸りきるのを好むようになった私だが、

 

果たしてこの先、老いを迎えていくなか人とのかかわりを、このまま、おろそかにしたままでいいのだろうか? 

 

―と、恐れ、悩んだ時期がしばらく続いたものだ。