四川の大地震が起こったのが5月12日。
気づけばもう既に2週間も前。
そして、すっかり熱の冷めやった感のある私たち。
地滑りでせき止められた河川が氾濫しそうだという。
最大の余震で、また多くの建物や街に被害が生じた。
たくさんの人々の行方がまだ知れない。
それでも、明日は来て、時間は進む。
経済も、政治も、私達の人生も待ってくれない。
時間の流れの速さ、あふれる情報の中で、一つの情報が色あせる速度の速さ。
だからこそ、的確なタイミングで、適切な情報を流し、そしてアピールしていかなくてはいけない。
私が東京へ出てきて4年目。
それでも、この東京の有感地震の多さにはなかなか慣れることができない。
いつ、未曾有の大災害になってしまうのか・・・
もしかしたら、今感じているこの小さな揺れがその前兆なのではないか・・・?
そんなことをつい考えてしまう。
私は何をすべきなんだろう?どう備えるべきなんだろう?
この限りなく大きくて、でも漠然とした不安。
私はこの「不安」から、
「情報」を求めている。
「すべき何か」を求めている。
欲求があり、消費する意欲がある。
でも、待っていても誰も何も与えてくれない。
この2週間、新聞も、メディアも、あらゆるお店も・・・これといって私の「不安」を和らげるトリートメントを施してはくれなかった。
結局、「地震のメカニズム」を知る本を購入した。
次は、緊急時の避難キットだろうか・・・。
この行動を、私はいつまで能動的に起こすことができるのか?
人とは、怠惰な動物である。
「動くべき大きな理由」を、政府も企業も、私たちも無駄にしてはいけなかったのではないだろうか?