息子二十歳の誕生日(パート2) | 水道屋パパのブログ

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和歌山市で株式会社近畿住設という小さな水道屋を経営しており、二人の子供のパパとして子育てにも奮闘中です!
パパとしての日常の出来事や、水道屋としての仕事での出来事など色々綴っています。

2022年8月16日

 

息子が二十歳の誕生日を迎えましたクラッカー

 

法律が変わり、既に大人入りしていた息子ですが、二十歳の誕生日はやはり感慨深いものがありますね。

 

少し思い出に浸りたいと思います。(独りよがりの内容なので、ご興味の無い方はスルーして下さいねあせる

 

 

 

【小学生時代】

 

小学校1年生の冬に友人に誘われて、少年野球部に入団しました。

 

当時の少年野球部では、お茶当番があったり、子供を試合会場等へ送っていく配車係、審判員、保護者代表の後援会会長、幹事、会計等、保護者の役割分担がすごく大変で、私も息子が入団して以来、休日がなくなりました。

 

唯一の休みの日は朝早くから息子とグラウンドに行き、日が沈むまで練習のお手伝いや、試合の時は審判員、最終息子が6年生の時は後援会の会長も務めさせてもらいました。

 

少年野球をやってた影響で、家族旅行等にもろくに行けず、野球一色の生活でしたが、子供の試合観戦ほど究極楽しめるエンターテイメントはなかったですね爆  笑

 

「本当に楽しかったです!!」

仲間1

 

【中学生時代】

 

小学生で野球をしながら受験にも挑戦し、中高一貫の公立中学校へ入学出来ました。

 

中学校は2クラス各40人、合計80人の生徒数で、その約半数の40人が男子生徒でした。

一緒に野球部に入部してくれる仲間を探しましたが、結局一人も見つからず、それでもたった一人で野球部に入部しました。

 

部員数の関係で、最終は他校との合同チームとなりましたが、その他校の野球部の顧問の先生とそりが合わず、最後までやり続けましたが、野球が嫌になってしまいました・・・。えーん

 

中学時代の息子の野球ですが、丁度入れ替わりで娘が少年野球部に入部したので、私は殆どそちらに駆り出され、息子の試合は数えるほどしか応援できなかったですあせる

 

大した結果は出せませんでしたが、最後まで同学年たった一人でやり切ったので、よく頑張ったと思います。

 

 

【高校生時代】

 

中高一貫校でしたので、受験せずにエスカレート式で高校生になれました。

 

高校受験を心配しなくて良いのは、親としてはとても有難かったです。

 

高校時代はバレー部に入部しました。

 

高校生になると普通科の子も沢山入学するので、また新たな出会いもあり、バレー部という新しいチャレンジでしたが、中学時代の野球とは異なり顧問の先生にも恵まれ、とても楽しく過ごしていたので、親としても安心して見守る事ができました。

 

バレーの試合観戦も初めて体験しましたが、結構な迫力で本当に楽しそうにプレーしていたのがとても印象的でした。

 

 

 

【大学生時代~現在】

 

大学受験も塾にも行かず、学校推薦で無事国公立大学に入学できたので、親ながらに本当に感心しました。

 

ここまでは順風満帆な息子の人生でしたが、大学入学前に新型コロナが流行し、いきなりリモートでの大学生活スタートとなりました。

 

自宅から通える距離でしたので、まだまだ恵まれている方でしたが、「大学行ってもバレーしたいなぁ~」とかも言っていたのですが出鼻を挫かれた形になり、結局何のサークルやクラブにも入部せず、友人も出来ず、楽しいスタートは切れませんでした。

 

今は色々バイトに行ったり、高校時代の友人とたまに会って気晴らし出来ている様ですが、大学は相変わらず友人らしい友人も居ない様で、コロナが足枷になっているのは否めません。

 

 

そんな状況ですが、二十歳を迎え、あと数年後には社会に出て行く必要があります。

 

「何かやりたい事や夢はあるのか?」

 

と聞いても答えは全く返って来ません。

 

 

確かに昨今のこの世の中で、夢や希望を持てと言う方が無理があるのかも知れません。

 

そんな世の中にしてしまっている大人の一員としては、とても責任を感じますショボーン

 

それでもそんな世の中で自分なりの光を見つけ、ゆっくり一歩ずつ目標に向かって歩んで行って欲しいと思いますニコニコ