不妊治療中の話③ | オモニコ

不妊治療中の話③

つづき

霞が浦医療センターに手術覚悟で診察を受けに行きました。
実は水戸の病院から紹介を受けて受診したところ、持参したMRIを見てこれは腺筋症なので、挙児希望があるなら腺筋症外来の予約を取り直してくださいと言われて、長距離移動と長時間待ちを乗り越えて、診察3分で終わりました。腺筋症外来じゃないと、子宮全摘出の手術の話しかできないという…ものすごく予約の大変な腺筋症外来の予約を取り直しました。そのときあんまりにも電話がつながらず、諦めかけました。

心が折れかけたりもしましたが、腺筋症外来で西田先生に診察してもらい、治せるし手術したほうが赤ちゃんを望めるんじゃないかと言って貰えたときはほっとしました。ただし、私は初潮のころから生理痛や貧血が酷かったので、腺筋症だけでなくそもそもの体質もあるので、全く痛くなくなるということは期待出来ないかもしれないと言われました。そこからはあっという間で、仕事もしてなかったので、最短で手術できる入院日を予約しました。私は茨城県内在住だったので、術前検査やその判定は別途通院日を設けられましたが、遠方からの方は時間は遅くなっても初診日に検査を入れてこなすこともあるようでした。
私は、夫くんの仕事の都合で、自分は全く縁もない茨城県に引越していましたが、その県に日本で唯一の先進医療手術ができる病院があったことは運命だったのかなと思い、手術受けさせてくれる夫くんに感謝しました。

平成28年11月、子宮腺筋症核出術を受けました。入院中にやや大きめの地震があったりして、怖かったです。
私は術後入院中に初回の生理が予定日どおりきてしまい、なにがなんだか焦るような大量出血でした。術後の出血と重なって。
切られても生理が狂わないことにびっくりしました。手術も腺筋症核出はもちろん卵巣チョコレート嚢腫は右だけと聞いていたのに両方だったり、筋腫もあったのを取ってもらったり、深部癒着剥離が一番大変だったと先生からは聞きました。生理痛が酷いのは癒着かなと自分では思っていたので術後の生理はどんだけ軽くなるのかとわくわくした術後でした。

術後何回かの診察があり、4か月後から普段どおりの生活が許され、不妊治療再開の許可を得ました。術後に西田先生から卵管も両方通っていたし、うまくいけば自然妊娠も望めるくらい(子宮を)きれいにしたよ、と言われたこともあり、一度様子見のような感じでまた人工授精を試みることにしました。この人工授精は成功しなかったのですが、結果的には人工授精でよかったのかもしれません。この人工授精のあとの生理がきて、病院に行くタイミングで、なんと夫くんの埼玉への転勤が決まったのですー。
人工授精しないで、体外受精にしてたら、2周期使うので誘発などの費用が無駄になってしまうところでした。虫の知らせ?野生の勘?

埼玉へ引越し、また不妊治療のできる病院探しから始めることになり、それもめんどうでした。知らない土地で、病院探すのって難しい。引越しで疲れたのか突発性難聴を再発させてしまったり、病院探しも少し時間がかかりました。
埼玉へ引越したことでまた友人知人から、仕事はどうするのといろいろ聞かれ始めました。入間市とはいえ、埼玉ですから、都会へも出勤できなくもないし、仕事もないわけじゃないし、夫の転勤もしばらくはないし、仕事を探さない理由が、生活が落ち着いたら仕事も探すよーってしか言えませんでした。なんでそんなにみんな私の仕事を気にするんだろうと思っていました。まぁ、ただ会話のタネなだけだったんでしょうけど、ウソが不得意な私には回答が面倒でプライバシーだし!なんてピリピリしがちな話題でした。
実際、友人の弁護士の転事務所に伴い具体的に仕事を誘われたときは、正直迷いました…条件よかったし業務内容も好きだし。腺筋症の手術をしたおかげで、生理痛や貧血で生活に支障もなくなっていたので、働く体調は整っている状況でした。ただ銀座という場所が、遠すぎて通勤無理だったので諦めもつきました。
とりあえず、体調が整いつつあることで、本当に不妊治療しながらパートとかできるんじゃないかなとか思って、indeedとか求人チラシは目を通すようになっていました。

