屑親( 父親 )に育てられた杉下恭子が語る

( 現在まで殆ど )性交渉の経験が無い私と

組長( 猫の小間使い・猫の使用人 )が   

出逢って31年間・入籍して24年間  

別居を続ける おかしな夫婦のお話。







※【誇り高き人間の屑・第2版】で  

     ご紹介していない記事と

   【誇り高き人間の屑・第2版】で  

     ご紹介した記事に修正を加えた分には  

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※  組長兼猫の使用人(猫の小間使い) は  

     杉下家事情をブログにアップすることを  

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※  恭子の秘密の小部屋 ➡︎ 杉下恭子の住居  

     米粒HOUSE ➡︎ 猫の小間使い兼猫の使用人の小屋   

( 米粒HOUSEの詳細と組長が猫専属になった理由は

    未来記事でご説明致します )





  笑いあり涙あり感動なしの

【誇り高き人間の屑】

  存分に堪能くださいませ。 




《誇り高き人間の屑》へ初めてお越し頂いた方へ

   NEW記事

  1976年〜 • 小学二年生〜









上・添付記事の続き。



前記事で紹介した父親の日常

そして

彼の家族への接し方が一変したのは

杉下が小学二年生になって

間もない頃だった。



ついに

小林家(杉下の旧姓)

長年に渡る生き地獄が

そして

杉下の生き地獄が始まった。
















私が小学二年生になってから

父親の酒の酔い方が変わった。



悪酔いだ、しかも毎晩悪酔いだ。



体がキツイとの理由で新聞配達をやめ

時間に余裕ができ酒量が増えたのだ。



新聞配達を辞めたことは

決して悪いことではないが

収入が増えたわけでもないのに

何故、酒量を増やすのか?



父親の思考、常人には理解不能だ。



毎晩、悪酔いする父親...

その結果、私は...

いや、私だけでなく母親と妹(二女)も

毎晩、生き地獄の中で

生きていくこととなった。











屑親(父親)が飲酒を始めた時期は知らないが

杉下が小学一年生の頃

屑親(父親)はアルコール25%の焼酎を

毎晩3合(540cc)呑んでいた。



その酒量、杉下が小学二年生になると

4合(720cc)になった。



屑親(父親)は悪天候の日以外は

杉下に毎日焼酎を買いに行かせていたので

彼の飲酒量をしっかり把握していた。











屑親(父親)は

毎晩19時過ぎた頃には焼酎を飲み終え

それと同時に

「電気を消せ!

 テレビを消せ!

 俺は働いているんだ!

 俺は朝が早いんだ!

 俺に合わせて早く寝ろ!

 いいから早く寝ろ!

 早く寝ろー!」

とすわった目で怒鳴りちらした。














蛍光灯を消し室内を真っ暗にしない限り

屑親(父親)の暴言は止まらなかった。



この状態が長年・毎晩続き

結果、母親・妹(二女)・私は

生き地獄を味わった。



このことが父親をブログ内で

屑親(父親)と呼ぶ理由の一つである、

あくまで、理由の一つである。


   ※屑親(父親)が行った行為全てを公開するには

    躊躇する内容があったため

    一部の事実だけをアップする










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