新しい時代は日本から始まる | 確信犯的スーパー勘違い

確信犯的スーパー勘違い

人生は、潜在意識が信じている通りになります。
だったら、『思い切り楽しい人生になる』って
信じた方がいいですよね。
確信犯的に勘違いをしてみませんか?

『昭和』は活気に満ちた時代でしたが、

そのエネルギーは『飢え』からきていた

ところもあるんですよね。

 

それを必死に乗り越えてくれた先達には感謝しつつ

満たされてもなお、その回路を持ち続けると

おかしなことになりがちです。

 

 

こんにちは。

『理性の力で未来をつくる』

ロゴスことスギオカです。

 

 

この投稿は、2019年12月18日に書いた記事を

再編集したものです。

 

 

結論部分は当初

『オリンピック特需の終焉から始まる

 史上最大の国難期』

となっていましたが、

そっくりそのまま『コロナ禍という国難』

置き換えました。

 

 

 

 

欠落を埋めるイメージから始めると、

 

どこまで行っても

欠落にともなう痛みは消えません。

 

 

埋まっているかどうかを基準にするので

 

意識は常に『欠落』にフォーカスし、

痛みを再確認しようとするからです。

 

 

お腹が痛くなって薬を飲んでも

 

ずっと『痛いかな?』『大丈夫かな?』

と心配し続けると

 

お腹の違和感は残り続けます。

 

 

 

被害者意識や復讐心からでは

幸せにたどりつけない道理です。

 

 

しかし、

悔しいわけですよね、やられたままだと。

 

体育会系クラブの後輩いじめが続くのは

 

自分の世代でそれをやめると、

いじめられ損になるからです。

 

 

もちろん、

それほど意識的な選択はなされておらず、

惰性が理由の大半でしょうが、

 

悪しき行いが『やめられない』のは

 

心の底で悔しさという怒りの炎が

燃え続けているから……。

 

 

 

その理屈で言えば、

1960年代の日本の高度成長を支えたのは

 

太平洋戦争でアメリカに負けたという

悔しさだったと考えられます。

 

 

さらに根本的には

望んでもいなかった開国を強行に迫られ

 

あげくの果てに喧嘩を売られて

コテンパンにされた。

 

 

その悔しさだったとすら言えます。

 

 

だからこそ、

ロックフェラーセンターを買った時に、

 

あるいは

『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』

英語で宣言した時に

 

かりそめの達成感に酔ったわけです。

 

 

 

けれど、

勝負は勝ったり負けたりをくり返します。

 

 

 

何より重要なのは、

他者の価値観で争った先には

主体的な幸せが存在しないことです。

 

 

今、日本があえいでいるのは

競争力を失ったからと言うよりも

 

そもそも欠落感からことを構えた結果なのだ

と考えられます。

 

 

 

モノをあふれさせる感覚は

日本の文化ではなかったはずですよね?

 

 

 

ところで、

いじめられた悔しさの連鎖を断ち切るには

どうすればいいのか?

 

 

簡単ではありませんが、

『損を引き受ける』ことです。

 

 

自分の世代でそれをやめれば

いじめられ損になるのだとしても、

 

 

誇りをもって悪癖を断つ。

 

 

その時、すべてが変わり始めます。

 

 

 

思えば、アメリカ自体も

 

イギリスやフランスでいじめられた人が

逃れてできた国です。

 

 

そのイギリスやフランスにしても

 

ルネサンスで一気に進化したイタリアへの

憧れがありました。

 

 

 

だったら、イタリアが元凶か !?

というのは、やっぱり復讐的な発想です。

 

近代主義という英知が持つ

 

ポジティブな面とネガティブな面の発端が

ルネサンスだったということ。

 

 

そして、そこで生まれた欠落を埋める悪癖

 

(逆算思考のネガティブな側面)を

止められるのが日本だとしたら、

それは誇らしいことではないでしょうか。

 

 

コロナ禍という史上最大の国難期は

その知恵を練る時代になります。

 

 

未来は自分でつくれます!

 

 

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