曜日が限定ながらも不妊治療をしている病院を近所に見つけ、口コミなどチェックして、その病院に決めました。曜日限定で完全予約制での不妊治療は、これまでとは勝手が違うので戸惑いましたが、実績がある先生だったので、そこに決めました。市外に通っていたよりは断然近かったですし。

そこでは先生が、これまでの治療ともう年齢的にすぐに体外受精!という感じでしたが、その病院に慣れるためにもう一度人工授精を希望しました。人工授精の成果がでなかったことで、卵管造影検査を受けることになりました。私は水戸の病院では通気、霞ヶ浦では手術時に卵管の開通は確認できていると考えていましたし、次は体外受精なんだから必要ないのではないかと思いましたが、術後の癒着も気になると言われ卵管造影検査をしました。個人病院での卵管造影検査だからかバルンを入れたあと診察の合間に造影するので、レントゲン室で横になっている間にどんどん具合が悪くなり、過呼吸を起こしました。
そして卵管はやっぱり通っていました。

体外受精へのステップに進むと、この病院は培養士さんがすごく丁寧に対応してくれて、先生とは要所要所で数秒確認する、というようなスタイルでした。あと、夫は保険証や精液さえ私が持ってくれば、基本来院不要でした。水戸のときは先生がメインで培養士さんは受精卵のグレードの説明くらいだったし、夫は度々病院に来なければならず病院によって違うものだなぁと思いました。採卵の麻酔がオプションだったのですが、水戸で麻酔受けていたので入間でも麻酔はしてもらいました。入間での採卵中の麻酔はなんだか激しく夢をみて、すごく疲れました。全身麻酔だったからかな?

入間での採卵は、苦しかったけど、水戸での採卵より子宮や卵巣の状況がよかったのか、シロウト目でみても、前より元気なきれいな卵が取れていて、4個採卵で3個受精でしたが、3個ともきれいにそだって凍結できました。胚盤胞まで育てたのも初めてだったので、すごく期待をして、何度も受精卵の写真をみつめてきれいだなー元気にみえるなー成功するんじゃないかなーと安らかな気持ちで、受精卵を戻す周期を過ごしていました。
受精卵を戻して、4w0dに該当する日に判定日を設けていました。自分がそれまで読んだブログなんかから考えると、まだ早いんじゃないかとか思ったりもしましたが、先生が指定するんだから間違いないだろうと思い楽しみにしていました。
4w0dには血液検査で、結果を1時間以上待って、「着床していますよ」と培養士さんから伝えられただけで終わり、拍子抜けしました。夫に説明できる自信がなく、翌週の検査を受けてから伝えることにしました。
翌週、エコーで胎嚢を確認して、これが赤ちゃんですね、と初めて先生におめでとうといわれ、やっと信じることができ、内診台でポロポロ泣いてしまいました。夫くんに伝えるときも喋り始めたら泣いてしまい、夫くんは困っていました。
それから2週間後に心拍を確認。

おまけ。
心拍を確認できた7週で、里帰り出産希望の病院に予約の電話をしたところ、その月の分娩予約はいっぱいになり受付終了しましたと言われ衝撃でした。
私の赤ちゃんは6/29が予定日で、7/1だったら予約出来たというのがかなり不満でした。結局後で、切迫流早産で入院することになり、分娩予約出来ていた病院からもお断りされたので、あのとき予約出来ていてもその病院で出産できたかはわかりませんが。


妊娠できてもまだ人には伝えられないような初期にも、仕事しないのーっていっぱい聞かれました。私が不妊治療してるなんて思ってないんだろうなー。微妙な親交レベルの人に、不妊治療してるんでしょとか言われても、いらっとしちゃうんでしょうけど。

何度も体調を崩し、入院したりしたので、5ヶ月や6ヶ月の安定期に周りにお伝えするということも出来ず、モヤモヤしていましたが。9ヶ月になった今、ようやく落ち着いて、あの頃いらいらしてたなーと振り返ります。

終わり