毎朝同じ時間に起きて
同じ時間の電車に乗って
車窓からいつもと同じ景色を眺めて仕事に向かう
そんな変わり映えのしない平々凡々な日常があたりまえになっていて
なんならあたりまえの日常に慣れてしまって飽き飽きしつつも日々過ごしている
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母が亡くなってもう5年も経つんだなと
今月が命日でそして昨日が母の日だったということもあり
在りし日の母を懐かしんで朝からメソメソしていた
母はとても社交的でお買い物や旅行など、訪れる先々で知り合いが増えて友達になって帰ってくるというスーパーフレンドリーな人だった
なので男女問わず友人も多いしとにかく男前だったので母を慕ってくる人もほんとに多かった
私も母の友人や知り合いにかわいがってもらったり、亡くなった今ですらお声をかけていただいたり気をかけてくださったり
ほんとにありがたいし感謝しかなく、と同時に母の偉大さと繋いでくれたご縁を今になってひしひしと感じている
そんな矢先
母の友人の中でもひときわ仲の良かったおばさまの訃報を昨日身内から聞いた
ショックで時が止まった。
昨年の6月だそうだ・・
母は急逝だったので仲の良かった友人達は特に「昨日会ってたよ!」とか「電話でしゃべったよ」と口々に言い涙していた
誰もが信じられなくてその分私たち家族と同じぐらいショックを受けていて「信じられない」と口々に言っていた。
そして件のおばさまもショックで倒れたぐらい悲しんでおられた
どことなく母と似ている感じで(だからこそ気が合ったのかもしれないのだが)彼女もまた明るくていつも笑顔で元気を絵にかいたようなおばさまだった
だけど母が他界した後ひどく落ち込み元気もなくなり時には涙して誰もが見てわかるぐらいに相当なショックをうけておられたらしい
そのストレスからなのか・・ご病気になられてそのまま帰らぬ人になったと
奇しくもおばさまが他界した日は母の誕生日だった
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今頃空の上では・・・
母 『アンタ何しに来たん!』
おばさま『アンタが急におらんなったからこっちから来たったんやんか!』
という会話がなされているであろう
(生前のふたりはほんとに日常こんなかんじであった笑)
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あたりまえがあたりまえじゃないんだということは病気と母の急逝と裏切りの三重苦の年であった5年前に嫌というほど味わった。
当時のことを書いた記事はコチラ↓
平凡で代り映えのない毎日がどれぐらいありがたいのか
今日という日を一生懸命に悔いのないように生きようと改めて思う
今はもう過去だ
現在形はもう過去形なのだ
前だけを向いて
いいことだけ引き寄せて
「宇宙は とてつもなく 素晴らしいことを 起こしてくれる」
とそんなことを日々思ってポジティブに生きている
今この瞬間はとても貴重なものだと思う
時間は有限
残された時間がわからない私たちはせめてこの瞬間を全身で全感覚で感じて生きなきゃなぁと思う
悲しみも苦しみも喜びも楽しさも心から感じて精一杯生きなくてはと改めて思った1日であった
ん-なんか壮大な内容になってしまったけれど笑
昨日の母の日の私は朝からメソメソしてたという1日でした笑
またね!
~Na*Chu♡