八月ももう終わろうとしているのに、いまだ暑さの衰える気配がありません。バイトの出勤や外出の都度、どんよりと停滞した熱気をかき分けて歩かねばならない。まったく難儀な毎日です。

最寄り駅の付近には、スポーツジムがあります。

大通りに面してガラス張りの窓が並んでいて、中に運動に興じている人々の姿を見ることができます。私はそこを通り過ぎるにつけ、なんとなくみじめな気持ちになるのです。運動している人の目にとまりたくなくて、自然と背中を丸め、サササ……と小走りに通り過ぎてしまう。

なぜだろう。このみじめさがどこからくるのかを、私はつかみそこねていました。

最近、やっとその正体がわかったのです。

汗です。

スポーツジムにいる人たちは、みんな「いい汗」をかいているのです。空調によって快適な環境となった室内で、健康的に体を動かし、ひと汗をかいてリフレッシュ。日頃から充実した生活を送っているんだろうなあ、というのが、窓越しにも伝わってきます。

対する私は、暑さと湿気でヘトヘトになりながら、日銭を稼ぐべくバイト先へ向かっている。額やこめかみに貼りついたべとべとの髪、汗ジミのひろがるワイシャツ。さしずめ、「わるい汗」とでも言うべきでしょうか。

窓の向こうのさわやかな汗と、窓の手前の臭くてべとつく汗。スポーツジムのガラス窓を境に、此岸と彼岸のごとく、階層が分別されているのだっ。

考えてみれば、スポーツジム、という場所は、現代日本における資本主義をギュギュッと圧縮した、ある種の霊域であるようにも思えます。スポーツジムに通えるのは、もともと経済的に余裕があり、なおかつ時間にもゆとりを持っている、社会階層の上位に位置する人でしょう。彼らは運動習慣を金で買っている。健康を、買っているわけです。

では、彼らはなぜそれほどにまで健康に気を遣うのか。だって、運動不足が気になるのなら、そのへんをランニングするなり、夏ならクーラーを効かせた自室で筋トレに励むなりすればよさそうなものじゃない。

その真相はおそらく、人間の身体が労働資本として商業化される社会構造にあるのだと思います。

「体が資本」って言い回し、よく聞きますよね。

あれは、体はお金に代えられないほど大事なものだ、という意味では、たぶんないのだと思います。

体は文字通り労働(頭脳労働、肉体労働、性的労働にかかわらず)によって金を生むための資本であり、我々はその肉体を以て経済を回すため、健康管理を徹底させられる。

余分な脂肪のない引き締まった肉体、筋肉のついた厚みのある肉体、それは肉体の自己管理を徹底した証として、どんな職種においても財産として尊ばれるものでしょう。

ただ自己管理には限界がある。

だからこそ、彼らは外部の支配下にわが身を捧げ、体に商品価値を付加しようと試みているわけです。

そして、ジムの経営者は、身体を利益に私服を肥やす。やがて市場が拡大していき、街のあちこち、空いたテナントのそちこちに、ジム施設が入っていく。まるで穴を適当な資材で埋めるように、ビル街にジムが増えていく。いい汗の生む金は身体から都市空間へと拡散していく。これは本当に経済的循環であるといえるだろうか?私にはむしろ、日本経済の行き詰まりが表出した結果のように思えます。

おそろしいと思いませんか?

私はランニングマシンの上で走る人を見るたび、寒々しい気分になります。

あの板の上でどれだけ走ろうと、どこへも行けない。ただその場でむなしい反復運動を繰り返すことしかできない。目的と手段が逆転した呪具。

スポーツジムの流行とはすなわち、経済の停滞、日本社会の陥穽のほかならぬ象徴なのです!!!

……という持論を展開したところ、

「つまり、単なる僻みってことね?」

と母からは一蹴されました。はい、そうですね。

私の場合、いい汗を流すことよりも先に、ねじけた心をどうにかしなければいけないようです。

そんなこんなで、残暑のきびしい街中を今日も歩いていく私です。みなさまも暑さにはくれぐれも気を付けてください。