コロナ禍に対応する「学生支援」のあり方について考えています。


まず、バイトのシフト減などによる貧困対策は、学生であることを特例とせずに進めるのが国民にとって分かりやすいのではないでしょうか。

学生への公的支援が、中卒・高卒で社会に出た若者との分断を生んでしまってはなりません。
 

それでは、なにが学生の支援に繋がるのか。
私は、大学はあくまで学門の場であるという、その原点に立ち返って考えることが必要だと思います。
 

これまでの大学は「最高学府」であるとともに、社会的には事実上の「就職予備校」であったのも事実でしょう。

良い就職のために良い大学に入ろうと、そのために奨学金を借りた学生も少なくないはずです。

 

政治は、そうした過度な大学信仰を放置する一方、大学生活の半分近くを就活が占めることを黙認してきました。

大学3回生から就活を始めたら、

大学生活の4年間でまともに勉学に打ち込める時間は、その半分ほどになってしまいます。


これでは学びたい学生も、教えたい大学も不幸ですし、学費に見合う学業に打ち込めなかった学生も多いはずです。

 

こうした大学のあり方を追認してきた政治の責任は、極めて重い。

その責任を認めることから、新しい学生支援を始めるべきだと思うのです。

 

特に、奨学金制度は国家的な大失策でした。
政府として国民に謝罪した上で、「過払い教育費」を返還するべきだと考えます。

政府が本来とるべきだった政策は、以下のようなものでしょう。
 

(1) 必死になってバイトをしなくても、大学に通える社会を作る
(2) 必死になって就活しなくても、就職できる社会を作る
(3) 中卒・高卒が働きやすい社会を作る

こうした当たり前の政策を、国は怠ってきました。
コロナ禍以前からの失政です。
そのツケを若者にまわすのは間違っています。

 

繰り返し書いてきましたが、
9兆円で、奨学金徳政令が実施できます。 
つまり、貸し出し中の奨学金を返済する必要がなくなります。


さらに8兆円あれば「2004~19年までに返済された奨学金」を全額、完済者に返金できます。
 

そのお金が消費や投資に回れば、若い世代が力を持って文化も日本経済も復活するでしょう。


 

コロナ禍によって噴出した問題のほとんどは、もともと構造的に誤っていたものでした。
 

コロナとの戦いの副産物として、その欠点が少しでも修復できるよう汗をかいていきたいと思います。