
前回は、戦争により亡くなった日本のプロ野球選手、戦争から復帰した選手を紹介した。今回はメジャーリーグで戦争から復帰した選手を探してみた。
第二次世界大戦により戦死したメジャーリーガーは2名だといわれる。後に殿堂入りした選手は、従軍したが戦地に赴く事はなかったようだ。ジョー・ディマジオ選手(ヤンキース)(画像)から紹介する。
ディマジオ選手は1936年にメジャーデビューし、翌37年には46本で本塁打王になる。41年に56試合連続安打の大記録を達成する。翌年オフに陸軍に入隊し、43年から3年間の兵役でチームから離れた。
実働期間は13年で、通算2214安打・打率.325・361本塁打・1537打点。全盛期の3年間もプレーしていたらと思うが、ヤンキースの9回のワールドシリーズ制覇に貢献し、MVP3回は充分すぎる活躍だ。
ディマジオ選手のライバルだったテッド・ウィリアムズ選手(レッドソックス)は、1939年にメジャーデビューして打点王になる。41年に.406を記録、翌年には三冠王を獲得する。その年のオフに海軍に入隊した。
1943年から3年間の従軍で46年に復帰し、47年に2度目の三冠王を獲得。52〜53年には朝鮮戦争に従軍。19年通算2654安打・打率.344・521本塁打・1839打点。戦争によるブランクがなければ、3000本安打は間違いなく達成だ。
ディマジオ選手は36歳で引退したが、ウィリアムズ選手は41歳までプレーし、打率.316を打ちながら引退した。何度も世界一になったディマジオ選手とは対照的に、ワールドシリーズ優勝は経験していない。
スタン・ミュージアル選手(カージナルス)は1941年にメジャーデビュー。2年目から16年連続の打率3割を記録する。45年は海軍入隊で出場していない。翌年には復帰し2回目のMVPを受賞する。
22年通算3630安打・打率331・475本塁打・1951打点で、MVP3回・首位打者7回・打点王2回を獲得。42歳で打率.330を記録する。ブランク1年は500本塁打・2000打点を阻んだ。
ハンク・グリーンバーグ選手(タイガース)は1930年に1打席だけのメジャーデビュー。31〜32年はマイナー生活。33年にメジャー復帰し打率.301をマーク。35年には36本塁打・170打点で二冠王になる。
ユダヤ系のグリーンバーグ選手はナチス・ドイツに対する反感から、1941年のシーズン途中にメジャーリーガーとして初めて第二次世界大戦に従軍する。45年の終戦まで戦争に参加した。
パイレーツに移籍後36歳で引退し、実働13年通算1628安打・打率.313・331本塁打・1276打点を記録し、本塁打王4回・打点王4回を獲得する。骨折や戦争による離脱がなければ、500本塁打を達成したといわれる。
ボブ・フェラー投手(インディアンス)は、1936年に17歳でメジャーデビューした。39年から24勝、27勝、25勝で3年連続最多勝を獲得する。その年のオフに海軍に志願入隊した。
終戦までの4年間は、戦艦の対空砲部隊で従軍し勲章も獲得した。18年通算266勝・防御率3.25・2581奪三振で、ノーヒットノーランを3回達成。戦争によるブランクがなければ、350勝したといわれる。
ルー・ブリッシー投手は、アスレチックス入団が決まっていたが志願して兵役に就いた。イタリア戦線で左脚のスネに砲弾を受け23回の手術で回復。戦後1948年にメジャーデビューし14勝した。
翌年も16勝したが、3年目に成績を落としインディアンスにトレードされた。7年通算44勝48敗・防御率2.67の成績を残す。不死身のカムバックで、記録よりも記憶に残る投手となる。
ウィリー・メイズ選手(ジャイアンツ)は、1951年にメジャーデビューし新人王を受賞。52年途中から朝鮮戦争に従軍する。54年に復帰すると首位打者・MVPを獲得し、ワールドシリーズ制覇に貢献した。
実働22年間で通算3283安打・打率.302・660本塁打・1903打点・338盗塁で、首位打者1回・本塁打王4回・盗塁王4回・MVP2回を獲得。兵役がなければ、ハンク・アーロン選手よりも先に714本塁打を打ったといわれる。
日本のプロ野球は、1945年に戦争によるシーズン中止があった。しかし、アメリカは野球好きのルーズベルト大統領が、メジャーリーグを中断させることはなかった。