後日記録を見直していたら、告げられた病名や説明が事実と違う事を書いていたのが判明したため、2018.2.25に訂正しました。
 
 

検査入院をしたのは病気発覚から半月後の11月中旬でした。

遠方から母が来てくれていたので、子供達の生活面ではあまり心配はしていませんでした。
旦那は大人だから放置です(^▽^;)
出て行く時、下の3歳の子供に出て行く時に見つかると大荒れになるので、子供を幼稚園に送り出したその足でバスに乗り、病院へと向かいました。
入院するのは2回の帝王切開を経験してるので、三度目。
なので病院は違うけれど、あまり緊張はしませんでした。
 
前回の受診の後、家に先生から電話がかかってきて、一通りの説明を受けたのですが、やはり直接話をしなくちゃいけないらしく、始めに受診する事になったのですが、受付の手続きをしたところ、予約票にズラーっと検査が並んでいました。
内科の先生曰く、画像を色々な先生に見てもらってますが、今後手術予定だし、今回の検査入院でできるだけ一度に検査をしてしまいましょう、とのこと。
入院前の重い荷物を抱えながら、採血、スパイロ、レントゲン、エコーをしてから、やっと入院出来ました。
ここまでで、病院着いてから二時間半後。
入院して着替えたら、バイタル測って、点滴始め、今度は造影MRI。
そのままお昼食べずに2時ごろかな、超音波内視鏡下穿刺吸引術(EUS-FNA)をやりました。
次の日の昼過ぎに退院だったのですが、実は、この病棟で私はほとんど放置されてました。
ナースステーションから離れた部屋で、かつ周りの患者様に比べると若かったというのもあるのでしょうが。
そして、医師から私が看護師だという情報が伝わっていたのもあるのでしょうが…。
まず病棟内の案内も病室の使い方も一切説明なく、会計の仕方も全くわからず。
病院が違えば手続きなどの方法も違うのですが、特に2日目の看護師さん、朝の勤務交代の挨拶きたくらいで、退院のネームバンド切るまで一切接触ありませんでした。
一番関わったのは夜勤の看護師さんアセアセ
いやいや、普通は逆なんですけど…。
次の日は昼食食べて、喉や胃の痛みなかったら退院と言われてたけど、看護師さんは何にもきいてこない。
その代わり、昼過ぎに先生がパソコン持って部屋に来てくれて、結果を伝えてくれました。
この時の診断名は膵NETでした。
G1かG2で、NECではおそらくないでしょう。
転移も今のところ見られません。
ですから、生検の結果が出てから内分泌科にも受診してもらうかもしれません、といわれました。
私なりに色々調べてみて、膵SPNの可能性もあるな、と思っていたので先生に聞いてみたのですが、そこは可能性としては低いです、と。
バッサリ切られました。
私の場合、全く症状がなかったんです。
血糖値の異常も、消化器症状も。
なので、もしNETなら非機能性っぽい。
NETのG1.2腫瘍なんですが、NECは分類として癌なんです。
ここには大きな差があります。
とりあえず悪性ということは今回も言われなかったことにホッとしましたし、病名が分かったことで、すこし落ち着きました。
転移がないなら切れば生きられるかもしれない。
望みはもてましたから。
先生が居なくなってから、特にやることもなく黙々と荷物整理。
そのうち事務の人が会計の紙を持ってきてくれて、あ…退院ができるんだ、と知りました。
あまりの看護師の放置っぷりに、ふと、私は術後も自分で自分の看護しなくちゃいけないのかな…と、この病棟の看護師に不信感を持ちました。
唯一の救いは、ここは内科、手術は外科で病棟が違う、という事でした。
 

造影MRI 

まず、多分普通のMRIなんですかね。

撮影部位である腹部の上に板みたいのを載せて、ヘッドホンをつけて機械の中に入ります。

閉所恐怖症の人でなくても、なんとなく怖い感じでした。

ですので、私はずっと目を瞑っていました。

前の晩に寝てなかったせいかウトウト。

たぶん20分くらいだったと思います。

一度機械から出されて、今度は造影剤用のルートを取られるました。

なんか痛い、いつもより。

でも確認用の生食では痛くない気がしたので、そのまま検査再開で機械に入ったら、造影剤注入と同時に激痛が!

