
メジャーリーグの1950年代は、ニューヨークに3球団があった時代で、治安の悪化・球場の老朽化・観客数の減少を打破するために2球団が西海岸へ移転し、ヤンキースだけになった。
ロサンゼルス・ドジャースとサンフランシスコ・ジャイアンツが、かつての本拠地ニューヨークから大陸の反対側である西海岸へ移転した歴史を紹介する。
1950年代のMLBは、シカゴ・フィラデルフィア・ボストン・セントルイスに2球団があり、53年にボストン・ブレーブスがミルウォーキーに移転する。
その後、翌54年にセントルイス・ブラウンズがボルチモアに移転し、オリオールズに改称。翌55年にフィラデルフィア・アスレチックスがカンザスシティに移転した。
そして、1958年にニューヨークの2球団であるブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツが、西海岸のロサンゼルスとサンフランシスコに移転する。
ドジャースはMLBで初めて黒人選手を獲得するが、ジャッキー・ロビンソン選手(47〜56年)やロイ・キャンパネラ捕手(48〜57年)は、ロサンゼルス移転前に引退した。
ロビンソン選手が入団した際に真っ先に握手したピー・ウィー・リース遊撃手。その後も周囲の誹謗中傷から擁護した。ブルックリン時代にワールドシリーズ出場は7回で56年に世界一。
リース選手は実働16年で、通算2170安打・打率.269・126本塁打・885打点・232盗塁。オフに引退する1958年だけロサンゼルスでプレーした。野球殿堂入り。背番号1は永久欠番。
ドジャースは移転2年目の1959年にナ・リーグ優勝。ワールドシリーズはホワイトソックスを倒し世界一に輝く。第5戦ではMLB最多記録となる92706人の観客動員。62年からドジャー・スタジアム。
ドジャースのライバルであり、西海岸移転に同調したジャイアンツは、ニューヨーク時代にリーグ優勝17回・ワールドシリーズ優勝5回の強豪チーム。
ジャイアンツは移転後1962年・89年にリーグ優勝するが21世紀までWS優勝はない。62年の優勝時のメンバーに、54年の世界一に貢献したウィリー・メイズ中堅手がいる。
メイズ選手は1951年デビューで新人王に、チームは14年ぶりのリーグ優勝。54年は打率.345で首位打者、41本塁打・110打点でMVP。チームもインディアンスを倒し21年ぶりの世界一。
ウィリー・マッコビー一塁手(画像)は、移転後の1959年にデビューし新人王になる。60年代に本塁打王3回・打点王2回を獲得し、メイズ選手と共に「MM砲」と呼ばれた。
1974年パドレスに移籍し、実働22年で通算2211安打・打率.270・521本塁打・1555打点。69年にMVPを受賞。86年に野球殿堂入り。背番号44はジャイアンツの永久欠番。
2000年からパシフィック・ベル・パーク(現オクラル・パーク)に移転し、マッコビー選手は右翼フェンス94mの距離を見て「現役を復帰を考えた」と言う。右翼場外は「マッコビー湾」と呼ぶ。
ドジャースがジャッキー・ロビンソン選手よりも先に声を掛けた黒人選手で、モンテ・アーヴィン選手がいる。1949年にニューヨーク・ジャイアンツでデビュー。
3年目の1951年に打率.312・24本塁打・121打点で打点王を獲得。メイズ選手と共にチームのリーグ優勝に貢献。56年にカブスに移籍し、その年で引退する。
実働8年で通算731安打・打率.293・99本塁打・443打点。ニグロリーグ時代に三冠王を獲得。MLB在籍は短期間だが1973年に野球殿堂入り。背番号20はジャイアンツの永久欠番。
ジャイアンツはサンフランシスコ移転後、2010年に56年ぶりのワールドシリーズ優勝。12・14年も世界一になる。一方、ドジャースは1988年のWS優勝後は2020年まで遠ざかる。