求人時の「卒歴による採用制限」を禁止するべきだと考えています。

 

「大卒以上」のような求人広告を禁止すれば、長期的には中卒・高卒の就職にも好影響でしょうし、

「就職のために大学に行く」といった不合理の抑止に繋がります。

 

大学が本来の「知の共同体」となれば、社会の発展にも資すると思います

 

就職活動でも「学士論文や博士論文」による採用を奨励すれば、公平性は担保されます。

国のスペシャリスト育成の方針とも矛盾しません。

 

日本がいまのような就職活動文化を続けていると、大学での勉強期間が極端に短くなる上、縁故採用や学閥採用の跋扈を招きかねません。

繰り返しますが、大学生活のかなりの部分が就活に充てられているのは大問題です。

学士論文などを採用に使用できる制度になれば、いまの大学の教育のあり方を変えることにも繋がるはずです。

若者が意欲を持って大学に進むのなら、「勉学と研究に専念した方が就職に有利となる」制度設計であるべきです。

 

同時に、卒歴による求人差別も禁止するのが公正なあり方ではないでしょうか。

最高学府(大学)間の学力差がここまで大きくなってしまったいま、「大卒」を事実上の資格として認めるのは不平等な側面が否めません。

 

最高学府とは、本来は大学を指す言葉です。

だから、一時期までは、「大卒」が事実上の資格として機能していました。

「分数のできない大学生」という本が話題となりましたが、ネットスラングに「Fラン大」などという言葉が定着してしまった大学全入時代において、卒歴は学力を保証しているとは言えません。

AO入試が普及し、数学を選択しない経済学部生もいる時代に、学歴が閾値になるかどうかは疑問です。


企業がゼネラリストを求めるのは分かりますし、卒歴による採用制限(足切り)が採用業務の負担を減らしている側面もあるかと思います。

おそらく卒歴による採用制限が禁止となれば、入社試験を実施する企業が増えるでしょう。

いまの「入学歴社会」よりは、そのように真の意味で学問が価値となる「(真の)学歴社会」の方が望ましいのではないでしょうか。

 

国会周りで言えば、少なくとも、政策秘書資格試験の受験資格が「大卒以上」なのは間違っています。

純粋な筆記・口述試験にも関わらず、受験資格を制限するのは国会の精神にも反します。

 

例えば、中卒で起業し、同世代が学業に勤しんでいる間にも税金を払ってきたような若者に、政策秘書の受験資格すら与えないのは不合理です。

 

また、国家公務員試験の学歴別の実施(院卒・大卒・短大卒・高卒)にも再考の余地があるかもしれません。

地方公務員の採用試験では、大卒者が高卒と偽って就職試験を受ける「逆学歴詐称事件」も度々問題となっているような状況です。

 

今回書いてきたような「慣習」を変えるのは、簡単なことではありません。

それでも真に平等な社会を作るため、全力で汗をかいていきたいと思います。