ビリビリと電気が流れる感じの痛み。

少し我慢してみたけど痛すぎるため、すぐにコールしました。

造影剤がやはり漏れていたよう。

でも、漏れていたとしても徐々に吸収されて行くので、よほど腫れたりしない限り経過観察で大丈夫だと思われます。

次は手首刺され失敗。

中で血管探され、これまた痛かったです。

とうとう三度目のトライなので、医師登場。

この先生、刺すの下手だったのか手を血だらけにされ、検査後は内出血ができました。

造影MRIは造影CTよりも造影剤が少ない量なので、身体が火照るなどの症状は出ないようです。

なので、同意書に書いてある副作用に気をつければ、身体の変化は感じることなく検査できると思われます。

2度目の機械の中で、多分15分くらい過ごしました。

MRIはよく音が大きいと言われますが、その通りです。

ブザーの音など、物凄くうるさいです。

結局、トータル50分くらいで検査は終了しました。


造影CTもそうですが、造影剤を使った後は飲水制限無い限りひたすら水を飲みましょう。

尿として早く出してしまえば、それだけ副作用のリスクも身体への負担も減るわけですから。



私が看護師になったのは、昔から看護師になると決めていたからではありませんでした。

勉強が嫌いだった私は、無試験無認可の専門学校に高卒で入って、その一年後就職しました。

美術関係の仕事だったのですが、その職場、今ではパソコン主流ですが、当時はポスターカラーで紙に絵を描いていた時代だったんですよね。

ポスターカラーにはカビがわんさか生えます。

朝一でやる仕事はカビとりでした。

そして、換気をあまりしない職場でした。

そのせいか、初めて二年くらいで気管支を悪くして、咳が長期間止まらなくなることが結構続きました。

これ、体に悪い…。

本当は定年退職ないし、描けば描いた分だけお金になるこの仕事も続けたかったのですが、健康には代えられないので、結局二年半くらいで仕事をやめました。

じゃあ、何の仕事をしよう…と思っても、私は高卒です。

資格もないし、就職も限られてくる、となったとき、一生続けられて、全国どこでも働ける資格は無いかと調べ、医療事務もいいんじゃないか、という風に考えてました。

でもいろいろ調べると、やっぱり一番よさそうなのは看護師。

小学校の卒アルで将来の夢で書いてあるし、じゃあ看護師の資格を取ろう…と思って色々調べました。

学費は自分で三年分貯めてから試験を受けようと思っていたのですが、当たってしまったんです、学費を大半補える額の宝くじ。

看護学校は大学ならかなり高いのですが、私の入りたかったのは専門学校で年40万弱くらいしかかかりません。

もう、これは神様が試験を受けろと言ってる!!

そう思って受験勉強をして、とある大学病院の看護学校に入り、卒業後その大学病院に就職しました。

働いた科は内科、外科。

偶然にも糖尿病は糖尿病内科も入っていたので教育入院を担当したこともありましたし、外科では膵頭十二指腸切除術も勉強したり看護したこともある。

もう、今となっては自分が将来この病気になったときに受け入れられるようにこの人生を歩んできたんじゃないか、と思うくらいに現在につながっています。

私の中にあった膵SPNはかなり進行のゆっくりなタイプだったそうです。

いったいいつから私の中にあって成長していたかは分かりませんが、数年、十数年かけて大きくなっていたのだと思うと、何かに導かれて今ここに生きているんだな…と思わずにはいられません。

 

でも、だからと言って宗教にのめりこんだりしませんよ。

自分の運命は自分の中にあって、何かに傾倒したり、ほかの人に委ねるものではないと思っていますから。